岐阜の山展望の山68(新ハイ山田氏例会)

大ダワ(10676m)                平成220509()

礒部記(地形図:美濃川上)

コース 小倉6:158:25夜叉龍神社前9:25→10:10道終点(Ca640m)10:15→10:45788m→12:15大ダワ平坦地12:40→13:00点名「川上」②13:10→13:30大ダワ平坦地→14:30788m14:35→15:10道終点15:15→15:40夜叉龍神社前15:55(SA黒丸)⇒17:40宇治⇒17:50小倉

土蔵岳へ登る山田さんの例会があったので、参加を申し込んだ。土蔵岳は、岐阜県旧坂内町と滋賀県木之本町に跨がる山で、名前はよく知られているが、比較的登る人の少ない山である。私も一度は登りたいと思っていたが、これまで登る機会が無かった。その登路は、尾根ルートとしては、旧八章峠から県境尾根を北上するルート。谷ルートとしては、滋賀県の杉野川支流の土倉谷から県境尾根へ登って北上するか、岐阜県の八草川支流の上原谷から大ダワ東西尾根へ乗り西進するルートが紹介されているが、いずれも藪が濃く積雪期の登頂を薦めていて、無雪期登るのは難しいとされている。それが山田さんの無雪期の5月例会に、八草峠付近から土蔵岳へ登る案内があったので、旧八草峠から県境尾根を北上するものだとばかり思い込み、その途中の土蔵岳南にある点名「戸谷」を踏めたら言うこと無しと思い、参加を申し込んだ。しかし、参加の返信を見ると、岐阜県川上部落の神社前から尾根を登ることに変更されているではないか。地形図で見ると、藪の急尾根の登りは大変だと想像できる上、一見平坦尾根に見える大ダワから土蔵岳の間も、強烈な藪が続いていると聞いていたので、土蔵岳山頂は踏むことが出来ないと危惧していたが、案の定、時間切れで、大ダワ三角点は踏んだが、土蔵岳までは行くことが出来なかった。休日高速料金1000円の影響による渋滞が読めず、岩野氏例会へ向かうと同じ、何時もの時間に家を出た。名神へ乗ると、車の数は多かったが、ゴールデンウィークのような停滞は無く順調に走ることが出来て、木之本インターへ8時前に着いてしまった。ガソリンを給油した後、国道303号を東へ走り、八草トンネルを潜って川上部落の神社前広場へ着いたのは、825分。そこには既に、この例会に参加する瀬田の彼の車が到着していた。山田さんの車が来るまでには1時間もあり、その間に歩く準備を整えて、辺りを散策したり、雑談をして時間を過ごす。彼が言うには、「5日に、土蔵岳の下見に行って来た」との話。下見の意味が分からず「え!」と聞くと、「5日は天気が良かったので、上原谷入口に車を置いて、谷を遡り、藪斜面を登って稜線へ出て、土蔵岳を踏んで大ダワ三角点を見た後、今日に上る尾根を川上部落の神社へ下った」とのことだった。特に、地形図で平坦に見える土蔵岳と大ダワの間は藪がキツク、歩くのが早い彼でもタップリ2時間かかったというから驚く。それを聞いて、大ダワへ12時に着いても、土蔵岳まで往復するのは無理だと諦め、せめて大ダワの三角点だけは踏みたいと願った。

915分に山田さんの車が到着する。この車には、思い掛けなく四日市の彼、大久保の長兄、山美人さんや顔見知りの女性二人が乗っていて、合計13名の参加であった。装備を整えると、925分に神社前広場を出発する。こんな辺鄙な部落の神社に立派な駐車場があると思ったら、この神社は、夜叉龍神社と言い、池守護高龍神を奉察する神社で、正保4(1647)に大垣藩主戸田氏鉄公により創建されたと言うから、その歴史は古い。その上、岐阜県十勝遊聖地「夜叉ヶ池」の石碑まで立っていた。神社の裏から北へ歩き、西の尾根の先端まで行くと、尾根には切り開きがあって、上へ登る道が出来ていた。最初から藪漕ぎを覚悟していたので、道を登ることが出来るとは、嬉しい誤算であった。

尾根に付けられた道をジグザグに登って行く。尾根芯に乗ると、道は尾根上を直線的に上へと延びている。地形図を見ると、尾根の等高線の幅は狭く、勾配は急過ぎる程急。山田さんの登るペースは早いので、後ろからマイペースで歩こうと思っていたのに、それを忘れて4番目に位置取りしたのが間違い。最初の休憩地のCa540m地点までは何とか付いて登れたが、最初に無理をしたので遅れがちになり、足はヘロヘロで、最後を登る羽目になってしまった。先を歩く女性達は、チゴユリやツツジの花を見たり、道脇のワラビをみながらの登りだったが、私には、そんな余裕は全く残っていない。ひたすら下を見て喘ぎ登って行くと、やっとテレビアンテナ塔の跡だという道終点の広場へ着いた。

ここから藪尾根の登りが始まる。尾根上には微かに道跡が残っていたが、藪が張り出て遺跡は無いに等しい状態。藪を掻き分けたり、避けたり、邪魔になる枝を選定で切ながら、緩い尾根を西へ登って行く。先程まで上がらなくなっていた足も、藪漕ぎになって、進む速度が遅くなると幾分楽になり、皆の後に付いて歩けそう。それにしても参加した女性群は、弱音も吐かずに先頭に遅れることなく登って行くとは、只々驚くばかりだった。次第に尾根の傾斜が急になり、キツイ藪を抜けると、藪の無い疎林のピークに乗る。このピークがCa730mで、尾根の方向が北へ振るピークだった。

細長いピークを北へ進むと、すぐに細尾根の急登が始まる。僅か標高差50m程の登りだったが、息が切れてならない。尾根の両側には、展望を遮る林は無い。東方の灌木の間から、谷を挟んで戸粕が見え、すぐ目の前には平坦な湧谷山が横たわっている。4年前に金谷さんの例会では、湧谷山へ東の広瀬から登っているが、西からこの山を見るのは、初めてだった。二つの山の間には、天を突くようなピラミダルな形をした蕎麦粒山が間近に見えている。南方には、金山がドッシリと横たわっていた。この雄大な光景を写真に撮った後、急勾配の尾根を登ると、788mのピークへ着く。時間は1045分で、登り始めてから1時間20分。丁度、山頂までの約半分の距離を登ったことになる。

ピークから痩せ尾根を少し下ると、急登が始まる。それまで目立たなかった笹竹も多くなってきたようにも思える。登る急斜面には、ウの花や紫色のタチ20cm程の高さのイカリソウの花や紫色のタチツボスミレがアチコチに咲いていた。Ca850mのピークへ登り着くと、尾根の方向は西へと変わる。ここを登ると藪は灌木ばかりでなく、笹竹が行く手を阻み煩わしい。

藪尾根を少し下ると、二重山楼の尾根。その間に平坦地があり、ピンクのミヤマカタバミの花園。ヤマエンゴサクの花も見た。急な尾根を西へ登って行くと、辺りはブナの疎林に変り、尾根斜面の笹藪は、次第に濃くなってきている。笹を掻き分け登り、やっと、登らなくて済むと思った地点が、Ca920mの尾根先端で、ここから方向を北へ変えて、最後の登りにかかる。この尾根にもブナの木が立ち並び、趣ある林を成していた。

息を整え、水分を補給している間に、皆んなは先に行ってしまう。細尾根を通ると、藪の急斜面が控えていた。前を歩く人達は、山田さんを先頭に一列になって藪の間を登って行ったが、足が重くなっている私にとっては、思うように足を前へ出すことが出来ない。気がつくと、前を歩いていた瀬田の彼の姿も消えてしまっていた。これでは単独の歩きと同じで、自分で判断して、登り易そうな所を選んで登るしかない。登るにつれて斜面は岩ガラの急斜面に変り、灌木が行く手を遮り、笹も太くなり密度も濃くなってきた。ゴロゴロした岩を乗り越えたり、目の前の枝や蔦を潜ったり、跨いだり、迂回したりの登りは、苦行以外の何物でもない。我ながら、良く足が吊らなかったと感心する。

斜面は急で藪が濃く、人の声すら聞こえてこず、前を歩く人達が、どの辺に居るかも分からない。こうなったら、とにかく上へと登るしかない。ルートを見つけながら、目茶苦茶な藪の急斜面をアッチへ行ったり、コッチのすき間を探したり、跨いだり潜ったりして登ってゆくと、もう足はヘロヘロ。やっと急斜面を登り終え、山頂の平坦地に着くと、皆は藪のすき間に陣取って食事をしている最中。私が最後の到着で、皆より5分は遅れて着いたらしい。喉はカラカラだが、欲しいアルコールは持ってきておらず、それでもどうしても欲しくなり、瀬田の彼にせがんで飲ませて頂く。飲んだビールの何と美味かったことか。この藪の急坂の登りで、体力を消耗し、食欲は全く無い。昼食に握り飯でなくソーメンを買ってきたのが正解。ソーメンつゆとお茶で、とにかく胃の中へ流し込んだ。

大ダワの山頂はテーブルランドになっていて、昔の御池岳の状況に似ているが、それより根曲り竹や藪は強烈。大ダワの三角点は、この場所から250m程西へ向かった南外れにある筈。1240分、ザックをこの場所にデポして、4日前に大ダワ三角点を踏んでいる瀬田の彼を先頭に、西へ向かう。山頂の平坦地には林は無いが、小瀧木と太い根曲り竹が密生している。つい先日まで、雪で抑えられていたのか、小指程の太さの笹竹は、東方向に寝ていて、それに逆らって西へ向かうのは、歩きにくいこと甚だしい。右手に延びる尾根を確認して、窪地に残る雪を見て、左へ振って南の出っぱりへ向かうと、笹の無い小さな広場に出て、そこに三角点標石が立っていた。瀬田の彼が居たから迷わず探すことが出来たことで、彼が居なかったら、探すのに一寸ばかりウロウロしたかもしれなかった。

この山の山名は、大ダワ。別にナンノサカ、コヅカダイラとも呼ばれることもあるという。三角点の標高は1067.6mで、点名は「川上」、二等三角点である。標石は南向きで、西へ20度振っていた。藪がキツク、展望は殆ど無かったが、ちょっと南へ出ると、笹藪の間から、西南へ延びる尾根が見え、遠くの低い位置に、土蔵岳のコブを確認することが出来た。藪の中、あんなに遠くまで行くとなれば、2時間掛かるのは当然に思えた。

三角点に出会えて満足し、写真を取り終えると、1310分に引き返す。今歩いてきたばかりの藪だが、見通しが利かず、山頂台地が広いので、ウッカリすると方向を誤るかもしれない。慎重に方向を定めて、ザックの置き場へ戻った。

1330分、下山開始。下りは足のことを心配する必要はなく、皆んなに遅れることなく下る。登りでは、辺りを見渡す余裕が無かったが、下りでは、その余裕が生まれ、辺りの情緒あるブナの林やクロモジの花、タムシバの花を鑑賞しながらの下り。東方の蕎麦粒山の右手に平坦な山形をした黒津山や南に貝月山も見た。途中の藪の急坂も苦にならずに、下ることが出来て、788mの下りでは、もう一度大展望を満喫する。

道終点の広場へは、1510分に帰着。ここからは、藪に悩まされることなく下ることが出来た。登る時には気がつかなかった尾根の急勾配に、よくこんな急な坂を登ったものだと、我ながら驚く。こんな急坂を登ったのなら、足が上がらなくなるのも当然と納得。後ろの彼女たちは、ワラビを摘んだり、コシアブラの葉を採ったりして、今晩の惣菜収集に大わらは。下る途中で、登りで見えなかった山ツツジやウラジロヨウラクの花も見た。神社前広場へは1540分に戻り、ここで解散となった。土蔵岳へ行くことが出来なかったが、一生踏むことを諦めていた大ダワ三角点を踏むことが出来て、幸いとしか言いようが無かった。帰路、大久保の長兄を乗せて名神を走り、18時前には家に帰った。

風呂に入って見たら、転んでもいないのに、腕や足のアチコチに痣が出来ていた。