北の山(新ハイ村田氏例会)

菅並から西尾根を登り横山岳へ                                                        平成220425()

礒部(地形図:中河内、美濃川上、近江川合)

コース 京都駅7:409:50菅並東バス停10:0010:40点名「菅並」④→11:10545m 12:10 Ca770m12:4513:15971m 14:00横山岳西峰→14:20横山岳(1131.7m)14:35 15:45鳥越→15:35小市谷→16:55林道終点→17:05菅並東バス停17:2019:35京都駅⇒20:10小倉

久しぶりに村田さんの例会へ参加した。登る山は横山岳。横山岳へ登るのは、平成124月に、墓谷山を踏んでから三高尾根を単独で登った時以来のことだから、10年振りに訪れることになる。10年前、横山岳へ登るには、杉野部落北の網谷登山口から白谷を登る谷ルートと、鳥越から三高尾根を登る尾根ルートの2ルートしか無かったが、その後、東尾根を登るルートが開かれて、谷コースを登るより簡単に横山岳へ登ることが出来るようになったと聞いている。極く最近になって、余呉トレールクラブの手によって、菅並から西尾根を横山岳へ登り、鳥越峠の南から尾根を小市谷へ下るルートが開かれたが、今回の例会では、その新ルートを辿る。ちなみに、余呉トレールとは、新道野を出発点にして、中分水嶺になっている福井滋賀県の県境尾根を夜叉ヶ池まで歩く道のことである。10年前の山行では、思い掛けなく横山岳山頂で村田さんにお会いし、今回は村田さんの例会に参加して横山岳へ登ることになるとは、何かの因縁を感じずには居られなかった。

京都駅を740分に出発。この日の参加者は42名で、補助席を使用する程の満席。参加者の半分程は名前も知らない人ばかりだったが、鈴鹿のサブや鈴鹿の仲間達の顔があるのは心強い。南インターから名神へ乗ると、多賀SAで早くもトイレ休憩。北陸道を走って木之本インターで下りると、ウッデバル余呉に寄って、余呉トレールの地図を購入。そこで今回のルートを案内してくれる壇上さんを乗せると、下丹生から高時川沿いの道を北上する。菅並東バス停広場に着いたのは950分。ここがこの日の出発点であった。

点呼をとると、10時に出発になる。山頂までのコースタイムは3時間30分とあるので、山頂で昼食を取るのは、無理な話だった。バス停から白谷沿いの道を東へ向かい、林道に合うとキックターンして林道を西へ登って行く。10年前、北の尾根にある点名「桑樹谷」へ登った時には、この谷を更に奥へ入って、北の急斜面を登った筈だが、その時にこの林道があったかは、全く記憶に残っていない。道脇のタチツボスミレ、ミヤマキケマンやヤマブキ、キブシの花を見ながら尾根を巻いて東へ向かうと、道標が立っていて、浅い谷の崖に、縄で巻かれた丸太が梯子代わりに下がっている。そこが尾根の取り付き地点。

不安定な梯子を登って急斜面に取り付くと、所狭しと一面に咲いているイカリソウの花園。それに負けじとヤブレガサも一面に葉を開いていた。花を踏まないように、気を使いながら急斜面を這い上り、やっと傾斜が緩くなると尾根に乗った。そこには三角点が立っていた。標高373.0mで、点名は「菅並」四等三角点である。ここまで30分程で登る予定が、40分も掛かってしまったとは、後が思い遣られてならなかった。

尾根を東へ登って行く。地形図ではあまり急には読めないが、地形図で見る以上に急な道跡が尾根に付いている。道にケーブル線が這っている所を見ると、テレビアンテナ塔用の道を借用してルートにしたものらしい。道の両側は低い冬椿の群落で、花は今が満開。次第に尾根の勾配が急になるが、それを我慢して登ると545mの平坦尾根に乗る。辺りは疎林の尾根で、後ろを振り返ると、七七頭ヶ岳や妙理山の全容が見えてきた。

尾根を少し下ると、鹿でも遊びそうな広い緩斜面に出る。そこには一本の見事なケヤキの大木が立っていた。この場所をケヤキ広場と呼ぶらしい。ここを過ぎると次の平坦尾根までは、標高差200mもある急登が待っている。簡単に200mを登ると言っても、その辛さは半端ではない。フウフウ言わされながらも一歩一歩登って行くと、食べ頃のヤブレガサの群落の中に、ポツリポツリとカタクリの花が姿を見せ始める。今年は毎年訪れる小塩山のカタクリを見に行ってないので、カタクリを今年見るのは初めて。花を見ることで疲れを忘れさせながら、「まだか、まだか」と登って行くと、やっとCa770mの平坦な尾根へ乗った。時間は既に12時を廻っており、予定では、横山岳山頂で昼食になっていたが、ここから山頂までは、どう見ても1時間以上はかかるので、空腹に我慢出来ずに、この平尾根で昼食を取ることに決った。尾根には笹竹が残っていたが、笹の間の至る所にカタクリが花を開いている。すぐ北の尾根には点名「桑樹谷」のコブが、南には手の届きそうな所に墓谷山が見えている。空には雲一つない快晴で、昨日までの寒さが嘘のような天候であった。どこからか、ツツドリの鳴く声が、ドラムのように聞こえてきている。

35分の昼食時間で出発となる。まだ尾根の登りの三分の二程しか登ってないので、先を急ぐのは当然のこと。先程より尾根の傾斜が緩いとは言え、食事後の登りは辛い。そう思ってアルコールを飲のを控えたが、辛いことには変わりなかった。辺りはブナの木が多い疎林に変わるが、未だ新芽は出ておらず、枯れ木状の林。下にはカタクリの花は見られなくなり、今度はトクワカソウの花が姿を見せ始める。その花の中に、ミスミソウの白い花も見た。ヤブレガサもまだ残っていたが、傘は小さく、しかもしぽんでいた。急斜面を登って尾根が北へ振ると、何の理由か天狗の森と名付けられている場所。正面には大岩が立ちはだかり、尾根の両側は崖で岩を巻いて登ることが出来ない。何とか足場を探して岩を登り、上の尾根へ着くとそこが971m。右手のすぐ上には、横山岳山頂が見えていた。

「何でこんな所で休むの?」と思いながらも、ユックリと水分補給をし、斜面が急で危険だという道跡を離れて、藪の急斜面を登ると、やっと緩い笹藪の尾根に乗った。尾根には所々に雪が残っている。今回残雪を予想してアイゼンを持ってきていたが、アイゼンは必要なさそう。藪を掻き分け横山岳西峰を踏んで尾根を東へ向かうと、尾根に残るベッタリ雪。空には陽が照り、雪の反射で目が痛い程。慌ててサングラスを取り出す。尾根の北側は林が切れ、この日一番の大展望が広がっていた。まず左手に目をやるとコブの上谷山が見えている。目を右に振ると、左千坊、三国岳、夜叉ヶ丸が三コブに並び、その右奥に三周ヶ岳が天を突いている。正面に、山腹に斑に雪を残している山は、高丸なのだろう。その右彼方奥には、雪を被った能郷白山が霞んでいる。右手の尖っている山は蕎麦粒山で、その右の比較的平坦な山は、脇谷山や五蛇池山ではなく、天狗山の並びなのかも知れない。5月に登る土倉岳は、横山岳東峰の尾根に隠され見ることが出来なかった。「空気が澄んでいれば、白山も見ることが出来る。それにしても、こんなにクッキリと美濃の山々を見るのは珍しい」と壇上さんが言う程、素晴らしい景色だった。展望を堪能した後、雪渓を歩き、藪を掻き分け東へ向かうと、横山岳山頂。山頂には厚い雪が残っていて、二等三角点、点名「横山岳」の三角点漂石は雪の下。10年と同じように、三角点漂石に会うことが出来なかったのだった。

横山岳は、白山修験道の流れをくむ古代山岳信仰の地で、古くは横山岳に降臨された大山祇命を推古天皇二年(594)に経ノ滝に祀り、五銚子ノ滝には大山祇命降臨の霊木と奥の院、経ノ滝周辺には多くの堂宇があったと伝えられているが、この山が山岳信仰の山だと知る人は少なく、その遺構や堂宇跡を、全く見ることが出来ない。

山頂で15分程過ごし、1435分に下山に掛かる。下るルートは三高尾根で、西尾根と同じように急勾配の下りが続く。登りに比べて下りは早いので、前から5番以内に順位をとって下ることにした。最初は、雪解け水でドロドロであった道も、少し下るとシッカリした道になる。山頂付近では、花は殆ど見られなかったが、10分も下り、横山岳一番と言われるブナの木を過ぎると、下にはトクワカソウ花が姿を現し、下るにつれ花の群落も多くなってくる。10年前にはこの尾根道で、カタクリを見た記憶があったが、「カタクリは消えて無くなったのか?」と思いながら下っていると、いつの間にかトクワカソウの花は無くなり、カタクリの花が斜面に一杯に姿を見せてくれるようになってきた。一時は、カタクリとトクワカソウ、ヤブレガサが共演している斜面も見た。やがてカタクリの花も見なくなると、枯れ木状の木に、タムシバやクロモジ、キンキマメザクラ花も見る。急坂を下って平坦な尾根に乗り、標高点800mを過ぎた左手の展望の良い尾根で休憩となる。尾根の左下には所々に雪が残っている白谷が見下ろせ、谷奥に流れ落ちる五銚子ノ滝が見えいたが、経ヶ滝は見えず、滝音だけが聞こえてきていた。

東南の方向に金糞山を、手前に崩谷、己高山の尾根を眺め、足の疲れを癒すと出発の号令が掛かる。急な尾根を木に把まったり、固定ロープの助けを借りて下って行くと、何時しかカタクリの花は見なくなり、道の両側にはバライチゴの黄色い花が姿を見せ始める。この辺りに生えているヤブレガサは、背丈も高く育ち、葉も大きく育っている。ひたすら足下に気を配り、下りに下ると鳥越へ下りた。鞍部の南斜面には、ヤマエンゴサクやミヤマキケマンが咲いている。振り返ると、今下ってきた尾根が、壁のように見えていた。峠から南へ尾根を登る。杉野登山口へ下る道は、一段上のコブから左へ分岐している杉林の尾根道を登り、次のコブ下まで来ると、右手に新しい道が分岐していた。その道に入って、「これから下りになる」と喜んだのは早計で、斜めに登ったりジグザグに下ったりしてシンドイ限り。山腹を切るように西へ向かい、最終に北西へ延びる尾根へ乗った。こんなことなら墓谷山への尾根を599mまで登り、そこから屋根を下った方が、どれ程スッキリしたか分からない。尾根に乗ったら、ひたすら杉林の作業道をジグザグに下って行く。いい加減同じようなジグザグ道を下るのに嫌になってきた頃、左下に谷が近付き、やマルリソウやクロバナエンレイソウを見て尾根を右に巻くと、右側の小市谷へ下る。

谷を渡って、右岸の杉林の中を下流へ向かう。踏み跡らしいものはあるが、ハッキリ付いていない。踏み跡のままに左岸へ渡ると、一寸した平坦地があり、そこにはコゴミがアチコチに生えていた。葉の先が伸び切っていたものも多かったが、葉の丸まった物だけを歩きながら摘んで行く。その先で右岸に渡ると、足下にワサビが点々と花を開いている。それも晩のおかずに摘んで行く。最後に左岸へ渡り、100mも歩くと林道に出た。この間に食べる分だけ山菜を摘んだが、リーダーに知れると何を言われるか分からないのでザックにしまう。林道を10分も歩くと、菅並東バス停へ戻った。時間は175分であった。帰路、バスの一番後ろの席に陣取り、瀬田の彼とそれまで我慢して飲まなかったアルコールを痛飲し疲れを癒す。京都駅には、1930分に帰り、解散となった。

横山岳新ルートの歩きは、急登、急降下が続くシンドイ山行きであったが、標高によって違った花が咲き乱れる状況を、目の当たりした花見山行の一日であった。