京都近郷の山(新ハイ金谷氏例会)

途中越から大尾山                                                                           平成170312()

磯部記(地形図:大原))

コース 出町柳7:458:30三谷口8:4010:05魚の子山(A552.4m)10:20小出石越→10:50伊香立越10:5511:25鞍部昼食12:0012:45大尾山12:5014:05音無の滝15:1514:30大原バス停14:5015:20国際会場

比叡山から北に延びる尾根は、伊香立途中町まで続いている。大比叡から横高山、水非山を経て大尾山までの尾根はハイキングルートになっているので、歩いたことのある人も多いが、大尾山から北の尾根へと足を踏み入れる人は少ない。こんな県境の尾根を、昨年4月以来、1年ぶりに行われる新ハイ金谷さんの例会で、途中越から大尾山までを歩く。

745分出町柳発朽木行きのバスに乗り三谷口で降りる。三谷口は途中越手前の西へ延びている三谷の入口で、天ヶ森の登山口に当たっているバス停である。「三谷」は古い文では「見谷」と書かれていたが、何時の頃からか「三谷」と書かれるようになったという。ちなみに見谷は深谷に通じている。ここから車道を700mも北へ歩き、右手の林道を奥へ入った道広場で点呼、この日のルート説明が行われた。表題通りなら、途中越から斜面へ取付くのだが、道の無い藪の急斜面なので、この林道を利用して尾根まで登り、魚の子山の三角点を出発点としようと言うものであった。この日の参加者は思いがけず多く、56名の大人数の山行となる。この中には見知った人の顔も数多くあった。

この林道を入った谷には破線が尾根まで延びているが、今では廃道になっていて道は無い。14年前に魚の子山へ登った時にも道はすぐ消えてしまい、藪の沢登りを強いられた。今回の例会ではこの谷道をとらずに、林道を遡る。この谷を入れて三つの谷を左に見て、尾根を廻り込んだ先の仙道に取付く。尾根に乗ると、今まで曇っていた空から激しくアラレが降って来て、皆は慌てて雨具に身を固める。そこから急勾配の左の伐採斜面をジグザグに登り、北の尾根に乗り換え、仙道の終点から藪の急斜面を這う様に登ると緩い尾根。その尾根を登ると何処から来たのか林道が走っていた。その林道を北へ向かい、ピークを廻り込んだ所から尾根鞍部に登り、北へ尾根を150mも歩くと、魚の子山三角点へ着く。丁度1時間の登りであった。

魚の子山山頂は林に囲まれ、展望は全く無い。この三角点へは14年前にスニーカー履きで林道から谷を詰めたのと、8年前に途中越から県境を辿って登ったことがあるので、今回で3回目のお目見えと言うことになる。三角点は昔と変わらず広場の西の端に立っていた。標高は552.4m、点名は「小出石」、三等三角点である。標石は西南向きで、西から30度南へ振っていた。この山の名前は「魚の子山」、一つ北のピークを「宮めずら」と呼んでいるが、今西先生がこの山へ登った時には無名峰だったと聞いているので、名前が付けられたのはその後。山名の由来は全く不明としか言いようがない。

「登りに降り出したアラレは何時しか雪に変わっていた。寒さは厳しく、写真を撮り終えるとすぐ出発となる。尾根を引き返し、ピークを越えるとすぐ右下に林道が見えている。「林道を歩けば良いのに」とボヤク人もいたようだが、構わず尾根の踏跡を進む。地形図では平坦に見える尾根には小さなアップダウンがあり、微妙に畝っている。歩く尾根は杉や桧が交互に来るような林で、天気が良くても展望は望めない尾根だった。

531mは間違い易そうな広いピーク。忘れた杖を取りに行って、遅れて歩いてきた守山の彼が真っ直ぐ進んでしまい、慌てて引き戻す。左へ緩く下って右手の尾根に乗るのが難しい。乗った尾根は細く、杉の林の尾根。そこに咲いていたマンサクの花が、寒さを和らげてくれているようにも思えた。雪は相変わらず降り続いている。

右手に走っていた林道は、何時しか消えてしまった。歩く尾根には幾つもの深い穴が開いている。猪を捕る落とし穴だと物知り顔に話す人がいたが、その真偽は定かで無い。尾根を下り出すと古い道跡が現れ、その道を辿ると、やがて鞍部で左の尾根へと向かって行く。8年前、道なりに下ってしまい、間違いに気付き引き返した地点で、小出石越と呼んでいる峠だった。尾根の両側に古い道は残っているが、何処へ出るのかは分からない。

西南へ緩く登り、ピークを一つ越えると、両側が切り立つ崖になっている峠に下る。ここが古知谷から滋賀の伊香立へ越える伊香立越である。この峠から足を滑らせ右足を捻挫した八尾市の彼が離脱する。丁度体調が良く無いと言っていた北山に詳しいあの人が、一緒に下ると言ってくれたので大助かり。そうでなければ一人で下らすわけにもいかず、私が一緒せねばならなかったところだった。ここからは54名で残りのルートを歩く。

伊香立越から南の尾根には歩く人があるのか、それまでの踏跡からしっかりした道にと変わっていた。緩く登って行くと503mのピーク。何時しか地面にはウッスラと雪が敷きつめられ、木々の枝には雪が積もっていた。尾根が右手に曲がる地点まで来ると、そこには標石があり、その上面の丸鋼版には「一級基準点三級水準点No.9大津市」と書かれていた。水準点は標高を測定する標石で、主として国道筋には置かれているが、山の中に設置されるのは多くない。また、一等水準点以外は地形図に表示されないので、その位置を知るには市の測量部に聞くしか無いのかも知れない。

503mを下ると左桧、右手は雑木の林。この日初めて見たリョウブやアセビの美しい雑木の斜面が広がっていた。それに見とれていると、前を歩く太秦の彼女にぶつかりそうになる。ビックリして見ると、彼女は立ち止まって、8cmもあるような大きな天眼鏡で地形図を覗き込んでいる最中だった。「あんなものを使わないと見えないとは~。ヒョットして姿、顔に似合わずお年を召して居られるのでは?」ともう一度顔を見る。それにしてもメガネ無しで地形図を読むことが出来る自分の目が喜ばしい。

1125分、ピークから左へ下った細い尾根鞍部で昼食となる。この地点は、それまで吹いていた風も感じられない静かな鞍部だった。といっても寒いことには変わりはなく、持ってきた物を全部着込んでの食事。折角担いできたビールを飲む元気はどこえやら。瀬田の彼に頂いたホットコーヒーにブランデーをガッポリ入れて、中から体を暖める。何時もはゆっくり寛いで食事にかかる吹田、北区の彼女や守山の彼などは、あまりの寒さに立ったままで、足踏みしながら食べていた。

食べ終るとすぐパッキング。背中が寒くて、ザックを背負って出発を待つ。守山の彼も同じような心境なのか、12時になると、もたつくことなく出発出来た。目の前のピークを下ると左下に林道が現れる。平成3年の地形図には、これまであった林道の記載は無く、新しい地形図を見て歩かなければ、戸惑うことが多いことを実感する。そこから先は急勾配の登りの連続だが、食後の登りは思った以上に息が切れ、足が重く動かない。おまけに斜面にはウッスラと雪が積もっていて、後を歩く程道が滑って登りづらい。ひたすら滑らないように一歩一歩登るしかなかった。630mのピークで滋賀県側へ下る登山路を分け、登りにかかると右斜面は若い桧の林。8年前には、この右手は植林斜面で、後に焼杉山や天ヶ森、霊仙山権現山と見ることが出来たのに、今では桧林に遮られ、展望を望むことは出来ない。送電線鉄塔まで来ると東方は開けるが、相変わらず雪が降っており、ガスに視界が遮られ、見えるのは白一色だけ。その先、緩く登ると大尾山山頂だった。

大尾山三角点は点名「大原村」で二等三角点。標高681.4mある山である。この日は大人数で訪れたので騒がしかったが、二三人で来ると、都会近くにありながら深山を満喫出来る山と言えるだろう。この「大尾山」の読み方は、山のガイドブックに「だいびさん」「だいおやま」「おおおやま」など、様々にルビを付けられているが、大津市の地名調書には「おおびやま」となっているそうで、こう読むのが正当なのかも知れない。別称には「童髯山」もあるが、この山名の根拠はないと聞く。また、山名は柴田氏によると、滋賀県では昔から「梶山」と呼んでおり「梶山」が正しい。「大尾山」は「梶山」が間違って書かれたものと主張されているが、地形図に大尾山と書かれ、既に周知されている現在、地形図に書かれている山名が修正されるのは難しいかも知れない。

山頂から大原へ下る。下るルートに尾根道と谷道があるが、尾根道は歩いたことがなかったので谷道を下った。急勾配の小さな尾根を滑らないように注意して下ると、谷へと降りる。そこには、その苦労を労うように、ミツマタの花が我々を迎えてくれた。谷を下り本流に合うと、上にはアチラコチラに雪を被ってマンサクが咲いていた。滝の横の岩場には一面にイワタバコが花を潤いていたがこの時期にはイワタバコの陰すらない。