鈴鹿の山(岩野氏個人山行)

花を訪ねてリョウシ、コザトヘ                                       平成180504(晴れ晴)

磯部記(地形図:高宮、篠立、霊仙山)

コース 小倉5:507:50栗栖道広場8:158:40保月9:159:30白谷出合→11:55リョウシ(722m)13:00→(木通原) →14:10コザト→15:35白谷林道→16:15白谷出合16:25⇒16:55栗栖道広場17:0518:35小倉

岩野さんの花を訪ねる個人山行、奥島山、高取山は、毎年5月の連休に行われている。この時期がウラシマソウ、ムベの花、ヤマシャク、エビネやその他春の花の見頃に当たるのだが、今年は例年と違って大雪に見舞われ寒さが残り、各地とも花の咲くのが10日から半月遅れている。奥島山へは家内を連れて2年連続で訪れ、あのグロテスクな花を見るのも飽きたので、今回はヤマシャクを見る高取山への山行へ参加することにした。ただ、5日程前に下見に行ってくれた人の話によると、目的のヤマシャクの花は全く咲いていないとのことで、何処を歩かせてもらえるか分からない。それでも行けば、岩野さんのことだから、何処か花のある場所へ連れて行ってくれると期待して、参加したのだった。

連休後半初日の3日、名神は大渋滞に見舞われた。翌日の4日も混むかも知れないと思い、名神に乗らずに信楽廻りで行こうと、6時前に家を出る。ところが道は予想以上に空いていて、愛東道の駅で停まって朝飯を食べたのに、750分には栗栖手前の道広場へ着いてしまった。この日の参加者は18名で、珍しくも八日市の彼が参加していたが、町内の役に真面目な守山の彼の姿は無い。参加者は何れも岩野例会ファミリーのみ。

830分、5台の車に乗り合わせ、五僧越の道を通って白谷出合へ向かう。これまでなら安原経由で走るのだが、橋が落ちて通ることが出来ず、保月を廻って行くしかなかったのである。花を散策する山は、リョウシから南へ延びる尾根に決まったと聞いたが、まさかコザトを踏んで白谷林道へ下るとは思ってもいなかった。このルートは平成10年の12月に岩野さんの例会で、権現谷からリョウシ坂を登り、リョウシ、コザトを踏んで笹峠へ抜けたことがあったが、ルートの詳しいことは忘れてしまっている。また、コザトから白谷林道への下りは、初めて歩くので、何か得をしたような気分であった。

クネクネと細い車道を走り、登り詰めると杉坂峠。峠には多賀神社の御神木が立っている。それを横目で見ながら道を下り、廃村に近い杉の部落を過ぎて、こんなにも遠かったかと思う程の車道を走って、地蔵峠を越えると保月集落。そこの広場で一旦停車する。この時期に、何時も斜面一面に咲いているイワカガミを見ようと停まったのだが、花の姿は見えない。辺りを散策し探すと、あるのはミヤマカタバミとニリンソウ、トウゴクサバノオの蕾だけ。たまたま、そこに生えていた葉が開いてしまったコゴミを教えてあげると、私なら摘まない様な開いた葉の先っぽを、「柔らかい」と言って女性達が摘んでいた。

915分、権現谷、白谷分岐の広場へ移動する。そこから尾根を登るのである。橋を渡ってすぐ、右手のガレ場に取付く。チョット油断すると、滑り落ちそうな岩ガラの急斜面で、ひっきりなしに小石が斜面の下に転がって行く。殆どの人達はガレ場の左手を登ったが、二人だけは右端を直登し、先に上の斜面へ出る。例年ならガレ場の上斜面にはエビネの花園をアチコチに見ることが出来るが、今年は芽が出ているだけで、花が咲くには程遠い状態。辺りを見渡すと、ヤブサンザシの花の下に、ヒトリシズカやミヤマハコベが花を開き、可愛らしいウラシマソウも花を付けていた。

ガレ場を登るのが遅い人がいるのか、なかなか全員が揃わない。遅れている茨木の彼女に「最後か?」と聞くと、「瀬田の彼がGPSを落したので、探しに下った」との返事。暫く待つと、「見付からなかった」と落胆した顔をして登ってきた。上から見たのでは落とし物は見付かりにくいので、帰りに皆でガレ下から登って探すことにして、出発した。花を探しながら急斜面を登り、上の平坦地でフデリンドウを見ながら休憩。後には鍋尻山の斜面がそそり立っている。そこから更に急斜面の登りが続く。尾根はカレンフェルトの岩の尾根に変り、苔むした岩を廻り込んだり、踏み越えたりの登り。不安定な登りで、緊張の連続だが、岩の間に咲くヒトリシヅカやミヤマハコベが張りつめた気を和ませてくれる。岩の上にはフウロソウの葉をアチコチに見たが、蕾さえも出ていない。岩の上に咲いていたのは一か所で見たミメレンゲだけ。

二回目の休憩をとり、登り出して暫くすると、「ストックを忘れた!」と鈴鹿のお嬢。休憩場所に忘れたとのことだった。稲沢と吹田の彼女に「一緒に行ってあげたら~」と促されて、老躯にムチ打ち休憩場所まで下ったが、ストックは無い。彼女は更に下まで探しに下ったが、見付けることなく、フウフウ言いながら登ってきた。「無かったし諦める」と言って、ザックを置いた場所近くまで戻ると、後から「あった!」の声。ストックはザックから僅か20m程の所に落ちていたのだった。休憩後にストックを手に持って出発し、歩く途中で落して分からないとは、どう考えても不可解としか言いようがなかった。

ピークを越えて更に北上する。二ヶ所でヤマシャクを見たが、まだ蕾は堅い。尾根の傾斜は緩くなったが、岩の尾根には変わりはない。足元に咲く花をサツキノヒナノウツボ、ツルカノコソウと教えてもらい、写真を撮りながらの登り。次第に高みへと登ると、後には鍋尻山が全容を見せ、前方には霊仙山の近江展望台から西南尾根が姿を現して来る。その左手には先日登った猿ヶ山の尾根や、鉄塔の立っている向山も頭を覗かせていた

フウフウ言いながら岩尾根を登り、右手から杉の林が来ると、やがてリョウシと呼ばれている・722mのピークに着く。この名前の由来は、安原の人に聞いても分からないと言うが、リョウシ坂、岩尾根、722mの東のピークにある岩から見て、「霊祠」ではないかと岩野さんは推測している。このピークから西へ下った岩峰の上に陣取り、辺りに広がる雄大な光景に酔いながら、昼食を取った。目の前に霊仙山の近江展望台から最高点、岩ノ峰までの斜面が立ちはだかり、目の下には権現谷、芹川が刻まれている。西から南には、ヒヨノ、鍋尻山と続き、遠くに高室山の頭が見えている。日は暖かく風もなく、山日和と言って良かった。こののどかな空にイヌワシの姿が見られたら、最高だったに違いない。足元にはミヤマハタザオが白い花を可憐に咲かせていた。

至福の一時を過ごし、13時に出発となる。リョウシから北へ向かうと、次の小ピークには形の良い岩が鎮座していた。更に緩く下った台地は木通(アケビ)の原。折角、木通の花を見に来たのに、一本だけ蕾を見ただけで、花はまだ咲いていない。ここからの下山路は行者谷へ下る案も出されたが、最終的にコザトへ登って、白谷林道へ下ることに決定した。少し尾根を戻って、東へ向かう広い尾根へ乗る。尾根は杉の林だったが、登りにかかると雑木の林に変わる。足元にはイワカガミの蕾がアチコチに見られ、上にはタムシバが残っていて、ミツバツツジやサクラまで咲いている。尾根の方向が北に変わると、初めて花の開いたイワカガミと一輪のヤマシャクに出会う。花を見ながら尾根を登ると、東の展望が開け、烏帽子岳、双耳峰の三国岳、藤原岳に御池岳がモヤにボ~っと霞んでいた。尾根を緩く右手へ廻り混んで登るとコザト山頂。その東端に三角点は立っていた。

標高829.9mで、点名は霊仙山の南に位置するのに「霊山」である。標石は北東を向いていて、北から60度東へ振っていた。このコザトという山名の由来は分かっていないが、地元では高尾山と呼ぶ人も居るとのことだった。

下山路は山頂から東~南東へ延びる尾根を下ることになった。雑木と杉植林の境界尾根で、傾斜が急である上、植林斜面には枝打ちされた枝が散乱し、歩きにくい。両サブと私が先頭になって下って行くが、「登りでは何時も最後でフウフウ言いながら登るのに、下りになると先頭に立つなんてどうなっているの」とあの人に冷やかされてしまう。急斜面を下り、段地に下りると杣道が現れたが、その道は急斜面の谷へ向かい、消えてしまう恐れがあったので、そのまま尾根を下ることにした。八日市の彼などは「花を楽しみに軽い気持ちで来たのに、例会よりキツイ山行や」とブツブツ。急な尾根を尾根なりに下り、植林が切れ、シャクナゲの尾根に突っ込むと、突然尾根は無くなり断崖が足元に~。そこは大岩の上でこれ以上は下ることが出来なかった。

植林の斜面まで登り返し、南の谷へと急斜面を下る。あまりの勾配のキツサに、4人が西の尾根を下ろうと更に尾根を登ったが、残りの人達はその急斜面を下った。谷に降りて振り返ると急斜面には違いなかったが、少し東へ振ってしまうと岩の壁で、ここしか下ることが出来ないと言える様な斜面だった。谷で休んでいると、上へ登った4人と2人は10分程して谷へ下ってきたが、「倒木が多くて苦労した」と嘆いていた。ここから滝横の斜面を下って、白谷林道へと降りる。見上げると、先程引き返した尾根先端は切り立つような断崖の先端。どちらに巻いても下れるような場所では無かったのである。

ここからは白谷林道を、道脇のタチツボスミレ、ヤマルリソウを見ながら下る。道が右岸から左岸に変り、水の流れる崖脇には、キクザキイチゲの花も見た。主婦に戻った人達は、イタドリ採りに忙しい。暫く林道を下り、谷の畔に葉の巻いた出たばかりのコゴミを見付けに教えると、たちまちそれを摘みに集まる主婦達。あまり良い状態のコゴミでなく、採った全部を食べることが出来るとは思えないのに、袋一杯に採ってどうするんだろうと、人事ながら心配になる。

1615分、白谷出合広場へ戻る。先に戻った人達が落したGPSを探しにガレ場に登ったら、落したと思っていたより下、登り始めてすぐの斜面で見付かったとのこと。これでGPSもストックも無事に見付かり、言うことなし。

保月経由で栗栖西道広場へ戻り、17時に解散となった。帰りの名神は予想以上に空いていて、1835分には家に帰ることが出来た。八日市の彼がボヤイタように、花を見ながら散策したと言うより、例会と何ら変わりない山行だった。