-鈴鹿を歩く347(平成23年第一回岩野氏例会)

松尾寺山、高取山、向山              平成230109(晴れ)

礒部記(地形図:百済寺)

コース 小倉6:208:00愛東町道の駅8:308:45曽川ダム北広場8:50→9:30尾根取付→9:55点名「松尾寺村」10:45→11:35高取山(Ca610m)12:20→12:45向山(Ca630m)12:50→13:30山比古峠13:40→14:10山比古地蔵堂14:20→14:35宇曽川ダム北広場14:40(黒丸SA) 16:00小倉

平成23年最初の新ハイ岩野氏例会「鈴鹿を歩く347」は、宇曽川ダムの北に横たわる松尾寺山、高取山、向山を巡る。このルートは、岩野さんの例会で、平成209月に歩いているが、その例会に私は参加しておらず、松尾寺山と高取山の間の尾根を歩くのは、初めてのことだった。ちなみに、松尾寺山には二等三角点があるが、私は平成125月に、この日の出発点である宇曽川ダム北広場へ車を置いて、単独でピストン往復している。

愛東町道の駅、マーガレットステーションへ集合し、参加費を納めた後、国道307号を北へ走り、宇曽川ダム北側の道広場へ移動する。参加者は27名であったが、連なって走る16台の車は、壮観としか言いようがない。雪の積もった広場へ着くと出欠を取り、850分に出発となった。広場からダム沿いの道を北へ向かい、ヘアピンカーブを過ぎると道分岐。ゲートの横から雪の積もった左の道へ入り、車道奥の谷分岐で休憩を取る。車道は右の谷へ入っていくが、我々はここから左の二股の谷を渡り、山腹を巻いて付けられている林道を進むことになる。私が10年前に松尾寺山三角点を訪ねた時には、この林道は無く、左の谷の南にある藪尾根を登ったが、この例会では林道を辿り、もう一つ南の尾根から取り付くようだ。路面に30cmは積もっている雪を踏みしめ、広い尾根を廻り込み、右に谷を見た次の尾根の先端から尾根へ取り付く。登り始めは桧林の細い尾根に道らしき跡ものが付いていたが、登るにつれて勾配は増してくる。雪の急斜面の登りでは、後ろを歩く程道跡がぬかって滑り易い。フウフウ言いながら15分も登ると、やっと平坦な尾根へ乗った。ここから小さなコブを越えて尾根を西へ向かい、方向を変えて北へ登ったピークが松尾寺山山頂。東は桧林、三方は雑木に囲まれた山頂で、展望は全くなかった。

三角点は広場の中央に立っていた。標高468.8mで、点名は「松尾寺村」、二等三角点である。標石は真新しく、二等の字は左から右書き。シッカリと磁石の南を向いている。この松尾寺山は、秦川山とも呼ばれ、湖東三山の一つである金剛輪寺の裏山に当たっている山である。金剛輪寺は、聖武天皇の勅願により、天平13(741)に行基により創建され、後に円仁が天台密教の道場として再興した寺で、本尊は聖観世音菩薩。以前、寺の境内からこの山へ登ろうとしたことがあったが、道は全く無かった。

三角点から北へ尾根を下る。途中で左の林が切れ、湖東平野に浮かぶ箕作山や繖山を眼下に見下ろすことが出来た。尾根を下ると、尾根の右下に幅2m程の道が現れた。この道を下ると目の前にピークが現れ、道は右へ向かって行く。何人かの人はピークへ直登したが、道を辿ると、一旦右へ向かって尾根に乗った道は、そこでターンして尾根の北側を左へ向かい、ピークの北へ出た。結局、ピークを直登しても同じ地点へ下りたことになる。ここから北へ向かった道は、谷の左斜面を右に下って行くが、先頭は道を離れて目の前の尾根へ入って行く。どう見ても北北西へ延びる尾根へ入って行くように見えたが、前回歩いているサブが先頭なので間違いないだろうと思い後に続くと、藪に入ってすぐ「引き返せ」という声。高取山へ続く目的の尾根は、道が延びている方向で、前回もこの地点でウロウロしたと後で聞いた。道を下ると、道は目的の尾根に添って東へ延びている。この道を下ると、朝に休んだ谷分岐の東の林道に合うと思われる。道が東から左へ巻く地点から尾根へ乗り、急斜面を這い上ると細尾根の先端へ乗る。

尾根に立つと展望が開け、眼下に秦荘町方面を見下ろせ、遠くに白い霊仙山も見えている。ここの標高は450m程しかないのに、尾根には雪が30cmは積もっている。ここから太秦の彼女が、リーダーの指名を受けて先頭で歩き出す。その後に私が続くが、元気な彼女に遅れないように歩くのに、フウフウ。細い尾根を過ぎて、桧林の急な広い斜面を登り左へ向かうと、高取山から505mへ流れる尾根が、目の前に見えていた。ここから幾分緩くなった雪斜面の藪を避けながら登って行くと高取山西尾根に乗る。この尾根には高取山ふれあい公園から来ていると思われる遊歩道が出来ていた。この雪道を東へ登ると、展望台を経て、1135分にやっと高取山山頂。高取山へは8年半振りに訪れたことになる。

空は晴れ陽は出ていたが、高取山山頂は、南の桧林に遮られ、陰になり寒さが厳しい。この先へ進んでも陽の当たる場所が見つかる保証がなく、この山頂で昼食となる。道の雪を踏み固め座り込むが、とにかく寒い。こんな時には、家では特に美味いとは思えないカップラーメンでも、最高のご馳走に思えるから、人の味覚はいい加減。それにしても、目の前に出された馬刺しや、持って行った正月の余り物である数の子が、何と美味に思えたことか。その上、飲まない筈の缶酎ハイを頂いた時は、言うことが無かった。食べ終ると、最後の締めに甚目寺の彼のコーヒーを味わって昼食は終了。パッキングにかかる。

大部分の人達はまだ食べ終っていなかったが、寒さに耐えられなくなったのか、岩野さんが「暖かい所で待っている」と言うなり、山頂から南の桧林の斜面を下って行ってしまう。これは幸いとサブに声をかけて、すぐリーダーの後を追うと、同じように寒さに耐えられなかった人10人程が、後に続いてきた。山頂から標高差40mも下ると、陽が当たり暖かい場所があり、皆んなは口々に「ここで昼食をしたら良かった」とボヤイテいたが、こんな場所があるとは予見出来ず、今になってはもう遅い。

暫く後続を待つ姿が見えず、ユックリ先へ進むことになる。桧林の尾根を南へ進み、方向が東へ振ると、次第に尾根の勾配は急になってくる。足を滑らせないように注意して登っていると、後ろから「左へ向かえ!」と岩野さんの声。巻き道でもあるのかと思ったら、尾根の左は林が切れた伐採斜面で、素晴らしい展望が広がっていた。目の前には八尾山が横たわり、その後ろに鍋尻山、高室山があり、その左後ろに雪で真っ白になった霊仙山が見えていた。右手に目をやると、ミノガ峠からサンヤリへと尾根が続き、尾根の先端には、何時も見るピラミダルな姿とは程遠い天狗堂の姿が見えていた。これらの光景を写真に納め、もうひとふんばりすると、Ca630mの向山山頂へ着く。以前来た時には、展望は全く無い山頂だと思ったが、今見ると西の方向が空いていて、湖東平野を見下せた。

向山から東へ、太秦の彼女を先頭に下り始める。積雪斜面の下りは、列の後ろになる程雪が固まったり剥れたりして滑り易く、アイゼンが必要だと思うが、岩野さんの例会へ参加する人は、誰もアイゼンを付けると言う人はいない。私もアイゼンを持ってきていたが付けるチャンスが無く、列の前を歩けば新雪を歩くことが出来、滑ることも少ないので、トップの後に続いた。ここから山比古峠までは、地形図では下りばかりが続くように見えるが、実際には小さなコブが幾つかあり、間違い易そうな尾根の分岐も二か所ある。高取山へ登る時、・505mの位置を読み違えて、悔しがっていた彼女のことだから、今度はシッカリ地形図を読み、我々を誘導してくれることだろう。

急尾根を下り、登り返した尾根を北の展望を眺めながら東へ向かうと、尾根の先端から方向を南へ振って再び急斜面を下る。足元に気を取られ、辺りの光景を見渡す余裕など無かったが、時折息継ぎに止まり、前後を見渡すと、アイゼンを付ければ何でもない斜面であったが、アイゼン無しでは、何人もの人が滑って転んでいた。尾根の方向が次第に南へ振ると勾配も緩くなる。辺りは雑木林で、時折、右手の林の切れ目から、宇曽川ダム湖が見えてきた。林の間から送電線が確認出来、低いピークを越えて下ると、送電線鉄塔のある山比古峠へ1330分に着いた。無雪期と違い、向山からかなり時間がかかっている。休憩後、巡視路を南へ下る。ここでも太秦の彼女が先頭で下るが、私は三番目。雪を被った巡視路は分かりにくかったが、急斜面を切って南へ向かい、小さな尾根を越えて、次の尾根を下ると南の送電線鉄塔。そこからジグザグに尾根を下り、右手斜めに道を下ると谷へ下り、谷脇の道を下流に下ると山比古地蔵堂のある広場へ出た。山比古地蔵尊は、昔山姥を退治した伝説のある地蔵尊で、この地方の人達の信仰の対象となり、親しまれてきた地蔵尊である。今ではこの辺り一体は、公園となって整備されている。

地蔵堂を背景に、集合写真を撮ってから、ヘアピン車道を下ると、湖東の流紋岩帯から流れ出た、平成の名水百選にも挙げられている山比古湧水のある場所。暖かければ、この湧水を取水に来る人の姿もあるが、この日が休日ではあったが道に雪が残り、取水する人の姿は無い。ここからダムの北の道を歩き、車を置いた広場へ戻ったのは、1435分。新年最初の岩野さんの例会は、1440分、ここで解散となった。