--鈴鹿を歩く342(新ハイ岩野氏例会)--抜ける ヒキノ、旭山、東山 平成22年10月17日(晴れ) 礒部記(地形図:竜ヶ岳、百済寺) |
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コース 小倉6:00⇒7:40永源寺役場8:00⇒8:35小又谷分岐林道広場8:40→9:30 Ca760m 9:45→10:00・787m →10:35ヒキノ10:55→11:45尾根昼食12:25→12:45旭山12:55→13:45東山東峰→14:00東山西峰→14:10キトラ→15:25政所→15:45小谷分岐林道広場⇒15:05政所⇒16:25永源寺役場⇒17:45小倉 |
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御池岳テーブルランド東端から、南の杠葉尾へ延びる御池川と茶屋川に挟まれた長大な尾根を歩く人は以外に少ない。この尾根には三つの三角点があり、ヒキノへは、小又谷分岐広場から単独で、旭山、岳へは、政所から東山へ登り個人山行で登っている。これまでの岩野さんの例会で、この尾根を歩く例会は3回実施されているが、何れの例会にも参加したことはなく、岩野さんの例会へ参加してこの尾根を歩くのは、初めてのことだった。8時に永源寺役場へ集合。何時もは閑散としている役場前広場は、日本コバで消防団の訓練があるとかで、大賑い。参加者が到着するとすぐ出発し、政所の宮ノ谷林道へ2台の車を置き車し、小又谷分岐林道広場へ移動する。平成15年までの2回の例会では、ノタノ坂から岳まで縦走し、黄和田へ下っているが、今回の例会では、平成17年に歩いたと同じヒキノ、旭山から東山を踏んで、政所へ下るルートをとる。 点呼を済まし、8時40分に出発する。この日のルート案内では、広場からすぐに巡視路に取り付き、尾根の巡視路へ出ることになっていたが、折角だからノタノ坂を通りたいと言う人が出て、判断に迷ったリーダーが、二手に分かれて登ることにした。殆どの人がノタノ坂へ向かい、急ではあるが距離の短い巡視路を登ることにしたのは、リーダー鈴鹿のお兄、奈良の彼、鈴鹿のお嬢と私の5人だけ。当然、巡視路を登った方が時間が掛からないので、甚目寺のサブに、「出来るだけ速く歩くように後ろから追って欲しい」とお願いして、「我々はヒキノで待つ」と伝えて別れた。 道を少し戻り、巡視路の標識から桧林へ踏み込むと、枝が散乱していて、すぐ道は消えてしまう。このルートは、11年前にヒキノ三角点を訪ねた時に登ったことがあったので、谷の左斜面に気を付けて奥へ入ると、すぐ左の斜面にシッカリした道跡が現れた。斜面を何回かジグザグを切り、左へ斜めに登って行き、桧林を抜けて雑木林に入ると、尾根の先端に巡視路の標識が立っていた。以前は、直進して緩い道を登った記憶があるが、今回は急尾根を直登して尾根の巡視路へ出ることにした。急尾根を喘ぎ登ると、761mの南の鞍部から僅か登った地点へ出て、目の前には急斜面が立ちはだかっている。リーダーは遅れて姿が見えなかったが、とにかくも急斜面を登り、Ca760mの尾根先端の平坦地で、リーダーが到着するのを待つ。待っている間、どうした訳か寒くてたまらず、チョッキを着込んだが、震えは止まらない。雨カッパを着るのも大げさで、寒さをじっと我慢した。お嬢は、持ってきたデザートを配ってくれたが、この先、何回か休むと、持ってきた食料が無くなってしまわないか心配している。15分程して、やっとリーダーが登ってきて、もうひと登りすると787mの手前のピーク。まだノタノ坂組は登ってくる筈がないと話していると、どこからか聞こえる人の声。林の間から北の尾根を見ていると、北にある送電線鉄塔広場に、ノタノ坂組が姿を現す。我々が、まだ787m手前でウロチョロしているのに、もう姿が見える所まで来たとは、余程サブに尻を叩かれたに違いなかった。787mからく下ると、送電線鉄塔広場へ出る。東の展望が開け、目の前に銚子岳、静ヶ岳がドッシリと座り、静ヶ岳の右肩に竜ヶ岳が顔を覗かせていた。そこから雑木の尾根を歩き、急斜面の細尾根を登ってコブを越え、もう一度急登して緩い斜面を登ると、ヒキノへ着く。西尾氏によれば、ヒキノという山名は、ユックリ長く尾を引く野があることから「引き野」と書かれ、それ以来、ヒキノと呼ばれるようになったと言っている。 三角点は、広い山頂広場の中央に立っていた。標高843.9mで、点名は、西にある部落名から取った「君ケ畑」。標石は北北東向きで、北から東へ20度振っていた。 この山頂で腰を下ろし、10分もすると、予想以上に早くノタノ坂組が登って来た。我々より、四つも多くのピークを登り下りしているので、多くの人は疲れた顔をしている。女性達は、シンドイ」「シンドイ」を連発。先に到着して待っていた私は、休み過ぎたのか調子が出ず、体のダルサだけが残っている。 10時55分、出発する。尾根を南東へ下り林を抜けると、草原が広がっていた。この宥らかな原があるから「引き野」と呼ばれるようになったのかも知れない。この広場から東西の展望が開け、東には銚子岳、静ヶ岳、竜ヶ岳ばかりでなく、その右に連なる三池岳、釈迦岳、御在所所岳も見えている。西には、間近に天狗堂の鋭峰が聳えていた。 原を突っ切り、西にある送電線鉄塔へ向かって、そこから西の巡視路を下ると桧林へ入る。桧林へ入ると、それまで辿ることの出来た巡視路は消えてしまう。この辺りの地形は複雑で読みにくいが、地形図を見て、東の尾根の縁を西へ向かえば巡視路へ乗る筈と思ったが、すぐにリーダーが巡視路を見つける。巡視路を辿ると道は谷へ降り、谷川を二度渡ると急尾根へ取り付き、再び尾根へ乗った。そこには巡視路の標識が立っていて、あの尾根の南端を歩いても、この地点に出たことが分かった。南へ延びる尾根の東下に付いている巡視路を歩き、正面に東西の尾根を見ると左斜面を横切って尾根に乗り、尾根が南へ振った地点で、昼食となった。展望は全く無い雑木の林の尾根だった。この日は車運転なのに、酎ハイを持って来ていたが、一息に飲むと、思った以上に利いて来たように思えた。12時25分に出発。歩き出してすぐ、山仕事だと言う男の方に出会ったが、この山域で人に出会うのは珍しい。その方は君ケ畑の人だと言っていたが、どのルートを登って来たのか聞くのを忘れた。昼食前のアップダウンの激しい尾根と違って、比較的平坦な尾根が続いている。辺りは雑木林で、巡視路もシッカリして広くなったようにも思える。巡視路の標識のある道分岐を右に取り、静かな雑木林の尾根を緩く登って行くと、旭山へ着く。旭山は、地元箕川、蛭谷から見るとこの山の付近から朝日が昇るように見えることから名付けられた山名だという。地元の字名では、朝日山となっているので、この山を朝日山とも書くと聞くが、鈴鹿の案内書では何故か旭山と記載しており、どちらが正しいかは分からない。以前、この三角点へ来た時には、三角点は巡視路の横の藪に隠れて立ってと記憶しているが、今見ると山頂には藪が無くなり、奇麗な広場へと変わっていた。三角点の標高は、755.6mで、点名は「脇ノ谷」。茶屋川からこの山の北東に源を発する脇ノ谷から名付けられている。標石は西南向きで、南から西へ30度振っていた。 休憩を終えると尾根を西南へ下る。両側が雑木林の尾根道を緩く下って行くと、何の木か分からなかったが、太い木の根本に地蔵尊の彫られた石が立てかけられている。ここが巡視路と分かれて東山へ向かう分岐点。その分岐を右に取ると、それまでの雑木の尾根は消え、両側が杉と桧の尾根へ変わる。初めあった道跡はすぐに消えてしまい、膝程の高さの藪の歩き。低いピークを越えると、桧林の東斜面には、マツカゼソウが一面に咲いている。9年前にこの斜面でナツヱビネを何株も見たのが夢のようで、全くヱビネの葉は残っていない。藪の尾根を歩き、774mを越えて登り返すと、東山東峰へ着く。 東山は、箕川の東にある山であることから、箕川で呼ばれていた山名で、今では一般化している山名である。東山は、三つあるピークの総称であるが、何故か東峰に山名標識が置かれているが、中峰、西峰に山名標識はない。東峰を下り、中峰を越えて下った一寸した広い平坦地が下山地点。ここヘザックをデポして、西峰へ向かい、細い尾根を西へ下るとキトラ山。キトラ山名の由来は分からないが、箕川では、キトラ山はピークを指すのではなく、この山一帯をキトラ山と呼んでいるようだ。 キトラ山を踏んだと言うことに満足し、すぐに尾根の下降点へ引き返す。すぐに皆んなが来るかと思ったが、中々帰ってこない人がいる。やっと姿を現したと思ったら、あのキトラ山の尾根で、マイタケを見つけて採っていたのだという。これまで鈴鹿の山で食べられるキノコを見たのは、シイタケくらいだが、前回のタイジョウでも、今回のキトラ山でもマイタケを採ることが出来たとは、これまでの認識を改めざるを得ない。私も分けて欲しかったが、持って帰っても食べるのは私だけなので、分けてもらうのは止めにした。急斜面の尾根を足を滑らせないように、注意しながら下る。藪はないが、斜面はザレ石で注意を怠ると転んでしまいそう。足を横にしたり、縦にしたりして下るが、足ばかりでなく膝までおかしくなりそう。やっと尾根の傾斜が緩くなると。それまでの雑木の疎林の尾根が変わり、一抱えも二抱えもありそうなモミの大木が立ち並んでいる。モミの尾根を過ぎると伐採地に出て、尾根が左へ曲がると尾根は切れる。地形図ではシッカリした尾根が南西へ延びているが、実際に見ると、尾根の形状をしていない杉林の急斜面。斜面の左端を下って行くと、すぐに古い道跡が現れ、それを辿り下ると、政所の宮ノ川右岸にある茶畑の側へ降りた。時間は15時25分であった。降りた時には膝間接が痛み、体調も思わしくない。とにかく車を取りに行かねばならず、四日市の彼の車に乗せて頂き、小又谷分岐林道広場へ向かう。帰ってきて政所の寺前で、16時5分解散となった。帰りには名神に乗ったが、連休と違って混むことはなく、17時45分に家へ帰ることが出来た。 帰ってからも、まだフラフラするし、そんなに使ったとも思えないのに、肩や膝間接も痛んだので、熱を測ってみると38度もあった。この十数年知恵熱など出したことがなかったので、まさか熱があるとは思ってもいなかった。山行中に寒かったり、体がダルかったのは、山行前半にダラダラ歩いたからでなく、風邪?で熱があったせいだったのだろう。 |
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