--鈴鹿を歩く340(新ハイ岩野氏例会)-- 盤石の丘、日本コバ 平成22年09月19日(晴れ) 礒部記(地形図:百済寺) |
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コース 山科駅6:50⇒7:35愛東町道の駅7:50⇒8:20衣掛林道入口8:35→9:35盤石の丘9:45→10:00林道終点→10:30西衣掛山→10:50衣掛湿原11:00→11:35日本コバ12:30→13:20・897m→13:35明神岩13:45→15:00大良谷林道分岐⇒15:15衣掛林道入口15:20⇒15:35大良谷林道分岐15:50⇒17:15山科駅 |
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岩野さんの例会で、日本コバへ北の大萩から登るルートを歩いたのは、平成13年6月と平成17年9月で、今回で3回目。前回の例会では、出発してすぐ、岩野さんが体調不良でリタイアしてしまったので、山田さんがリーダーを代行して全行程を歩いたが、明神岩からの下りの杉林の尾根で右の尾根を進み、埋室谷へ下ってしまった。その時、尾根を下り始めてすぐに尾根の間違いに気付き、その旨をリーダーに指摘したが、リーダーはそのまま尾根を下る決定をしたのだった。このルートは、新ハイ誌66号、「続・近江側から登る鈴鹿の山々(7)私が書いているのに、間違った尾根へ迷い込んだのは、自責の念に耐えない。もっとも、帰ってから改めてこの案内文を読んでみると、自分では分かっているつもりでも、間違い易い個所が全く書かれておらず、この文章を読んで、間違わずにこのルートを歩くのは、無理ではないかと思われた。今回の例会に参加したのは、間違い易い個所を見ると共に、正しいルートを確認するのが目的の一つであった。 山科駅で二人を乗せて名神を走り、愛東町道の駅、マーガレットステーションへ7時35分に到着する。まだ集合時間に25分もあるのに、殆どの人が到着していた。この日の参加者は24名で、稲沢の彼女はいたが、守山の彼、吹田、鈴鹿のお嬢の顔は無かった。 7時50分、車を連ね、百済寺前から蛭谷へ越える峠道へ入る。角井峠を過ぎて、大良谷林道分岐手前の道広場へ置き車をし、7台の車に分乗して衣掛林道入口へ移動した。前回来た時には、何も無かった道分岐右奥に広場が出来ていて、舞台ばかりでなく階段状に座る椅子が造られていた。近くに皇学園があるが、これに関係する宗教施設なのだろうか。8時35分に出発する。出だしから暑かったが、岩野さんの調子は良さそう。これから歩く林道は、登山者の間で箕川道と呼ばれていた通称衣掛山から筒井峠へ延びる尾根道に、平成11年に愛東町が造成した林道で、その途中のCa840mには、「盤石の丘」と名付けられた展望台が造られている。その展望台へ車で行くことを想定し、比較的道は平坦であるが、最近、あまり来る人がいないのか、道は荒れ気味。道脇には綿毛を付けたダンドボロギクが途切れることなく続き、マツカゼソウの花も咲いていた。ヘアピンカーブを2回通過し、右から来る尾根を右へ廻り込むと、盤石の丘への登り口。北へ向かって標高差30mも登ると展望台で、広い広場にベンチが置かれていた。この日は天気も良く、ここからの展望は申し分なし。北方遠くに霊仙山が見え、その手前に鈴ヶ岳、御池岳、藤原岳が並んでいる。その前にある三角錐の山は、前回登った天狗堂。東には、銚子岳、静ヶ岳、竜ヶ岳と連なり、石榑峠にある電波塔の右に三池岳、釈迦ヶ岳の姿もクッキリと見えている。目の前には、10月に例会で歩くヒキノのから旭山へかけての尾根が、間近に畝っていた。十二分に展望を楽しんだ後、林道へ戻り、15分も歩くと林道終点で、ここから尾根へ取り付く。急な桧林の尾根には、9年前と同じ「ありがとうございます大自然の全てに愛と感謝を」と書かれた30cm程の真新しい白い杭が立っていた。急尾根を登り、平坦尾根で息を整えた後、緩い尾根を100mも登ると、政所へ下る登山道のある尾根に乗った。尾根を西へ向かうとすぐ、「衣掛山」と書かれた標識の下がっているCa870mのピークを越える。右桧、左雑木の疎林の尾根を歩き、小さなコブを二つ越えると、左に藤川谷道へ向かう道分岐がある。その分岐から直進して尾根を登ると、二つ目のピークのCa890mにも「衣掛山」と書かれた標識が下がっていた。「衣掛山」と表示されたピークが二つあることになる。西尾さんは、著書「鈴鹿の山と谷」の中で、ピークを特定出来ないとしながらも、Ca870mのピークを「衣掛山」」としており、それを踏襲して、岩野さんの「近江から登る鈴鹿の山々(37)」でも、「続・近江側から登る鈴鹿の山々(7)」でも、Ca870mを「衣掛山」と書いたが、その後、過去に地元で呼んでいた「衣掛山」は、日本コバの最も高いピークと思われていたことから、Ca890mのピークを「衣掛山」と呼ぶようになり、岩野さんも西内さんも私も、Ca890mを「衣掛山」としているが、どちらのピークが昔から呼ばれていた「衣掛山」であるかは、今もってハッキリしていない。 二つ目の衣掛山から「く」の字の尾根を歩き、西へ下った鞍部から、尾根を離れて左にある溝状になっている谷を下る。ヌカルンダ谷底を避け、谷脇を下ると、すぐに湿地帯西端の谷分岐へ下りた。ここは藤川谷の源頭に当たる地点で、以前は山靴では歩きにくかった湿地帯も、今年は雨が少なかったからか、湿地帯らしからぬ平坦地に変わっていた。辺りには、以前に見たアケボノソウは消えて、マツカゼソウが一面に生い茂っていた。50mも東へ向かうと、「衣掛の泉」と名付けた泉があったが、今では泉は無くなり、ヌタ場が出来ている。谷を何度か渡ってマツカゼソウの原や、岩野さんがイヌノヒゲ(コイヌノハナヒゲでは?)と呼んでいる草が生い茂る原を横切り、湿地帯の端から林を抜けると、如来堂から来る藤川道の一般道へ出た。この辺りの日本コバへ向かう登山道は、一般道とは言え、地形図には正確に記されておらず、初めて登って来た人には迷い易い地点かも知れない。谷に沿って山際を東南へ歩き、右手から来る谷を渡ったら、862mの西の鞍部を目がけて登る。後は美しい疎林の急尾根を登るだけ。と言っても、腹の空いている体には力が入らず、何度となく、写真を撮ることを口実に、立ち止まって休まざるを得なかった。喘ぎながら登ると、11時35分にやっと日本コバ山頂へ着いた。 リーダーが到着する前に、皆んなは腰を下ろし食べ始めていたが、私は最初に恒例の毎くに、三角点の写真を撮る。標高934.2mで、点名は「日本コバ」で、標石は東を向いていた。広場にあったアセビは切られ、明るい広い広場になっていたが、北の林の切り開き_日本コバの「コバ」は、「木場」ではなく、憩い場から転訛した良い休み場を意味する言葉であると言う。山名の由来は、『昔、二人の木樵がこの山へ登った時、広い山頂に出て、あまりの見晴らしの良さに「良いコバじゃ」「日本一のコバじゃ」と言ったことに由来する』と伝えられている。別に、昔、この山周辺は、木地師の仕事場に当たり、山頂まで二回休むと登ることが出来る山であることから、「二本コバ」と呼ばれ、それが転訛して「日本コバ」になったと言う説もある。政所に残る古い文献によると、木地師最盛の時代にこの山は、「藤川山」と呼ばれていたようである。 ユックリと山頂で寛ぎ、リーダーの指名を受けて私が先頭に立ち、12時30分出発する。山頂から雑木林の平坦な尾根を北西へ向かい、左へ緩く下って細尾根へ乗り、登り返すと松尾谷へ下る道の分岐。そこには「日本コバまで1km」の標識が立っていた。そこから尾根の方向が北へ振り、左杉林の尾根を歩くと永源寺方面への分岐ピークで、ここまで先程の標識から300m程しか来ていないのに、「日本コバまで2.5km】と書かれた標識が立っていた。この標識は、大萩にある学校が廃校になる前、小学生が遠足で権現谷、埋室谷の中間尾根を登って日本コバへ登るのに開かれた道に設置した標識だと聞いているが、日本コバまで1kmは合っているが、2.5kmと間違った距離の標識が立てられたのは分からない。この分岐ピークから、右の尾根へ向かおうとすると、後ろから「左だ!」と岩野さんの声。「進むのは右の尾根の筈なのに、おかしいな」と思いながらも立ち止まり、地形図を確認すると、進む方向は右の尾根。「こちらです」と私が言う前に、「ごっちゃんどっちだ!」と岩野さんの声がして、「右です」と後藤さんの返事が聞こえてきた。それを聞いて岩野さんも、左の尾根が永源寺に向かう尾根だと分かった様だ。最初にこのルートを歩いた時に左の尾根を進み、間違いに気付き引き返したことを思い出す。ここから甚目寺のサブが先頭を歩く。一旦尾根を下り、登り返した二つ目のピークが、朝に通った衣掛山へ向かう尾根の分岐ピーク。ここから北へ50mも歩くと897mで、ここで休憩を取った。13時20分、ピークから北へ20mも歩くと、急斜面の下り。一見、尾根が左に延びているように見えるが、その尾根を下るのは間違いで、すぐに尾根は消えてしまう。前回間違った地点で、急斜面を右目に下ると平坦な尾根へ乗った。その尾根を50m程歩き、左に分岐する尾根に乗り、更に尾根を50mも歩くと、尾根先端の左手すぐの所に大岩を見る。この岩が、何のいわれか分からないが、「明神岩」と呼ばれている大岩の展望台である。大岩の上に立つと北方の山々を一望出来る。北方遠くに向山からアカイシの連なりが見え、その左手前には、押立山が座っている。目の下には、これから下る尾根を見下ろせた。 明神岩の東から、急な尾根を下る。尾根にはシッカリと道が出来ていて、道脇には背丈の低いアスナロの木が続いている。急な尾根を下って行くと、尾根分岐が二か所程あったが、何れも微かな踏跡を頼りに左へ下る。急な尾根下りが嫌になってきた頃、やっと勾配が緩くなった尾根へ乗った。辺りは広い杉林に変り、真っ直ぐに杉林の中に尾根が延びている。ここが間違い易い地点で、前回来た時には、この尾根を真っ直ぐ進み、埋室谷へ下ってしまったが、尾根から雑木林に沿って左の斜面を下って、下の「く」の字の尾根へ乗らなくてはならない。地形図の破線は間違って書かれ、「く」の字の尾根を通っていないので、地形図を信じて歩いていると、別の尾根へ乗って迷ってしまう恐れがある。 「く」の字の尾根へ乗って、尾根を歩くと、右手に前回下った谷が見えている。尾根の左下に大杉を見ると、正面にピークが現れる。下りでこんなピークに登った記憶が無かったが、先頭がそれに登ったので、7人程が後に続いて登るが、後ろを歩くリーダーの一団は、このピークに登らずに巻き道を通っていた。ピークに登ったのは間違いではなく、山頂に道標が立っていることから見ると、昔の道は、このピークを通っていたのだろう。尾根を下り、次第にシッカリしてきた道跡を辿り、尾根を北へ向かう。途中、二か所程で尾根が右手に分岐するが、シッカリ踏跡を確認して左へ下り尾根へ乗り、北へ向かって歩く。最後に尾根を離れて右手の浅い谷へ下り、それを辿ると、大良谷林道分岐へ出た。時間は丁度15時で、ここで解散となり、運転手が車を取りに向かった。 分かりにくいルートでも、3回も歩けばシッカリと頭に入る。それにしても、迷うようなコースガイドを書いたことは、今更ながら、冷や汗が流れそうな気がした。 |
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