-鈴鹿を歩く337(新ハイ岩野氏例会)

権現谷林道から白谷林道を歩き笹峠へ          平成220718(晴れ)

礒部記(地形図:彦根東部、高宮、篠立、霊仙山)

コース  小倉6:008:10河内寺院広場⇒8:20安原道広場→9:05奥の権現→9:35白谷橋9:45→10:35コザト登り口10:45→12:05白谷林道ヘアピン上13:05→13:35岩ノ峰登り口13:40→14:45林道霊仙線終点→15:15笹峠15:25→16:00今畑登山口→16:30安原道広場16:40⇒18:25小倉

7月、8月の岩野さんの例会は、通常なら沢歩きの例会になる筈だが、今年は様変わりして、沢歩きは7月の1回だけで、他は夏の花探索山行が計画されている。その上、74日に行うことになっていた元越谷の沢登りは、梅雨の大雨による谷水の増水により中止され、奥島山のカキランを見に行ったと言うから、今年は、沢例会が全く無かったことになる。今回の例会「権現谷林道から白谷林道」は、夏の今の時期に咲く木の花や草花を訪ねながら、安原から権現谷林道を東へ歩いて白谷林道を遡り、白谷林道霊仙線終点から笹峠へ抜け、一般道を歩いて今畑へ下ろうと言うもので、何時もの岩野さんの例会とは違って、急な登りは無かったが、この暑い時期の長い林道歩きは、相当な苦行が予想された。810分に河内寺院広場へ着くと、私が最後の到着。この日の参加者は、遠くの夏山の遠征へ出かけることの出来なかった岩野ファミリィーの12名。この中には、暫く顔を見なかった大府の彼女の顔もあった。私が会費を支払うとすぐに出発し、安原の道広場へ移動した。点呼を取り終ると、820分にリーダーから渡された権現谷林道、白谷林道付近の花情報が書かれたパンフレットを片手に、安原道広場から権現谷林道を東へ歩き始める。パンフレットには、花ばかりでなく、花の咲かない木の名前も書いてあるので、道両側の草むらばかりでなく、林にも注視しながら歩かなくてはならない。林道には、左斜面の谷から、先日の雨で流された土砂が流入してきていたが、素早く県が対処したのか、土砂は道からブルで取り除かれていて、車や人が通るのには支障なさそうだった。口ノ権現を過ぎて、河合不動明王のある大岩まで来ると、何時もはこの大岩の下から湧き出る水が芹川の流れ始めになり、ここから上流は伏流水で、谷床に水を見ることはないが、今見ると、谷にはトウトウと音を立てて水が流れている。これまで何度となく権現谷林道を歩いているが、こんな谷に水が流れる光景を見たのは初めて。他の人達は、そのことを知ってか関心が無かったのか、全く知らん顔。更に林道を奥へ歩くと、両側の山斜面が、道に覆い被さるように切り立ってくる。この狭い廊下状の道を、何時もは車で通るか、時間に追われて急いで歩くので、上を見て歩くことが少ないので分からなかったが、上を見あげると、今にも頭上から岩が落ちてきそうに思え、恐怖心が沸いてきて、こんな危険な所から早く抜け出したいと思う気持ちになってくる。

奥ノ権現へ着く手前の、左へ曲がる角の谷左岸の谷床にはイワギボシが、北岸壁にはコオニユリが花を開き、その先を右に曲がった南岸壁には、ギンバイソウが群生していた。この左下の谷にも水が流れていて、奥ノ権現の鳥居を見るには、谷を渡らなくてはならない程だった。こんなに水が多いのでは、当然行者谷にも水がある筈。分岐から奥へ50mも入った所にある、あの岩の段が滝になっているかどうかを見たかったが、見ることが出来なかったのは残念。橋を渡って道が右岸に渡ると、左の急斜面から流れ落ちた土砂の掻き出しで、道はドロドロ。靴を汚さないように歩くのが精一杯で、全く花など見る余裕すらない。岩野さんに、リョウシ坂の取り付き地点を教えてもらうが、12年前、この登り口でメンバーの転がした落石で、危うく頭直撃を免れたことを、昨日の事のように思い出す。奥ノ権現から30分も歩く間に見たのは、谷床に咲いているタケニグサだけだった。白谷橋へは935分に到着。この橋の下に、紫の小さな花を付けたオニルリソウを見た

945分、白谷左岸の林道を遡る。5月に岩ノ峰から谷山へ登る時、岩ノ峰尾根取り付き点まで、車で40分掛かっているので、歩きなら3時間程は掛かるかもしれない。初めは泥でぬかるんでいた道も、右手へカーブする所まで来ると、乾いた道に変わる。道の右手の斜面には、色んな花が見られたが、道が橋を渡り右岸の道に変わると、野の花は殆ど見られなくなり、木に咲く花が目立ち出す。50分も歩くと、やっとコザトの登山口。ここにある小屋の前で休憩を取る。白谷橋では曇っていて、雨まで降りかかっていた空も、何時しか晴れ上がり、暑い位の日差しの天気に変わっていた。

右岸に延びる道を遡る。幾つもの小さな尾根を巻いて登って行くが、前方には同じような尾根が見えていて、何処まで登ったのか分からない程。花は殆ど見なくなり、自然に歩調が早くなると、何人かの人が遅れ始める。後ろが追いつくのを待つのに、杉林の木陰で休んだのが間違い。右手の甲がムズムズするので見ると、主様が動いているではないか。慌てて摘んで捨てた。道は乾いていたが、杉林で獲物が来るのを待っていたようだ。

再び林道を登り出す。花を探しながら登って行くが、草花は、谷床にヤマゴボウ、道にカタバミの花を見ただけで、木に咲く花は、ノリウツギが殆どだった。中にイワガラミやガマズミが咲いていても、遠くから見たのでは区別がつかなかったのだろう。左へ曲がって小屋の前を通り、もう一度小さなヘアピンを登って、橋を渡って道が左岸になると、谷山へ登る林道の分岐。ここから林道は谷を離れて南へ向かうが、時間は丁度12時。50m程登った水場の上で、道に座り込み昼食となった。遅れて到着したリーダーは、座り込むなり「バテタ!」と一言。こんなに暑ければアルコールは発散すると勝手に決めて、飲んだビールの何と美味かったことか。陽はカンカン照っていたが、日陰になると風が涼しい。これから特に急な所へ登るわけでもなく、1時間もユックリとこの場で過ごす。一寸下の斜面にはヨツバヒヨドリが咲いていて、座っている側には、クロモジの木がある。ふと右のズボンの裏を見ると、血がこびりついている。「やられたな」と思い足を見ると、主様に吸われた跡が2か所。血が乾いていたので、休んだあの場所でやられたに違いなかった。135分に出発する。ここから岩ノ峰の取り付き尾根まで、車ではすぐだと思っていたが、いざ歩くと30分も掛かってしまった。この区間で見た花は、トリアシショウマだけ。岩ノ峰南尾根は、5月の時には疎林の尾根だと思ったが、今見ると葉が茂り、暑苦しい尾根へと変貌していた。

林道を下り、コザトへ向かう尾根でヘアピンカーブをし、白谷林道は霊仙線へ入る。この林道を歩くのは、リョウシ、コザトを踏んだ平成1012月の岩野さんの例会以来のことだから、11年半振りのことになる。林道が北へ向かって東へ曲がる手前に、鹿の死骸が横たわっていた。角が無い雌鹿で、顔の半分が無くなっている所を見ると、落石にでもやられたのかも知れなかった。体の毛がしっかりしていたので、死んでから数日しか経っていないのだろう。林道の方向が西へ向かうと、南の展望が広がってくる。烏帽子岳は尾根に隠れて見えなかったが、二つコブの三国岳、その右後ろに藤原岳、御池岳、鈴ヶ岳、高室山が連なっているように見えている。すぐ目の前の左手にはコザトがあり、その手前にはリョウシのコブが、右手には真ん前には鍋尻山がドッシリと腰を下ろしていた。5月に横道を歩いて見た光景より、一段と迫力に満ちているように思われた。歩く林道の右手にはヤマゴボウの群落が続き、こんな所に青い実を付けたホオズキが群生していた。トリカブトも健在だった。以前歩いた時、こんなに歩いたかな、と思いながら歩いて行くと、1445分、やっと林道終点へ着く。以前には、ここから笹峠を見ることが出来たと記憶しているが、今では目の前の桧林が視界を遮り、西南尾根の下方を見ることが出来なかった。

以前は、藪を掻き分けて斜面を横切り、笹峠へ向かった記憶があるが、今回は笹峠が見えないので、地形図を確認して高度を下げないようにひたすら斜面を横切ることにする。先頭のサブと2人は、「笹峠で待つ」と先に行き、姿が見えなくなってしまったが、後ろのグループは中々やって来ない。休憩しているのだとばかり思ったら、珍しくもリーダーが、筋肉痙攣を起こしたのだとか。こんなことは岩野さんの例会始まって以来のことだった。リーダーが姿を現すまで、林の中で待ち、姿を見てから桧林の中を西へ移動すると、すぐに霊仙山西南尾根の旧道へ出た。途中から西南尾根へ乗り、笹峠へは1515分に到着する。人気の無い峠に座り込み、涼しい風に吹かれて汗を乾かし疲れを癒す。

1525分に下山開始。奈良の彼が先頭を下り、鈴鹿のお兄、私、吹田、高槻、宇治の彼女が後に続く。残りの人達は、足が吊ったリーダーを思い一緒に下っているのか、間が空いてしまう。登山道は乾いていて、掘られた所には落ち葉が積もり、足が滑ることなく下ることが出来た。途中、休憩することなく下ったが、今畑部落跡まで下ると、全く減量することの出来ない体重に、右足の腰下の筋肉が悲鳴を上げる。もう少しで急坂の下りは終わると、痛みを我慢して休まず車道まで下ったが、今畑登山口で腰を下ろして休んだら、立ち上がるのに痛みが走る。ここに居るわけにもいかず、ピッコをひきながら、何とか安原の車まで歩いて戻った。思えば笹峠から35分で下ったのだから、足に相当な負担が掛かったのは、当然のことだったのだろう。車へ戻り、靴下を脱ぐと、右足に二か所、左足に一ヶ所、主様に吸われた跡が残っていた。1640分、解散となる。

家に帰り、ピッコをひいて歩いているのを妻に見つかり、まさか、「急坂の下りで足を痛めた」と言うわけにもいかず、「木にぶつかった」と言ってごまかす。林道歩きだったとは言え15km近くも歩くと、体重過多の者にとっては、ハードな歩きであったことは間違いなかった。