-鈴鹿を歩く324(新ハイ岩野氏例会)--

高野山、明神山、東光寺山             平成220110(曇り後晴)

礒部記(地形図:日野東部、百済寺)

コース 小倉6:007:40永源寺役場8:208:30林道へアピン8:3510:15高野山10:2510:55明神山→11:45堂後谷左俣源流12:3513:00東光寺山13:0514:05林道→14:25東近江開閉所前14:3515:30永源寺役場15:4516:35小倉

岩野さんの平成21年締めくくりの忘年山行へ参加を申し込んでいたが、不慮の出来事で帰省しなくてはならなくなり、欠席せざるを得なかった。そこで「締めくくりが出来なかった分、せめて新年第一回目の例会へは〜」と思い、新年最初の例会へ参加することにした。登る山は、岩野さんの例会では6年振に歩く、永源寺の高野山から東光寺山への縦走である。これまで東光寺山へは、平成10年の岩野さんの忘年山行で1回登り、高野山へは平成11年に単独で、平成14年には鈴鹿の彼女のグルーと一緒に登っているが、何れも一山だけを登ったもので、高野山と東光寺山の尾根を縦走したことはなかった。

久し振りの遠出山行で早く目が覚めてしまい、家を出たのは6時。永源寺のコンビニで時間を潰したのに、集合場所の永源寺支所前には740分に着いてしまった。私が一番かと思ったら、何と何時ものメンバーが3人もウロウロしていたのにはビックリ。この数日前から、日本列島は寒波に襲われ、滋賀県にも大雪注意報が出されていた。支所前広場から東を眺めると、入道ヶ原、黒尾山や谷間奥の山々は、雪の白で山が斑に見える程に積雪が多いことが伺えた。それに比べてこれから登る高野山から東光寺山への連なりは、雪は殆ど積もっているようには見えず、これならワカンは必要ないと置いて行くことにした。1815分、参加者25名全員が揃い、新年の挨拶の後、7台の車に分乗して登山口へと移動する。紅葉橋を東へ渡って高野神社へ向かい、神社前から林道を東へ走り、尾根を巻いた水槽前の広場へ車を駐車する。ここがこの日の山行の出発点であった。

835分に出発となる。林道を20m程戻り、尾根へ上がる。尾根にはシッカリした道が付けられていたが、松茸山なのか進入禁止の木の柵が3か所に造られ道を塞いでいる。その柵を廻り込み進んで、尾根の東下を緩く登って行く。その道もやがて尾根を離れてしまうので、そこから尾根へ乗る。その尾根にも古い道跡が残っていた。辺りは松の多い雑木の潅木の林で、視界が閉ざされていたが、尾根が右手へ緩く曲がる地点まで来ると、西の林が切れ、展望が開けた。眼下に東近江の平野が広がり、鏡山、三上山が浮かんでいるように見えている。その後ろに霞んでいるのは、阿星山から続く金勝の山々のようだ。しばしの休憩の間、この素晴らしい展望に我を忘れる。

登り始めは、地面のアチコチに雪が残っているだけだったが、登って行くに従い地面に積もる雪の量は多くなってきた。下では雪は無いと見えたが、10cmは積もっているかも知れない。ここからは久し振りに山を歩くと言う太秦の彼女と、もう一人の新人が先頭に立ち列を引っ張って登って行く。雪で覆われた道跡を登って行くが、その道跡も・509mの平坦尾根を過ぎると、右手の山腹へ消えてしまった。ここからは、雪に覆われた藪の急尾根を登るだけ。立ち塞がる潅木の小枝を払い、木々の間を摺り抜けて、急斜面の雪に足を取られながらも、先頭の二人に追いつこうとするが、なかなか追いつくことが出来ない。これまでこの尾根を、単独の時には下り、鈴鹿の彼女と一緒の時には登って来ていたが、こんなに長い時間のかかる尾根だったとは記憶に残っていない。当時はそれだけ若く体力もあったのだと今更ながら思い知らされた一時だった。フウフウ息を弾ませながら二人の後を追って登って行くと、やっと林の切り開かれた広場へ出た。ここが高野山山頂で、広場には30cm程の雪が降り積もっていた。山頂広場には三角点がある筈で、やっと雪の三角点の姿を写真に撮ることが出来ると喜んだのに、見ると、既に太秦の彼女が三角点を掘り出してしまった後で、雪を被った三角点を見ることが出来なかったのにはガックリ。

この山の標高は684.5mで、点名は「高野」。三等三角点である。標石は西南向きで、南から西へ40度振っていた。標石の頭は通常より少し大きく、15.5cm×15.3cmの大きさ。この山を、エリアマップには明神山と表記されているが、これは誤りで、点名から名付けられた高野山が正しい。明神山はこの北にある雨宮明神社のあるピークを指す。

山頂から北へ向かい、急斜面を下る。先頭を歩く人達は深雪を踏んでの下りで、滑ることには気を遣わなくて済むが、前の人の踏跡を辿りがちな後ろの人程、滑り易い。出来るだけ人の踏んでいない新雪面を選んで下って行く。鞍部へ下ると北の急斜面を登り返す。11年前に一人でこの斜面を下った時には、茨の藪が濃くて、手が傷だらけになったと記録に書いてあるが、今では藪の面影は全く残っていない。左桧、右手潅木の急尾根を登り、小さなコブを二つ越えて緩く登ると、平坦な尾根の先端に太い松の木が二本立っていて、その間に石の祠が建っていた。中には何も無かったが、側には八鷹城大神と彫られた石碑が立っていた。そこから平坦な尾根を北へ向かい、左手にある杉林の切れる手前の尾根下には、小さな社が建っていた。これが八大龍王雨宮明神社と呼ばれる社で、先程の祠と共に、昔に雨乞いの神事を行った場所だと言う。言うまでもなく八大龍王とは、仏法を守護する神であり、特にその中の神婆伽羅は龍宮の王といわれ、雨乞いの本尊とされている。この明神社があることから、このピークを明神山と呼ぶのであろう。この社の北の杉林の境界を下ると、外の部落へ下ることが出来、この道を明神社参道と呼んでいる。

明神山から緩く下って、コブを一つ越えると尾根を緩く左に曲がり、次のピークへ登ったら右へ尾根を下る。一見すると左の道を進みたくなるが、ここが間違い易い地点で、左へ向かうと下りになり、東近江開閉所に至る林道へ下りてしまう。下って行く尾根は雑木林の尾根に変わるが、ガスが出てきて見通しが利かない。ボ~と霞む木々に付いている雪の花が実に美しい。登りにかかって尾根へ乗るとT字の尾根で、今度は左へ向かう。地形図を見ながら歩けば判断出来るが、気楽に歩いていると逆から来た時には、この分岐を見過ごしてしまいそうな地点だった。ガスの中を北へ歩くと、目の前に急斜面が現れ、尾根が切れてしまう。先頭は雪の急斜面を下って行くが、全く記憶にない急斜面であった。もっとも、以前歩いたのは岩野山の例会で11年前に歩いただけで、しかも逆から来たので、こんな急斜面があるのを知らなくて当然かもしれない。ここで地形図で確認すると、標高差50m程下らなくてはならないが、地形図で読む以上に急に思えた斜面だった。雪の急斜面を下って尾根へ乗り、緩く登ると送電線鉄塔へ出る。依然ガスが深く、送電線は白の空間の中に消えてしまい、その行方は見えない。鉄塔から北へ尾根下の巡視路を下ると谷間の広場へ下りた。この谷は堂後谷左俣の源頭に当たり、ここで昼食となった。

杉林の谷間の雪面に座り込み、食べ始める。寒さが厳しく、熱湯を注いで造ったカップラーメンが、何と体を暖めることか。この寒いのに、奈良の彼はビールを飲んでいたが、流石にビールを飲む気にはならずに、ひたすら食べて体を暖めた。鈴鹿のお兄いからへつったウドンは、量は少なかったが美味かった。食べ終ると、焚き火で少しでも体を暖め、最後に恒例の甚目寺町の彼のコーヒーで締めくくり、昼食時間は終わった。

1225分に出発する。雪が深くて道が分かりにくかったが、東の尾根の巡視路を登り、送電線鉄塔ピークを巻いて西へ向かうと送電線鉄塔に出る。東北、西南の方向が開けた場所で、「ここからの展望は素晴らしい」とリーダーは言っていたが、生憎のガスで白一色しか見ることが出来ない。何も見えないのでは止まっても仕方なく、そのまま尾根を西へ歩き、もう一つの送電線鉄塔を過ぎて、緩く登ると東光寺山山頂へ着いた。狭い山頂広場には三角点が立っていたが、今度は前を歩く大宮の彼女に、「写真を撮るので雪の状態をそのままにしていて」と言っていたので、雪を被った三角点を撮ることが出来た。

標高755.2mで、点名は「百済寺村」、三等三角点である。標石はシッカリと磁石の北の方向を向いていた。東光寺山の山名は、西山麓にある東光寺から名付けられた山名で、東光寺の山号が白鹿背山であることから白鹿背山東光寺の本尊が薬師如来であることから観音山とも呼ばれている山である。ちなみに東光寺は、聖徳太子の草創と伝えられ、貞観15(873)に行賀僧正により開基された寺である。初めは天台宗であったが、永禄年末に焼失し、慶長年間(1596~1615)に浄土宗に改宗し中興された。本尊は薬師如来で、この地域にある百済寺、大覚寺とともに、古代創建の由緒ある寺と言えた。

計画ではこの山頂を踏んで、西にある展望台まで下り湖東平野の展望を楽しむことにしていたが、ガスで何も見えないために、展望台へ行くのはカット。そのまま西南の尾根を下ることになった。下り初めて展望台へ向かう分岐を通り過ぎるとすぐ、右手の林が切れている所まで下るが、皮肉なことにガスが晴れ、木々の間から湖東の平野が見下ろせた。この状態なら展望台で、大展望を見ることが出来た筈が、時既に遅し。

雑木の林の雪の斜面を下って行くと、東斜面の林が伐採された尾根に乗る。先程までのガスが嘘のように晴れ渡り、目の前に今歩いてきた明神山からの尾根が迫っていた。右手遠くには頭を雲に隠した綿向山、南鈴鹿の連なりも見通せた。この山は、下から見れば低い山のように見えるが、ここから見る光景は、高山から見下ろしているようにも思えた。尾根の巡視路を下って行くと、次第に雪が少なくなってくる。雪が少なくなる分、滑りに注意しながら下らなくてはならない。送電線下の尾根に付けられた巡視路を下り、南の送電線鉄塔へ出て、尾根を南へ下って行くと、以前に登ってきた道が左から来ている。リーダーにどちらの道を下るのかと尋ねると、「どちらを下っても下で一緒になる」とのことで、先頭の下っている巡視路を直進した。尾根はすぐに急になり、ジグザグに下ると送電線鉄塔。そこから左手へ斜めに下ると、先程の左へ下る道と合い、更に斜面を左へ斜めに下って行くと下の送電線鉄塔へ出る。前を歩いた人達は、そのまま巡視路を下ったが、岩野さんに続く人達は、斜面を斜めに切る杣道を通り林道へと下りた。あとは林道を下るだけ。20分も下ると東近江開閉所へ着く。ここで一息入れると、長い長い車道歩きが始まる。丁度、1時間歩いて、1530分に車を置いた永源寺支所へ戻った。

1545分ここで解散となり、平成22年度最初の岩野氏例会は終了した。