鈴鹿を歩く322(新ハイ岩野氏例会)

静ヶ岳、セキオノコバ                  平成211206(晴れ)

礒部記(地形図:竜ヶ岳)

コース: 小倉6:006:40八日市インタ―7:007:40ヘリポート広場8:008:20丈治谷広場→9:05624m9:45824m 9:5010:351047m 10:4511:15静ヶ岳11:2011:45セキオノゴバ12:3512:50静ヶ岳→13:35西尾根の池13:4014:00 (尾根で)14:50茶屋川林道→15:25丈治谷南広場15:4015:50ヘリポート広場16:3017:50小倉

岩野さんの「鈴鹿を歩く」で、静ヶ岳へ登る例会が持たれたのは今回で4回目。私は平成139月に行われた第2回目の例会に参加しただけだが、プライベートで2回登っているので、静ヶ岳を訪れるのは同じく4回目で、8年振に訪れることになる。

何時も通り6時に家を出たが、集合時間が8時と早く、神崎川橋からヘリポート広場までの時間が読めずに、下を走らず高速へ乗った。この日は通行料が1000円の日だと言うのに比較的車は少なく、八日市インターへは640分に着いてしまう。インターを出た所でどうにも我慢が出来ずに、トイレへ寄って帰ってくると、単車でやって来た岩野さんに会う。岩野さんを置いて先に行く訳にもいかず、二人で話をしながらサブの車を待った。永源寺からダム湖添いの道を走ると、居原田さんの車を先頭に5台、更に私の車の後ろにも5台の車が連なり走っている。神崎川橋まで来ると、前を走る3台の車は横にそれたが、残りの車は神崎川橋を過ぎても付いてくる。後ろの車は高級車のベンツで、まさか新ハイの人の車だとは思っていなかったが、ヘリポート広場へ着いてベンツを運転している人の顔を見ると、この日の例会に参加する宇治の彼女だったのにはビックリ。この日は新ハイの例会が三つも重なり、参加者は少ないと思っていたのに、予想より多く29名の参加だった。岩野さんの例会で静ヶ岳へ登るのは5年振りなので、久し振りに登りたいと思った人が多かったのかも知れない。ただ、この中には常連の谷さんの顔はなかった。

ヘリポート広場から8台の車に分乗し、茶屋川林道を北へ走って丈治谷分岐の南の広場へ移動する。歩く準備を整え、出発したのは820分。すぐ東に来ている尾根へ取付く。この日静ヶ岳へ登るルートは、岩野さんが書いた新ハイ3253頁「近江側から登る鈴鹿の山々」に紹介されているルートで、8年前の例会でもこのルートを登っているが、ルートの状況は全く記憶に残っていない。最初に急勾配の斜面を這い上ると、緩い岩稜の細尾根へ乗る。ここから下を流れる谷音を聞いて、再び急斜面を登ると次第に尾根は広がり、平坦な尾根へ乗った。下生えのない雑木の疎林の尾根だったが、紅葉の時期は過ぎてしまっていて、木々の葉は落ち枯れ木状の林に変わっていた。下に厚く積もった落ち葉を踏んで平坦な尾根を東へ向かうと、右手にあるハッキリしないピークが624mに違いない。方向を北へ振って細尾根を登ると、再び勾配の緩やかな疎林の尾根。葉は落ちているとは言え、立ち並ぶ林の光景は実に美しい。林の間から上方に1047mの姿が見えていた。次第に傾斜が急になり、尾根が細くなると吹く風がキツクなり、下着とシャツ一枚では寒くて堪らず、ウインドヤッケの代わりに雨具を着用する。フウフウ言いながら急斜面を踏みしめ登り、やっと傾斜が緩くなると、右上が814mのピーク。東面には林は無く、目の前に横たわっている竜ヶ岳の姿は圧巻。その右手下には白谷越にあるガレ場が、白く浮いて見えていた。石榑峠の右手には、三池岳から釈迦ヶ岳、御在所岳へと連なる鈴鹿の山々が黒く横たわっていた。その光景に見とれていると、いつの間にか日は陰ってきて、竜ヶ岳の山頂はガスに覆われ、いっぺんに寒さが増してくる。

950分に出発する。緩い尾根もすぐ急になり、登るに従い傾斜が増してくる。尾根が細くなってくると、辺りにはイワカガミの群落が目立ち出す。この時期、葉は赤紫に変わり花は無い筈なのに、狂い咲きしている花一輪を見た。急勾配の岩の出た細尾根を登り、左からの尾根が合うと1047mのピークへ着く。東方には先程までガスに隠れていた竜ケ岳が全容を見せてくれていた。8年前の岩野さんの例会でも、また10年前の個人山行でも西の尾根からこのピークへ登っているが、この竜ヶ岳の光景は全く記憶に残っていなかった。北を見ると、尾根続きのコブの左手すぐ近くに静ヶ岳が頭を覗かせていた。

1045分、遅れていたリーダーが到着すると出発となる。幾分濃くなった灌木を掻き分けながら、尾根を東に向かう。方向を右に振って、緩く登ると一つ目のピーク。そこから次のピークへ下る所に、奇形のブナの古木が立っていた。枝を四方に延ばしている風格あるブナの木で、岩野さんはこのブナを「ズングリブナ」と呼んでいるそうだ。8年前、鈴鹿の彼女が、何を思ったのかこの木に登り、「オ~!」と叫んでいたことを昨日のことのように思い出す。ここから下って、次のピークの西下をへつり、最後の斜面を登り切ると、静ヶ岳山頂へ着く。1115分の到着だった。

山頂広場には立派な山名標識が立っていて、その下に三角点が立っていた。標高1088.6mで、点名は「賤ヶ谷」、三等三角点である。標石は南西向きで、南から60度西へ振っていた。静ヶ岳山頂は、北を除けば展望が広がっている。東にはすぐ近くに竜ヶ岳が横たわり、御在所岳までの山並みが連なっていて、南には雨乞岳や日本コバも見えていた。

写真を撮り終えると、登頂の余韻を残しながら一般道を東へ下る。左桧林の尾根を下って行くと、左下にセキオノコバの池が見えてくる。主尾根へ下りると、皆んなはセキオノコバへ向かうが、折角来たのだからと、私は1006mの東の二重山稜にある下の池を見に行く。以前来た時には、池は一つだけしか無かったのに、今見ると、二重山陵東奥の狭まった所に、もう一つの池が出来ていた。この池は、平成9年前に山田明男さんが見付け紹介した池だと聞いている。それまで池が知られなかったのは、竜ヶ岳と静ヶ岳を結ぶ縦走路が、二重山楼の北下を通っていたからなのだろう。この池を見に来たのは、私の他に女性ばかり4人。そのうちの2人を連れて、皆の休んでいるセキオノコバへ戻った。

セキオノコバは、セキ:谷の奥まった小広い地。オ:尾。コバ:木場、休み場。から来ている名称と言われ、その名の通りこの場所は、大夫谷の源頭に当たっていて、県境尾根と静ヶ岳の尾根に挟まれた二重山稜になっている場所である。辺りはシロモジの林であるが、この時期葉は落ち、尾根には足首程の笹が敷きつめられた枯れ木状の林と化していたとはいえ、休憩するには最適の場所だと言えた

水が少なくなって、水辺の一部がヌタ場に化している畔で昼食を取る。12月に入ったばかりなのに、寒さが厳しく、持ってきた防寒具を全部着込んでの昼食だった。側で湯気の上がっているカップラーメンを食べている人が羨ましい。食べ終ると、寒さに耐えられなくなったのか、焚き火をする人が現れた。皆でワイワイ言っている間に、5人が下の池を見に行ったが、最後に甚目寺町の彼のコーヒーで締めくくり、出発となった。

池から5人が戻るのを見て、静ヶ岳まで登り返し、尾根を北へ下る。岩野さんが新ハイ誌に紹介した静ヶ岳西尾根のルートで、私は1度下っているが、新ハイの例会では初めて歩くルートである。下る正面には、銚子岳、その向こうに藤原岳や展望丘が間近に見えていた。緩く100mも下ると西へ方向を変え、雑木や桧が混在する林のある細い急尾根を下って行く。下にはイワカガミの群落が続いていた。下る途中で倒れている大杉を見たが、一見枯れている様で、枝には葉が青々としていたのには驚く。傾斜が緩くなり、右手に桧林の植林帯が現れると、迷いそうになる程の広い尾根に変る。左へ左へと下って行くと、右下に池が現れた。静ヶ岳西尾根の池で、以前見た時には、一杯に水を溜めた池であったが、今見ると水は無くなり、ヌタ場と言っても良い状態の池へと変わっていた。

1340分、休憩を終えて下り始める。尾根が桧林の尾根へ変わった所で、歩きながら人数確認の番号を掛けると、28でストップ。人数が合わないのでもう一度番号を送っても、又もや28で途切れる。天々に思い当たる人の名を挙げるが、その人達は居て、誰が居ないか分からない。顔を見渡しKさんが居ないようだと分かり点呼をとると、居ないのは矢張りKさんに間違いなかった。ここで「最後にKさんの顔を見たのは何時だ」との話になったが、「昼食時間までは確かに居た」「静が岳山頂まで居た」とはっきりしない。そこで後藤、小林一芝居原田、稲津さんの5人が探しに登り返すことになった。残りの人は全部この場に居ても仕方なく、先に下ることにして服部、中澤、私の3人が残って待つことにした。尾根に残った3人は、防寒着を着てコーヒーを沸かし待っていると、ザックを置いて登って行った後藤小林さん2人が下ってきた。「残りの3人は?」と後藤さんに尋ねると、「池の上まで登ったが姿が見えないので、一芝、居原田、稲津さんにセキオノコバまで行って、登ったルートを下ってくれと頼んだ」との返事。それならと、コーヒーを飲んで、疲れを和らげた後、皆の後を追い、下り始め桧の尾根を下ると、次第に尾根は広くなってくる。右手へ下らないように、磁石の方向を地形図の目標の尾根へ定めて下って行くと、所々に白い布が下がっているのに気付く。西尾根の先端まで行くと、崖で下りることが出来ないので、岩野さんは「大夫谷の出合へ向かい下りろ」と言っていたので、永戸さんに「谷へ下る地点に印をつけてくれ」と頼んだが、樫田さんがそれを実行してくれたらしい。その後は、その布を目印に下ったが、矢張り磁石の方向は捨てがたく、細尾根へ下る急斜面の上まで来てしまう。真っ直ぐ西へ下れば細尾根へ乗るが、崖を下れなければどうしようもなく、布と後藤さんの指示で、ここから方向を北へ振り、桧林の転げ落ちそうな急斜面を下った。下る途中、急な斜面で足滑らせ滑り落ちたが、何とか木に止まり事無きを得た。その後はより慎重に下り、右手の涸れ沢から大天谷へ下り出合へ向かうと、先に下った人達が待ってくれていた。後藤さんがリーダーへ事情を報告して、車を止めている丈治谷出合南の広場まで歩くことになる。車を置いた広場で10分程待つが、Kさんが下ってくる様子も無く、ヘリポートで待つことにする。山田さんが車に乗ろうとすると、フロントガラスに「15時に下りました。ヘリポートへ行きます」とのKさんからの伝言の紙があり、Kさんが無事に下ったとを知る。それを見てホッとしたが、時間が立つと「どこではぐれたのか?」「何でここで待っていないのか?」と腹が立ってきてならなかった。居原田さんの車を残して、全員ここから車に分乗してヘリポート広場へ戻った。広場で解散をして、遠い人は帰ったが、例会の常連は捜索隊の3人が戻るのを待つ。1630分皆が揃い、解散となった。

Kさんは、食事を終わって皆が静ヶ岳へ登ったのに、一人で下の池を見に行き、静ヶ岳へ登った時には誰も居なかった。下るルートが分からずに、登ってきた尾根を下ったのだと言っていた。岩野さんも無事を聞いてホッとしたのか、怒る元気は無くなっていた。