-鈴鹿を歩く308新ハイ岩野氏例会) 花の霊仙山西南尾根 平成21年04月05日(曇り) 礒部(地形図:彦根東部、霊仙山) |
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コース 小倉5:50⇒7:30甲津畑登り口広場7:55⇒8:05今畑登山口8:10→9:25笹峠→9:40西南尾根下9:45→10:30近江展望台10:40→11:20南霊山北尾根(昼食)12:00→12:35霊仙山三角点12:40→13:15お猿岩13:20→13:45見晴台(五合目)14:00 →14:25汗拭峠→15:05今畑登山口⇒15:20甲津畑登り口広場15:30⇒15:45(ミツマタ鑑賞)16:15⇒17:35小倉 |
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記録を調べてみると、初めて霊仙山西南尾根を登ったのは、平成12年4月に岩野さんの例会へ参加した時であった。それ以来、毎年この尾根を登りフクジュソウを見に訪れているが、驚くことに、岩野さんの例会へ参加して西南尾根を登ったのは、過去8年の間に3回しかなく、他の年は個人山行で登っている。今年は久し振りに岩野さんの例会「花の霊仙山西南尾根」へ参加して、新ハイ仲間と花を楽しむことにした。 集合時間は8時。高速道路通行料上限1000円が影響したのか、国道307号はがら空き。甲津畑登り口広場へは7時半に着いた。既に大半の方が来ていたが、8時15分前になっても、何時も早く来ている甚目寺町の夫妻の姿が無い。「何かあったのでは?」と話していると、やっと10分前に到着した。「集合時間は8時ですよ」と言うと、不審そうな顔の二人。どうやら集合時間を8時半と思い込んで、寄り道をしていたらしい。 皆んなが集まり挨拶している間にも、何台もの車が道奥へと通り過ぎて行く。例年、4月上旬の休日には、フクジュソウを見に来る人で駐車場は満車の上、西南尾根は人で溢れ返る。この日の参加者は22名であったが、レギュラーメンバーである高槻、鈴鹿の彼女、守山の彼等の顔は無い。6台の車に分乗して、今畑下の道広場へ移動する。今年登るルートは、コゴミを採るため何時もと違うルートを歩くと聞き、楽しみにしていたが、コゴミはまだ出ておらないので、早く下山してミツマタの群落を見に行くことに変更になり、期待に反して新ルートではなく、今畑から一般道を登って西南尾根へ取付くことになった。これまで個人山行で今畑ルートを毎回登っているが、過去13回の岩野さんの4月例会で、一般道今畑ルートを登るのは1回しかなく、今回で2回目のことであった。 準備を整え、登山口の前に集まり、まずは人員確認の点呼を行う。この間にも多くの人達が列をなして登山道を登って行く。我々は、8時10分に出発し、他のグループの後に続く。ジグザグに登って行く道脇には、ミヤマカタバミの蕾、花を開いたように見えるネコノメソウをアチコチに見る。15分も登ると、今畑部落跡。過去には笹峠を経て権現谷奥へ山仕事をする足がかり的な村で、10戸程で生活していたが、昭和60年頃には住んでいるのは1戸だけになり、平成の初めには廃村となってしまった村である。今では石垣が組まれた屋敷跡に、「白雲山宗金寺(浄土真宗本願寺派)」と書かれた寺だけが、家屋の形を止めて残っていた。辺りには、庭木を思わす何本もの梅が満開であった。 そのまま登山道を登るのかと思ったら、「神社の裏にカタクリがある筈」とリーダーの声。確かめに道を外れて神社裏の斜面を見に行くが花は無く、カタクリの葉がアチコチに出ているだけ。「カタクリの花は出ていないですよ」と言った時には、列は神社まで続いてきていた。ここから引き返すのも間が悪く、「斜面を登れ!」の号令でブナ疎林の急斜面を斜めに登り、登山道へと出た。一般道を登っても、岩野さんは楽をさせてくれない。深くえぐれた道を登って尾根に乗り、勾配が緩くなると杉の林。右手へ廻り込み、トリカブトの若葉やミヤマカタバミの蕾を見て左手へ向かい、杉林を抜けて尾根の北斜面へ出ると、目の前には、これから登る霊仙山西南尾根が聳えていた。春霞みでハッキリは見えていなかったが、見上げるようなその姿は、圧巻としか言いようがない。ここで後続が来るまで休憩を取る。空はドンヨリと曇っていて、吹く風が冷たく寒い程。 全員揃ったところで、斜面を切るようにぬかるんだ道を登っていき、勾配が緩くなると現在の笹峠。ここから古い登山道は東へ一旦乗り越すが、道を離れて尾根北西へ向かうと、昔の笹峠。以前は笹に覆われていた尾根もこの2~3年の間に、多くの人が通るようになったのか、踏跡が出来ている。未だ冬枯れ状の木立の間を縫って、笹原の中の苔むした岩塊を避けて登って行くと、やがて西南尾根下の広場に着く。 ここから急登が始まる。枯れた笹藪跡を過ぎると、その上は灌木の無い岩肌の尾根。時折見るのは、低いメギの木だけ。その中にぬかるんだ踏跡が上へと延びている。滑らないように気を付けながら、一歩一歩体を持ち上げる様に登って行くしかない。暫く登り、後を振り返ると、転げ落ちそうな急斜面で、長く人の列が連なっている。時折休んで後ろの風景を眺めると、登るに従い鍋尻山の全容が見えてきた。御池岳や藤原岳はモヤに霞んでハッキリ見えない。空は晴れていたが、陽は顔を出しておらず、林が切れた斜面では、吹く風は冷たく感じられた。20分も登ると「スハマソウの園」。今年は寒さがぶり返し、時期が早いのか、探しまわっても二つの蕾しか見ることが出来なかった。 そこから20分程登ると近江展望台。その名の通り、東近江地域を一望出来ることから名付けられた山名なのだろう。岩の上に立つと、左手に鹿遊びの尾根からソノドが、手前にはコザトからリョウシへと尾根が続いている。その奥には烏帽子岳と二つコブの三国岳が黒く見えていたが、その右にある藤原岳と御池岳はモヤに隠れてハッキリ見えない。南すぐ近くに鍋尻山のピークがあり、高室山も見えている。その右手の尖った山は阿弥陀ヶ峰か。更に西の下方には、高取山、比婆之山、山腹が杉林の男鬼山、紅白の鉄塔の立っている向山、八葉山と男鬼の山々が連なっていた。幾分強くなってきた風に吹かれながら、しばし辺りの光景に目を奪われる。 後続が到着するのを待っていると、フウフウ言いながら登ってきた一団。その中の一人が、「登る山は何処ですか?」「汗拭峠へはどう行ったらいいのですか?」と聞いてくる。一応最高点と三角点峰を教えはしたが、地図も持っている様子もなく、汗拭峠への道を口では教えようがなかった。自分の登る山も歩くルートも分からない人がリーダーで登ってきているとは、呆れて物も言えない。その上、我々が今畑に車を置いてきていることを知ると、「後ろをついて行って良いですか?」と言ったので、丁重にお断りをした。後続が来ると、渡した林檎の数で人数を確認して出発する。前方を見ると、南霊岳から頭を雲に覆われた最高点へと緩い尾根が続き、その左手にボンヤリと三角点峰が見えている。この辺りはカレンフェルトの尾根で、ゴツゴツした岩を踏んでの歩きとなる。途中から南岳を踏まずに、東斜面を横切る。斜面に入ると、昨年は足元の岩の間に数多くのフクジュソウを見たが、今年はフクジュソウの数は少ない。あっても時期が遅かったのか、茎は延び過ぎていて、花びらの落ちているものも多い。「スママソウはまだ出ていなかったが、フクジュソウは時期が遅かったか」と思いながらも斜面を突っ切り、南霊岳の北鞍部まで来ると、何と、尾根西斜面はフクジュソウの花園。開いた花は少なく、殆どが開きかけた花ばかり。南霊岳東斜面のフクジュソウは伸び過ぎて、時期を逸していたが、西南稜西斜面のフクジュソウは、これからが盛りだと言えた。 西斜面一面に群生するフクジュソウを楽しみ写真を撮る。時間はまだ11時を過ぎたばかりで、この後どう歩くのかと思っていたら、リーダーは、尾根を東側へ越えた所に座り込み、「ここで昼食!」の号令をかける。登る時には霞んでいた辺りの山々も、天気が回復してきているのか、山際がクッキリとしてきている。烏帽子岳から三国岳へ連なる尾根や藤原岳、御池岳の姿も間近に見えるようになってきた。晴れの天気と違って、薄絹を通して見るような光景ではあったが、十二分に満足出来る風景だと言えた。 最後に甚目寺町の彼のコーヒーを頂いて、12時に出発となる。下山したらミツマタを見に行く仕事が控えているので、三角点峰へ最短コースで向かうことになる。最高点から伸びてくる尾根の西斜面をトラバースして、大洞谷源頭にある池へと下る。この源頭には、名の付いていない池が幾つかあるが、その中の一つには、まだ雪が残っていた。尾根を左に巻いて三角点峰の東斜面を登る。9人が南山腹を巻いて霊仙山の西鞍部へ向かい、13人が霊仙山三角点へと直登。山頂には十人程のグループが食事をしていたが、登って行った我々を見て、「何処から登ってくるんだ」というような、不審そうな顔をしていた。 山頂へは12時35分の到着。珍しくも、三角点の付近には人の姿が無い。三角点は真新しく、岩積みの中に立っていた。標高1083.5mで、点名も「霊仙山」、二等三角点である。何時もなら北方に伊吹山が間近に見え、左奥には金糞山も見える筈だが、この日は、空は晴れ上がっていたがモヤに霞み、全く見ることが出来ない。すぐ目の前には経塚山や避難小屋のあるピーク、阿弥陀ヶ峰が見えているが、人の姿は無かった。 霊仙山の開山は「役小角」と言われ、中国仏教の聖地霊鷲山を模し「霊山」と呼ぶようになったと言われている。山名の霊仙山はこれに由来する。7世紀後半には山頂に泰澄が大日如来の尊像を安置し、霊山寺を建立したとあり、霊仙山周辺に七つの別院(落合の観音寺、河内の安養寺、大杉の大杉寺、仏生寺、荘厳寺、男鬼の男鬼寺、丹生の松尾寺)を建てて修業したというが、今では天台宗に宗旨変えした松尾寺を除いて残っていない。5分程山頂で過ごし、山頂から西へ下る。霊仙山山頂から西尾根を下ってお猿岩へ向かうのは、私にとっては初めてのことだった。下った鞍部でトラバース組と合い、更に西へ向かう。岩ガラの間には、ここにもフクジュソウが咲いている。草斜面を横切り、富貴草が一面に繁っている平坦なピークを越えると、広い尾根の下り。そこからは比較的疎林の斜面を下って行く。斜面には下生えが少なく、泥で滑り易い。注意しながら斜面を下り、小さな池を廻り込んで、10mも斜面を登るとお猿岩。時間は13時15分で、山頂から35分で下ったことになる。経塚山を踏んでいたのでは、こんな時間でここまで下ることは出来なかっただろう。東を見ると、今下ってきた尾根が、壁のように見えていた。 13時20分に出発。一般道を離れてお猿岩から北へ下る。お猿岩で休んでいた人が「そこはルートではないですよ」と声をかけてくれたが、それを聞き流して斜面を下ると、すぐ道らしい跡が現れた。それを辿って斜めに下るとピン坂峠道に行き着くが、我々は見晴台へ出るつもりなので、道が消えた地点からキックターンして斜面を南へ横切ると、右手へ流れる尾根に突き当たる。この尾根は、一般道がある尾根の一つ北の尾根で、その尾根を少し下ると、素晴らしいブナとケヤキの疎林の斜面に出る。その斜面を南へ歩くと、汗拭峠からの登山道の五合目、見晴台のすぐ上に出た。ここにも大勢の人が休んでいた。 ここから一般道を25分下ると汗拭峠。落合方面へ大洞谷沿いの道を40分も下ると、車を置いた道広場へ戻る。ここで例会は解散となる。甲津畑道広場へ戻り、有志が霜ヶ原北にある林道へと移動。その林道を奥へと歩き、ミツマタの群落を鑑賞する。この林道は、平成12年4月に岩野さんの例会で、高畑山、杉坂峠、阿弥陀峰、桃原と歩いているが、こんな素晴らしいミツマタの群落があったとは、全く記憶になかった。 花を楽しんだ後、林道入口へ戻り、16時15分に散会となった。
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