--鈴鹿を歩く303(新ハイ岩野氏例会) 樹氷の綿向山から竜王山 平成21年01月25日(晴れ) 礒部記(地形図:日野東部) |
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コース 小倉6:00⇒7:30西道脇広場8:30⇒9:00水木林道→9:40表参道→10:00五合目小屋10:10→10:25七合目(行者コバ) 10:30→11:10綿向山11:25→11:40北峰東尾根12:40→14:30送電線鉄塔14:50→15:10竜王山15:25→16:00水木林道16:10→16:20西明寺道脇広場16:30⇒(菩提寺PA) ⇒18:05小倉 |
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昨年、「鈴鹿を歩く」300回記念例会を直前にして、岩野さんが入院。12月23日に無事に退院出来たが、記念例会は勿論のこと、忘年山行、平成21年第1回の例会も欠席した。今回の今年になっての第2回例会も、雪があることだし当然欠席だと思い込んでいたら、例会へ出席して元気な姿を見せてくれた。話によると、早く皆と一緒に歩きたいという思いから、退院後から近くの山を歩き回って、足を鍛えていたというから、頭が下がる。今年の2回目の「鈴鹿を歩く」例会は、「樹氷の綿向山から竜王山」。1月に綿向山へ登るのは恒例になっているが、殆どが熊野から登っていて、西明寺から登るのは、過去に2回しかなく、今回で3回目。私にとって綿向山へ登るのは、4年半振りのことで、しかも表参道を登るのは8年半振り。ましてや竜王山へ登るのは、13年振りのことであった。集合場所は「西明寺バス停前」。西明寺近くには、「西明寺」と「西明寺口」と二つのバス停があり紛らわしい。集合時間に1時間も早く着き過ぎ、「西明寺口」バス停で装備を整えたが、どうもおかしく「西明寺」バス停へ移動。車を停めた途端に、サブの車が呼びに来て引き返し、「西明寺口」バス停上の道脇広場へ誘導された。 この日の参加者は31名。久し振りに岩野さんの元気な顔も見る。珍しくも「一度登った山へは行かない」筈の太秦の彼女の顔はあったが、例会常連の鈴鹿の男女二人は欠席。時間になっても姿を見せない豊中の彼を探しに、サブが「西明寺口」方面へ見に行っている間に、誰かの車が走り出すと次々に後を追い、水木林道へと向かってしまう。雪があって奥ノ平まで入れず、林道途中に駐車して歩く準備をしている時、突然かかってきた「集合場所がわからない」と言う豊中の彼からの電話。又々、サブが迎えに行ったが、残りの人達は、到着を待たずに出発。今回は、アイゼンもワカンも持っての歩きだった。 林道を東へ登って行く。道には次第に雪が増えてきて、奥ノ平の入口まで来ると、道に雪がベッタリ。ここからアイゼンを着装する。方向を南に変えて林道を登り、送電線鉄塔を見て、尾根を左に廻り込んだ所が表参道の取り付き地点。道を登るとすぐに四合目の小屋が建っていた。ここで休憩していると、サブと守山、甚目寺の彼、遅れたあの人の4人が追いついて来た。豊中の彼に遅れた理由を聞くと、「カーナビで集合場所の西明寺を入れたら、湖東三山の西明寺へ行ってしまった」と言うから話にならない。集合場所の西明寺は、天喜元年(1053年)に聖徳太子による建立と伝えられる臨済宗永源寺派の寺であり、綿向山、竜王山の西麓にあるが、湖東三山の西明寺は、承和元年(834年)、三修上人が仁明天皇の勅願により開創された寺であり、多賀南の高取山西にあるので、綿向山とは位置的に離れており、「おかしい」と思わなければならない筈。人が考えることを止めて、ハイテク万能だと信じ込んでしまうと、こんな間違いが生じてしまうのだろう。 小屋から杉の林の斜面を4回キックターンを繰り返し北へと登り、尾根を右手へ廻り込むと、伐採地に建てられている五合目の小屋。ここで展望を楽しみながら、しばしの休憩となる。目の前には竜王山の尾根が横たわり、尾根の左には蒲生の平野が広がっていた。この日は天気が最高で、我々ばかりでなく、多くの登山者が登って来ていた。 10時10分に五合目小屋を出発する。空は晴れ渡り、陽は照っていたが、風が冷たくシャツだけの歩きでは寒いくらい。尾根を南から東へ廻り込み、杉の林の中を東へ斜めに緩く登って行くと、15分程で行者のコバと呼ばれていた七合目へ着く。山伏が修業のために服装を整えた儀式の行われた場所で、お堂が建っている。名前は分からないが、お堂の両脇には像が置かれていた。この辺り一帯は、綿向山に現存する三つのブナ林(綿向山山頂北斜面、ブナの木平と七合目の南林)の一つで、ブナの枝に凍りついた樹氷が実に美しい。ここからは、南斜面を巻いて山頂へ直登する表参道を離れて、東へ延びる尾根を登る。勾配は急だが、雪は固く足が潜ることはなく、アイゼンが良く利く。樹氷の林の中の急斜面を、フウフウ言わされながらも登って行くと、やがて、綿向山北尾根へ乗り、右手へ向かうと綿向山山頂。時間は早く、11時10分の到着だった。山頂には多くの人達が屯していて、こんな時間なのに、早やパクツイテいる人達もいた。 綿向山は、標高1110mあり、その山名は、蒲生、甲賀一帯が養蚕の盛んであったことから、「つむぎ」の意で名付けられたと言うのが定説になっている。山頂には、天穂日命(アメノヒホヒミコト)、天夷鳥命(アメノヒナドリノミコト)、武三熊大人命(タケミクマウシノミコト)、を祭神とした日野田中にある綿向神社の山宮、大嵩神社の奥の院としての小祠が祀られている。その横には、地元青年団が2020年に開けるタイムカプセルを埋め込んだケルン、青年の塔が建っている。山頂の東は開けていて、目の前にある筈の笹原は雪原へ、北斜面のブナ林は樹氷の林と化していた。ここからの展望は言うことなし。快晴の中、目の前に清水ノ頭から延びる尾根の先に、雨乞岳がドッシリと座っている。その右手には鎌ヶ岳が天を突き、水沢岳、宮指路岳、仙ヶ岳と連なり、峰の間から野登山のアンテナ塔が見えている。雨乞岳の左には、釈迦ヶ岳、竜ヶ岳が見えていて、大パノラマが眼前に展開していた。 こんな雄大な光景に見とれ、写真を撮っていると時間を忘れたが、11時25分に出発の号令がかかる。山頂に別れを告げ、北の尾根を下って綿向山北峰へ向かう。雪の尾根を下って、竜王山分岐を右へ向かうと綿向山北峰。ここから東へ下った平坦な尾根で昼食となった。陽は燦さんと降り注いでいたが、風は冷たく肌に指し、風を避けて尾根の下へ座り込み、目の前に違った角度からの雨乞岳を見ながらの昼食だった。 天気は良くとも肌寒く、流石にこの日はビールを飲む人は見当たらない。食べる物を食べると、めったに見ることの出来ない景色を見ようとウロウロ。北方には、綿向山では見ることの出来なかった平坦な山頂の日本コバ、その奥には銚子ケ口、霊仙山や御池岳の姿も見ることが出来た。遠くに霞んでいるのは金糞岳なのだろう。展望を楽しんだ後、最後に恒例の甚目寺の彼のコーヒーで、岩野さんの例会復帰を祝し乾杯し、出発となった。12時40分、指名を受けて、私が先頭グループで歩き出す。北峰へ登り返して竜王山分岐から北の急傾斜の雪の尾根を下って行く。誰も下っていないと思っていたら、何処にでも物好きは居るもの。尾根には幾つかの足跡が残っていて、ルート選びに困ることはない。急尾根をドンドン下るとやっと鞍部。そこから登り返して962mを越えると、更に急斜面の尾根が待っていた。無雪期の下りも、崖を下るようで怖いという記憶があったが、積雪時の下りは、滑ってしまうと何処まで行ってしまうか分からないので、より慎重に下らなくてはならない。一歩一歩足を踏みしめ、やっと奥ノ平東の鞍部へ下った。 鞍部から左杉、右手灌木の尾根を、標高差30mも登ると岩壁の尾根へ乗る。ここから東方を見ると、向山の尾根が目の前に横たわり、その手前に登谷が畝り、イハイガ岳へと延びていた。細尾根を西へ向かい、北へ振るとCa900mのピーク。綿向山より200m低いだけだったが、雪はベタ付き、アイゼンに雪が積もりがちとなる。このピークから方向を西に変えて灌木の尾根を歩き、甲津畑へ下る分岐ピークを過ぎたら、左杉、右灌木の尾根歩き。尾根先端から急尾根を西へ下って、登り返したピークから90度方向を変えて南へ下って尾根に乗り、西へ向かうと「オンバノフトコロ(姥の懐)」と書かれた標識が立っている。この尾根の佐久良谷北面一帯をそう呼んでいるらしい。そこを過ぎると送電線鉄塔。鉄塔下の広場へ登ると一気に展望が開け、ここで休憩を取った。振り返ると、今登ってきた綿向山が高く高く聳えて立ち、良くあんな所を下ったと思える程の急な尾根が見えていた。南には綿向山五合目の小屋が、手の届きそうな所に見え、北方には日本コバが横たわっている。西方を見ると、尾根続きに竜王山の松の木が間近に見えていた。 鉄塔から平坦な尾根を西へ20分も歩くと竜王山山頂。13年半振りの再訪であった。竜王山は、この名の他に竜王岳、三峰山、葛山、雨乞岳、飛来峯、沼辺山、大慈山など、数多く別称のある山である。山頂には竜王石と呼ばれる三つの石があり、麓にある西明寺へ近隣百姓が要請し、八大竜王を勧請して、西明寺の僧による佐久良川流域の雨乞い儀式を行われているという。現在では、八大竜王勧請と言うことから地形図に表記され、竜王山が定着している。今回の山行では、雪が多かった為か、竜王石は見ていない。 さて、三角点といえば、尾根の西端にある筈。行って見ると、三角点広場は雪に覆われていて、三角点を示す白いポールが雪面に出ているだけ。守山の彼がポールの東側の雪を足で掘るが、三角点はなかなか見付からない。雪は30cmは積もっており、掘り出すのは無理だと、半ば諦めかけた時にやって来た太秦の彼女。猛烈な勢いで足で雪を蹴り、遂に、三角点を探り出した。その執念に、廻りの皆は、あきれるより冷やかし、はやす。お陰様で13年半振りに三角点に会うことが出来た。標高825.8m、点名「龍王山II」で、三等三角点である。標石は南南西向きで、南から西へ20度振っていた。ただ、西南と西北の角が欠けていたのは、一寸残念だった。 15時25分、竜王山山頂を後にする。山頂から急斜面を南へ下ると、広くて勾配の緩い雑木の林の尾根になる。疎林の林を南へ下ると斜面が急になり、雪の解けた斜面の道跡を斜めに西へ下ると尾根に乗った。そこから左の斜面を下って、杉の林の道をジグザグに下って行くと、水木林道へと下りた。下りた地点は、置き車をした地点のすぐ下だった。 運転手が林道奥へ車を取りに行って、順次バス停「西明寺口」上の道端広場へ向かう。全員揃った所で、16時30分に例会は解散となった。 |
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