--鈴鹿を歩く302(新ハイ岩野氏例会)-- 入道ヶ原からスモトリコバ 平成21年01月11日(曇り晴) 礒部記(地形図:日野東部) |
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コース 小倉6:05⇒7:45永源寺役場8:30⇒8:40佐目青木商店→8:50若宮八幡9:00→10:35送電線鉄塔10:45→11:00・746m→11:40入道ヶ原→11:55鞍部桧広場12:45→14:05スモトリコバ14:15→14:30相谷→15:00国道421号→15:40永源寺役場16:00⇒(黒丸SA) ⇒17:20小倉 |
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入道ヶ原、スモトリコバの二つの三角点を、最後に訪ねたのは平成15年12月の岩野さんの例会のことで、相谷から登って佐目へ下っている。その時の例会では、・746mと佐目の間は樋ノ谷の東の尾根を歩いているが、今回は、樋ノ谷から巡視路を歩いて直接746mへ登るルートで、ほぼ、前回とは逆のルートを歩いた。 6時過ぎに家を出る。宇治田原から裏白峠を越える時には、路面に雪が見られ、信楽から水口へ下る坂道では、綿向山の山腹が白く彩られていているのが見え、初めて「あまり高くない入道ヶ原でも雪が多いのでは?」という思いが頭をよぎる。 永源寺役場広場へは、7時45分に到着。着くのが早過ぎると思っていたが、既に大半の人達が集まっていた。この例会は今年最初の岩野さんの例会なので、まずは新年の挨拶を交わす。山田さんの車が、駐車場である佐目の青木商店へ駐車を断りに先行した後に、姿を見せない人を8時30分まで待って、残りの人達は5台の車に分乗して佐目へと向かう。この日は雪のための欠席者もあったが、最終23名の参加であった。ダム横の道を奥へ向かうと、標高が高くなったとは思えないのに、道脇の雪の量は次第に多くなってくる。トンネルを潜ってすぐの青木商店横の広場へ着くと、広場には10cm程の雪が積もっていた。雪の広場へ車を置き、雪山歩きの装備を完全にして、佐目若宮八幡宮へ向かう。若宮八幡宮は、宇佐神社、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮等、何処の八幡宮の若宮を勧請したのか分からないが、八幡神応神天皇の御子神である仁徳天皇を祀る神社である。この神社には、金山比売命を祭神とする塔尾金社が合祀されているが、この神は、金属精練や鍛治などの若い時期の佐目の部落の人達が、深く鉱山関係の仕事に携わっていたことが窺い知れる。塔尾金社の山神は、この神社に伝えられていた古文書にあるように、神崎川下谷尻谷東尾根上にある御金明神と呼ばれている御神岩で、岩野さんの例会や個人山行で何回か訪れている大岩である。 まずはこの神社へ参拝をする。次いで鳥居前で出席を取り、この日のコース説明、「岩野さんが退院して元気になり、次の例会には参加したい意向がある」旨を山田さんから伝えられた後、ここからワカンを着装して、9時に出発となる。6年前の山行では、私は、12月末の山行だと言うのに、ウカン、アイゼンばかりでなくく手袋まで家に忘れて来てひどい目にあったが、今回はアイゼン、手袋は持って来たものの、雪の多いことなど全く念頭になく、アイゼンの横にワカンがあったのに、ワカンは頭から抜け落ち、持って来ていなかった。ワカンを持って来ていなかったのは、私を含めて鈴鹿のお兄いや大津、奈良の彼、稲沢、大津の彼女等の8人で、ワカン組の後に付いて、ツボ足での山行となったのだった。桧林の中の道跡を南へ登って行く。林の中では積雪も5cm程で、ワカンを履かない方が歩き易いと喜んでいたが、樋ノ谷沿いに出て、谷左岸を上流へ向かうと、雪の量は次第に多くなってくる。前を歩くワカン履きの人達の足跡を踏んで歩いても、アチラでズボッコチラでズポッ。何歩かに一度は、足首まで雪に潜ってしまい、足への負担は避けられなかった。それに比べて前を歩くツボ足の彼女は、潜りもせずに雪の上をスイスイ。この時程自分の体重の重さが恨めしく思ったことはなかった。谷の左岸から右岸へ、右岸から左岸へと何度か渡り返し、右手に一つ目の谷を見てしばらく登り、二つ目の右手の谷を見た先で頭上の送電線を潜ると谷分岐。ここまで登ると、積雪は40cmを越えていた。 頭上に二本目の送電線を見て、送電線鉄塔の指標のある所から、引き返すようにターンをして斜面を北へ登って行く。直線的に斜め上へ登り、尾根を谷に沿って左へ巻く。雪の急斜面では、巡視路は不確かだったが、それらしい跡を登って行く。頼りになるのは鉄塔の指標だけ。上へ登るとそれも分からなくなり斜面を直登。やっと送電線鉄塔へと出た。これまで狭い谷を歩き何処を歩いているのか分からなかったが、ここに来て辺りの展望が開け、素晴らしい雪山を目の当たりした。東正面には斜面を雪で覆われたカクレグラが頭を隠していたが、水呑岳はシッカリとその頂きを見せていた。送電線鉄塔は尾根の斜面が緩くなる地点に立っていたが、地形図にある送電線の位置を見ると実際の地形とは合わず、2mm程東へずれているようにも思えた。この場所で全員の集合写真を撮る。 一息入れて、緩い桧林の尾根を200mも西南へ登って行くと、746mのピーク。雪がなければ、200m程南にある送電線鉄塔まで行くと、素晴らしい南北の展望を見ることが出来るが、こんなに雪が多いのでは、往復するだけで大変なので鉄塔へ行くのは止めて、このピークから入道ヶ原へ向かった。雪が無ければ尾根に踏跡が残っている筈だが、こん雪では踏跡は隠され、左桧、右雑木の林の境界を目印に歩くしかない。尾根が西から北へ振り、緩く登ると地形図にあるピーク。ここで先頭はどちらへ進むか迷ったようだが、声を掛ける間もなく、西の尾根を進む。その尾根が再び北へ振ると、細い尾根を登る。左にガレ場が見えているので、間違いなく正しいルートを歩いている。尾根を登った上の桧林の外れから、西へ延びている尾根が入道ヶ原へ向かう尾根であった。 "先頭は細い尾根を西へ向かっている。細尾根には踏跡がある筈だが、雪で歩くことが出来ずに尾根の北下を歩いて行く。尾根に入って間も無いのに、先頭から三角点だ!」の声が聞こえてくる。「そんなに近い筈がないのにな〜」と思いながらも、列の後から付いて行くと、30mも歩いた所にあった一寸した広場。そこには赤い印が巻かれた棒が雪に立っていた。甚目寺町の彼は、「これが三角点のある印だ」と言っていて、後藤さんも何も言わないが、どうもおかしい。記憶に残っている入道ヶ原は、30人程の人が散らばって食事をしたのだから、こんなに狭い筈がない。しかも、6年の間に展望が隠される程廻りの木が大きくなるのも納得行かない。そう思って地形図を確認している間に、先頭は『入道ヶ原の三角点へ到達した」とばかりに、尾根を東に引き返して行ってしまった。 地形図を見ると入道ヶ原の三角点ピークから、尾根が北と西へ延びているが、このピークは尾根の途中の様で、そんな尾根は何処にも見えない。当然、入道ヶ原はこの西にあるピークだと確信したが、既に殆どの人は引き返した後。ツボ足では確認にも行けず、泣く泣く引き返さざるをえなかった。残っていたGPSを持っていた方に、「入道ヶ原はもと西の筈だが、本当にGPSは、ここが入道ヶ原だと指しているの?」と訪ねると、二人は「間違いない」との返事。それを聞いて、呆れて物を言う元気が無くなってしまった。登って来た尾根に引き返し、皆の後を追う。尾根を北へ登り、「入道ヶ原最高点」の指標のピークを乗り越し、緩く尾根を下った桧林に囲まれた平坦な広場へ下る。時間は丁度12時前。この場所で昼食となった。「先程行った入道ヶ原の場所は違っている」と真っ先に言おうと思っていたのに、足が潜る深い雪に気が散らされ、その上食べることに気が走ってしまい、年を取って健忘症が発症し、「入道ヶ原を踏んでいなかった」ことは、山行が終わるまで失念。家に帰ってこの日の行程の記憶を辿るまで思い出すことはなかった。踏んでいなかったが念の為書くと、入道ヶ原、標高789.1mて、点名はこの山の西部が山上村和南であったことから「和南」。別に阿ノ瀬山、丈立山、三ツ又とも呼ばれている山である。中世以前には、巨木の繁る森林であったが、東大寺の荘園に編入されてから伐採され、二次林の草地になったことから、この山名が付いたと言われている。 暖かい陽だまりで食事を終え、12時45分に午後の行動を開始する。標高差20m程の北のピークへ登り、尾根を北へ向かう。相変わらず雪は深かったが、殆ど登りは無くて下りばかりだと思うと、足が潜っても気は楽だった。スモトリコバまでは、分岐の尾根が幾つかあるが、注意しなければならない地点は二か所だけ。再び、少し登って北へ延びる尾根を歩き、左手に広い緩い斜面を見たら、それを下る。尾根が広くなったら好きな所を歩き、列が乱れるので、ツボ足の者にとっては、足が潜って体力の消耗が甚だしい。 その先の細長いピークへ登って、尾根の先から方向を右に振って急な細尾根を下って行く。右桧、左灌木の細尾根で、分かり易い尾根である。下る途中に林の間から、東に黒尾山、その左奥に静ヶ岳の全景と、竜ヶ岳の左半分が顔を覗かせていた。一旦尾根が緩くなり、一寸した急尾根を下ると緩い尾根先端が尾根分岐。右の尾根を下ると佐目トンネルのへ下るが、左の急斜面を下る。雪が少なくなってきたのか、斜面が急なだけ良く滑り、足を滑らすと5m程は止まらない。何とか斜面を下ると緩い尾根へ乗った。ここに来て、なめて後方の展望が開け、後ろ上方に高く高く左上に田山が見えていた。 尾根なりに西へ曲がり、尾根先端から、こんな斜面をと思う程の急斜面を下ると、細い尾根の鞍部へ下りる。ここが6年前相谷から登ってきた地点だった。この鞍部から北一つコブを越えた先のピークがスモトリコバ。広場の中央には、誰が雪を掻いたのか、三角点が雪面に頭だけを出していた。スモトリコバ、標高483.6mで三等三角点。点名を流れる谷名の「相谷」。標石は西南向きで、南から西へ45度振っていた。この山名は神崎郡志稿には「峪道山」と記されているというが、この名称は官製上の名称で、地元でスモトリコバと呼んでいるという。ただ、その由来に付いては不明で、山名はピークを指すのではなく、この辺り一帯を指すのだという。 三角点から北へ延びる尾根を下ることになる。指名を受けて、いきり立ったアノ方が先頭で下り出すが、西へ下った尾根が北へ振り、その尾根の先端から北西へ真っ直ぐ下らなければならないのに、緩い尾根に引かれて、西へ延びる小尾根を下ってしまう。方向が違っていると分かっていたが、CLは、列を分ける訳にもいかず、二人の足跡を辿り下る。最初は緩かった斜面は、思っていた以上の急斜面になり、それを下ると相谷へ下りた。谷は予想以上に雪が深く、全員ワカンを脱いだ足ではズボズボ、潜る。それでもワカンをを滑らせ転び、水にはまったアクシデントがあったが、15時には全員怪我も無く戻った。ここから車運転する人と、買い物をする人が佐目へ向かい、8人が国道を歩き、永源寺役場へまで歩く。16時には全員が揃い、岩野さんの平成21年第一回例会は解散となった。参加者の殆どは、入道ヶ原の三角点へ行ったと満足していることだろうが、実際には入道ヶ原の三角点まで行くことが出来なかったことは、本当に残念だった。 |
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