-鈴鹿を歩く300回記念山行(新ハイ岩野氏例会)

権現谷北尾根、Ca710m             平成201207()

礒部記(地形図:霊仙山、彦根東部)

コース 小倉6:007:40芹川寺院広場8:008:10安原道広場8:308:50奥の権現8:559:45重谷分岐9:55→重谷奥小屋10:10→11:05598m10:1012:40 Ca710m 12:5012:55712m13:15行者の森13:3014:10安原道広場14:2014:25芹川寺院広場14:3016:40小倉

岩野さんがリーダーで始めた新場→ハイ例会「鈴鹿を歩く」は、平成8320日に第1回例会「清水平谷から残雪の雨乞岳」を行って以来、129ヶ月の長きに渡り続けられ、今回の例会で300回を数えるに至った。近江側から登ることに拘って、鈴鹿山系をこれ程多Kのルートから歩く例会を続けられたことは、称賛に値すると言っても過言ではない。この間には、リーダーの体調不良による例会中止の危機もあったが、何とか今日まで続けて来られたのは、当初の頃から岩野さんの例会に参加していた鈴鹿の魅力に取付かれた有志の協力があったからだと言えるだろう。300回例会までには、節目として平成12820日に、100回記念例会である「仙香谷、赤坂谷」の沢山行が、平成16923日には、200回記念例会の「谷山、幾里山、ソノド」が実施され、今回の300回記念例会では、岩野さんの例会では初めて歩くルートである「権現谷の北尾根p712m]を歩いた。

芹川寺院広場へ8時に集合し、岩野さんの入院の状況、「鈴鹿を歩く」の例会は、岩野さんの復帰まで、来年も後藤リーダー、山田、一芝サブの体勢で続けるとの説明を受けた後、安原奥の道広場へ移動する。この日の例会参加者は35名。300回記念山行だと言うのに、岩野さんの姿が無く、数名のレギュラーメンバーの顔が無いのが淋しい。

830分に出発となる。計画では行者谷分岐まで車で行くことになっていたが、この日のルートが短かい上、行者谷分岐までの距離も無かったことから、昔良く歩いたように、ここから権現谷林道を歩くことになった。林道を歩き出して5分もしないうちに、谷の中州に数本の太い杉が立っていて、その西に鳥居が立っている。車で走ったのでは見逃してしまうが、「口の権現」と呼ばれている社である。この上流の権現谷と行者谷分岐には、水神を祀ったと言う「奥の権現」の社があるが、雪のある時に「奥の権現」へ詣ることが出来ずに、「口の権現」の参拝で代替えするのだと言う。鳥居の奥には、蔦の絡む大岩が鎮座していると言うが、未だかってそれを見たことはない。

右岸の林道の杉林の所に炭焼き小屋、小さな地蔵尊を見て東へ歩くと、谷左岸の大岩の下から水が噴き出ている。その脇には何の意味か、「河合不動明王」と書かれた札が下がっていて、ここから権現谷の流れが始まっている。この上流は伏流水の谷で、水は無い。道が右から左へ巻くと、左は見上げるような岩壁が続いている。両側に垂直に立っている狭い岩壁の間の橋を左岸へ渡り、右手へ廻り込んだ先の左下の谷に、鳥居が立っていた。ここの狭い岩の割れめの上方に「奥の権現」と呼ばれている社があり、今でも1月、5月と9月の縁日には権現祭が催されていると言う。役ノ行者が大峰山へ入山する前に、この谷で修業したとの言い伝えが残っており、戦前には大和大峰山へ参拝した人達が、権現詣りをする習慣があったと言うから、霊仙寺華やかなりし頃から、この辺り一帯は信仰、修業の場として重要な場所であったのであろう。

「奥の権現」の東にある丸太を組んだ橋を渡って、行者谷へ踏み込む。これまで何度となく、霊仙山岩ノ峰からの下山路として滝谷、行者谷を下っているが、行者谷を遡るのは私にとっては初めてで、更に、重谷から横道を通って笹峠南にある712mへ向かうのも初めてのことだった。谷入口から水の無い岩のゴロゴロしている谷底を50mも遡ると、2m程の高さの一枚岩の段がある。水があれば滝となる地点で、以前は段を下るのに苦労したが、ワイヤーが下がっていて、何とか上へ登ることが出来るようになっていた。

大岩がゴロゴロしている水の無い谷を登って行く。谷が右手に廻り込むと谷幅が狭くなり、両側から切り立つような壁が迫ってくる。この辺りがこの谷一番の核心部で、上からの落石があったら逃れようのない地点である。上を気にしながら、急いでこの区間を通り抜けると、右手から流れ来るガレ場があり、その先は幾分広い谷床へとなってきた。谷の右岸にある十数本の杉の林を通り過ぎ、左から張り出している尾根が近づくと、右岸に踏跡が現れる。踏跡を辿って、谷を離れて右岸の斜面を登って行くと、すぐにこんな所に~と思われるような3m幅程の道に乗った。道の右には木々が立ち並び、春であればフサザクラの花が咲き、秘境と言われている谷奥とは思えない光景を見ることが出来るが、この時期に見るのは枯れ木だけ。道を歩き、尾根を左へ巻くと行者谷と重谷の分岐へ着く。右手の谷は、フクジュソウの季節に、霊仙山から岩ノ峰を経て尾根を下り、白谷林道、滝谷と下ってくる谷であるが、この日の例会では、左の谷を遡る。重谷と呼ばれる谷で、岩野さんの「鈴鹿を歩く」300回の例会では、初めて歩くルートである。狭い谷入口から奥へ入ると、次第に谷は広がり、谷右岸に道跡が現れる。谷は勾配の無い比較的平坦な谷で、道跡を踏んで400mも遡ると、この山域には珍しく杉林が現れた。谷は既に水の無い小川に変り、それまでの荒々しい谷の様相は消えてしまっていた。暑い季節には主様の住家になろうかと思われる杉林の中を歩き、左からの谷を見て、更に東へ向かうと、右手から来る谷分岐の平坦な杉林の中に、作業小屋が建っていた。谷を歩いていた時に見えていた谷の左斜面に切られていた道は、ここへ繋がっていたのだった。

この地点から切り返すように、霊仙山近江展望台南斜面下に切られている幅2m程の道を登って行く。この道は地形図に載っている破線路の道で、近江展望台南斜面と712m、・598mに広がる平坦斜面の林の伐採木材を運び下ろす目的で造られたようだ。運び下ろされた伐採木材は、上の白谷林道へ運ばれたり、行者谷を運び下ったのだろうが、調べてもその資料を見付けることは出来ていない。当然、今畑方面から笹峠を越えてこの破線に繋がる道があった筈だが、今では笹峠から下で、道が消えていると聞く。

斜面に切られた2m幅程の道は、水平に近い角度で緩く登って行く。所々で崩れた個所や藪めいた個所はあるが、人が通ることには支障がない。右手急斜面の上方には、人手が入った形跡のある若い杉林がある所を見ると、今でもこの道は利用されているのだろう。足元にはイノモトソウがアチコチに生い茂り、この時期に、ボタンズルのような毛花も見た。道の左手は、谷底が見えない程の急斜面で、西へ歩く程に展望が開けてくる。左手後方にはコザトの北峰が、左手前方には鍋尻山や岳の畑が次第に全貌を現してくる。

565mの尾根を右手へ廻り込んで西へ向かうと、急斜面を切る道が終わり、緩い斜面の杉林へ入る。杉の木は若い杉で、この植林帯へ入ると道は定かで無くなってしまう。構わず緩い斜面を西南へ向かうと、再び道跡が現れ、その道跡は西へ向かう浅い谷を登って行くが、我々は前にある尾根へ乗り、右手へ登ると598mへ登り着いた。・598mは低い岩がアチコチに点在する比較的平坦なピークで、木々も疎ら。地面にはヱビネの葉やフサスグリに似た赤い実を付けた小さな木が色を添えている。その中で一本の太いケヤキの木が印象的な山頂だった。辺りを見渡すと、東には谷を挟んでコザト、リョウシが横たわり、その左奥にソノドも頭を出している。南には鍋尻山、岳の畑が腰を据え、西の笹峠から近江展望台への西南尾根や、目の前に立ちはだかる南斜面は圧巻としか言いようが無かった。時間は11時を過ぎたばかりだったが、こんな光景を眺めながら昼食を取ることに決定。

暖かい日差しを浴びて、広い山頂に散らばっての昼食。最後には、何時ものように甚目寺の彼のコーヒーで締めくくる。300回例会の記念写真を3枚も撮り、簡単に「鈴鹿を歩く」のこれまでを説明して、1210分の出発となった。

598mを西へ下って、方向を南へ振って斜面を横切って歩く。落ち葉が敷きつめられた情緒ある浅い谷を越えて、更に溝状の谷を渡って尾根に上り、北西へと登る。岩野さんはこの辺りを長サコと呼んでいるが、正確に何処を指すのか分からない。尾根の途中で、権現谷林道の地蔵尊の横からこの尾根へ延びている古い道を探しながら登ったが、見付けることは出来なかった。尾根は、地形図の等高線の幅が広いが、実際には地形図で読む以上に急勾配の尾根で、登るのにフウフウ言わされる。雑木の疎林の急尾根を登り、メギの低木の藪を漕いで登ったピークがCa710m。岩野さんのルート図には713.8mと書いているが、このピークには三角点も無ければ、標高点でもない。狭いピークではあったが、展望は昼食をとったピーク以上の展望で、北には霊仙山近江展望台が迫ってきていた

1250分、細い尾根を下り712mの南をかすめて西南への尾根を下る。ここから安原へ延びている尾根は、4月のフクジュソウの山行で、何度となく登り下りしている尾根であり、歩き馴れている尾根である。緩い雑木林の尾根を下って、細い岩ガラの尾根になると、ここがオオジャレの頭。ここから南の急斜面を下ると、そこには素晴らしい雑木の疎林の平坦地が広がっている。登るにせよ下るにせよ、休むには絶好の場所で、岩野さんが最初は「宝冠の森」と名付けたが、その後「行者の森」と呼んでいる場所である。

休憩の後、緩い尾根を西南へ下る。春にはヤブレガサが一面と言って良い程出ている尾根なのに、この時期には緑は無く、落ち葉だけが斜面を覆っている。この緩い尾根の先端を上手山と呼ぶそうだが、山と呼べるピークは何処にも無い。この尾根から安原へ下る尾根に乗るのは間違い易いが、尾根先端を北へ廻り込み、杉林の右手を下れば良い。岩の出た転げ落ちそうな急勾配の尾根を下ると、膝はガクガク、足はガタガタ。滑り転ばないように慎重に下り、杉の林に入ったら、尾根を左へ巻くように下ると、民家の東、車を置いていた道広場へ下りた。時間は1410分で、岩野さんの例会にしては早い下山だった。ここで解散となり、「鈴鹿を歩く」300回記念山行は、主不在のまま無事に終了した。