鈴鹿を歩く298(新ハイ岩野氏例会)

霧ヶ岳、四万草山、三子山                                                          平成201102()

礒部記(地形図:鈴鹿峠)

コース 小倉6:007:15鈴鹿峠燈篭広場8:008:15安楽越8:208:55大峠→9:30小峠→9:50霧ケ岳10:0010:30四方草山→10:45四方草山南峰11:50→12:40三子山北峰(568m) 12:5513:15中峰(556m)13:30三子山南峰13:4014:15鈴鹿峠燈篭広場14:3516:00小倉

岩野さんの「鈴鹿を歩く」の例会で、安楽越から鈴鹿峠までの県境尾根を歩くのは、平成159月以来のことで、今回が2回目。今回の例会参加者は34名と多かったが、前回は17名の参加。5年前の例会に参加してこのルートを歩いたのは、リーダーと瀬田のサブ、守山、大津、高所恐怖症の彼と私の6人だけだった。本来なら、この6月にこのルートを歩く筈だったが、雨の為中止となり、今回の例会は、そのリベンジと言って良い。

6時に小倉を出て、信楽から新名神へ乗ると、鈴鹿峠の燈籠広場へは715分に着いてしまう。ここにある大きな石の燈籠は、江戸時代に道中安全を祈願して、金毘羅詣りの講中が建立した、「万人講常夜灯」と呼ばれる石燈籠である。こんなに早い時間なら、当然一番乗りだと思ったら、既に多くの人が集っていて、プキッチョな彼の車が脱輪し、車を持ち上げる作業中。まずは歩く準備をして駆けつけたら、既に車は上がった後だった。集合地の広場は、昔の鈴鹿峠道の西端にあり、車は峠の下をトンネルで潜っている。古道の鈴鹿峠道は阿須波道とも呼ばれ、平安時代の仁和2(886)に開通したと言う。初めは開通したと言うだけで、今昔物語にもある様に山賊が横行して安全な道ではなかったが、江戸時代になってから街道として整備された。今ではここを歩くのは、主にハイカーだけで、昔の峠の面影を今に残している鈴鹿峠を知る人は少ない。

置き車をして、8台の車に分乗して安楽越へ移動する。安楽越は、木地師の筒井一党が住んでいた近江の山女原から、伊勢の安坂山へ越える道の峠である。別に山女原越、安楽峠とも呼ばれ、鈴鹿越の間道に当たり、鈴鹿峠に比べて楽に越えられたことから、この名が付けられたと言われている。天正11(1583)に、秀吉が蒲生氏郷の軍で伊勢亀山城の佐治新助を攻めた時に、この峠を通ったと言うからその歴史は古い。今では舗装され、車も通ることが出来るが、古道の安楽越は、車道のすぐ南に残っている。

点呼の後、簡単なコース説明があり、815分、岩野さんの指名を受けて、私がトップで歩き出す。尾根西の道を登ると、すぐ古道の安楽越に乗る。道幅は狭いが東側にはシッカリとした道跡が残っていた。旧峠から南へ急坂を登る。僅か標高差60m程の登りだったが、歩き始めの急登はたまらない程辛い。後ろなら立ち休み出来るが、トップでは立ち止まる訳には行かず、ひたすらユックリと登るしかない。やっとピークを越えるとガレ場に出て、前方には、これから向かう霧ヶ岳、四方草山が見えている。尾根を伝ってあそこまで登るのだと思うと、それだけで気がそがれそうになってくる。

せっかく登ったのに、一旦下って尾根に乗り、右手の尾根へ登り返す。以前にはスイッチバックした道を登ったが、見ると尾根への直登ルートが開かれている。乗った尾根を西南へ向かい、ガレた細尾根を歩いて、笹のトンネルを潜るように急斜面を急降下すると、そこが大峠(-451m)と呼ばれている最低鞍部。鈴鹿には大峠と呼ばれている峠が、銚子ケ口の南尾根、宮指路岳の北の小岐須峠、押立山南尾根等とアチコチにあるが、この峠もその一つで、山女原の丸田谷から伊勢の岩坪谷へ越す峠である。昔は、杣人など、相当な利用があったと言われているが、今では踏跡も消え、物好きな山屋が辿っているだけ。

大峠から一段登り、ヤシャブシの林を抜けると、目の前にガレ場が立ちはだかる。左は岩坪谷へ落ちる切り立つ崖で、実際の50cm程の尾根道を登らなくてはならない。最後の20程は、左崖のナイフリッジの急登で、下を見たら眩暈がしそう。ひたすら上を見て一歩一歩確実に登るしかなかった。9年前にこの崖道を下った時、下を見て足が竦んだが、下らなければ帰れず、思い切って後ろ向きに下ったことを、昨日のことのように思い出す。ガレ場を登り切っても、左崖の道は続くが、小ピークを超えると尾根道になり、緩く下ると小峠と呼ばれている鞍部へ下りる。この峠の両側に道らしい跡は見付からず、古い昔に乗り越しの道を利用する人は無くなったのであろう。小峠からは霧ヶ岳へ最後の登りにかかる。急過ぎる程急な斜面をよじ登り、林を抜けると霧ヶ岳の西端で、東へ50mも歩くと霧ヶ岳山頂。桧に囲まれた林の山頂は、展望は全く無かった。この山名の由来は不明であるが、霧が出易い山であることから名付けられたとも言われている。伊勢側では北山と呼んでいるそうだが、北山は東の鋭峰を指すと言った方が良いのだろう。霧ヶ岳で休んだ後、方向を西へ変えて一旦下り、小さなピークを二つ越えると道分岐。左の巻き道を歩いても、途中から尾根へ登ることができるが、敢えて急傾斜の石の尾根を登り、四万草山北峰を踏む。9年前にこの山へ登った時、丸田谷林道途中から北西へ延びる尾根を登ってこのピークへ出た思い出のあるピークであった。ここから200mも尾根を南へ歩くと四方草山山頂。山頂広場は狭かったが、東西の展望が開けている。西には土山の里山が見下ろせ、東には目の前に明星ヶ岳が間近に横たわっていた。

広場の真ん中に、奇麗な三角点が立っていた。標高667.4mで、点名「唐谷」、三等三角点である。標石は南向きで、南から西へ20度振っていた。この山の山名、四万草山は、昔は四放草山、四尾草山、塩層山とも書かれ、冷水嶺、四王山とも呼ばれていたが、最近では、山女原の小字名である四万草山で統一されるようになっている。

山頂広場は狭過ぎ、全員が入ることが出来なかったので、三角点を見て、辺りの風景を見渡してすぐ出発となる。尾根を南へ下り、疎林の尾根を過ぎて登り返すと、一寸した笹原のある四方草山南峰と呼ばれているピーク。時間はまだ1045分だったが、リーダーはこのピークで昼食を取ることに決定した。ここまでは私が先頭を歩き、ユックリ歩いてはいたが、「歩くのが早過ぎる!」と、列の後ろからは怒鳴られ放し。5年前の例会より、安楽越を10分早く出て、大峠で5分の差になり、霧ヶ岳では同じ時間になり、四万草山では5分遅れの1035分の到着なので、遅いペースと言って良いだろう。それなのに「歩くのが早い」と言われるのは、皆んなの体力が落ちていると思うしかない。

岩野さんの例会では、珍しく1時間の昼食時間を取り、食後の行動開始。南峰から西南へ尾根を下り、東へ急坂を下ると、左から来た巻き道と合う。右手はガレ場で、その東のピークの北を巻いて東へ向かい、スイッチバックして尾根をガレ場へ。道はガレ場で切れてしまうが、岩の下を通ってガレ場に出て、ガレ場の東縁を下り、道とは思えない急傾斜の道を下って尾根へ乗る。巻き道の分岐からこの尾根へ乗るまでは、道がはっきりせず、初めて歩く人にとっては間違い易い地点である。5年前には、先頭がピークの北の道を真っ直ぐ下ってしまい、呼び止めて引き返してもらった忘れようもない地点であった。

尾根へ乗って、後ろから「もう危険箇所は無いですか?」と聞かれて、「無いですよ」と答えた途端、急坂の下にキレットが目の前に現れ、ザイルの助けを借りての登りが待っていて、後ろからは文句タラタラ。ルートをシッカリ記憶していたつもりでも、5年も経つと、記憶から抜け落ちる個所が出るようで、これも年のせいにしなくては~。キレットを過ぎて、前回に昼食をとった平坦な尾根を越えると、灌木の林から抜け出す。右手に芒の原が広がっていて、前方には二子山北峰が立ちはだかっていた。

ここから三子山の登りが始まる。右桧、左杉の針葉樹の斜面を登り、小さなピークを越えると標高差80mの登り。とにかくユックリとジグザグに登るしかない。ヒイヒイ言いながら登り着いたピークが三子山北峰(568m)。三子山1峰とも呼ばれているピークで、北方の展望は素晴らしかった。今下ってきた四万草山南峰、ガレ場からの尾根が、間近に迫っていて、その左奥にアンテナの立っている野登山、仙ヶ岳の東峰、西峰と続き、能登ケ峰の後ろに重なったサクラグチの間に、天を突くような鎌ヶ岳の頭がチョコンと出ている。左の林の切れ目からは、綿向山、水無山がクッキリと姿を見せてくれていた。山頂には、我々が南峰で中食している時に、側を下って行った4人連れが、記念写真の撮影中。その中の一人は有名人とのことだったが、私は名前も顔も知らない。我々がこの山頂へ到着すると、それと入れ違いに、鈴鹿峠へと下って行った。

このピークで私の任務は終了。ここから岩野さんがトップで、右桧、左雑木の斜面を下って行く。鞍部へ下るとすぐに標高差50mの登り。三子山中峰(556m)は展望もない山頂で、休むことなく通過する。再び下って、右桧、左雑木の境界斜面を、標高差50mも登れば、二子山南峰へ登り着いた。雑木の林に囲まれた山頂で、展望は全く無い。

三子山は、並んだ三つの頂を持った山の総称で、北から三子山北峰(1)中峰(II)南峰(III)と呼ばれており、三児山、三個山、三神山、三高山、三向山などと数多くの別称を持つ山として知られているが、現在では三子山で落ち着いている。特に南峰には磐座があり、古代の信仰の名残をとどめているが、今回は木の間に張られたしめ縄を見ているが、磐座を見ることはなかった。この山頂で最後の休憩をとるが、いざ出発となった時、リーダーに続き、大兄、その他の人達が、シッカリした道を南へ下って行く。その道を下ると坂下へ向かい、鈴鹿峠へは西の道を下らなくてはならないので、慌てて岩野さんを呼び止めた。一瞬、不審そうな顔をしたが、間違いに気付き戻ってきた。

南峰から西へ、瀬田のサブを先頭に下って行く。鞍部から送電線鉄塔を右に見て、尾根を登るとピークで東海自然歩道と合った。東海自然歩道は、昭和44(1969)に元厚生省が提案し、昭和49(1974)に完成した明治の森高尾国定公園から箕面国定公園を結ぶ、全長1697km(本道は1347km)の長距離自然歩道である。三重の石水渓から来た歩道は、安楽越から山女原を通り、このピークから鈴鹿峠へ下り、坂下から沓掛、加太、ゾロ峠を越えて柘植へと向かっている。このピークベンチで一休みし、東海自然歩道を下って鈴鹿峠へ下り、燈籠広場へは1415分に戻った。5年前より15分早い到着だった。距離は短かったが、アップダウンが多くて、ガレ場の難所も多いルートだった。

全員戻ったことを確認し、ここで解散。車を取りに安楽越へと向かった。