--鈴鹿を歩く296(新ハイ岩野氏例会) 鈴北岳、鈴ヶ岳、茶野 平成20年10月05日(小雨) 磯部記(地形図:篠立) |
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コース 小倉6:00⇒7:50大君ケ畑バス停8:00⇒8:15鞍掛トンネル西広場8:20→8:55鞍掛峠→10:20鈴北岳10:25→11:15ヒルコバ1:00→12:15鈴ヶ岳→12:50桜峠→13:20茶野→15:20大君ケ畑16:00⇒17:45小倉 |
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秋になって、週末になると天気が崩れ出す。前回の岩野さんの例会「柾板峠」では、歩き出して30分も経たぬうちに猛烈な雨に見舞われて、例会は中止となったが、今回の例会は、朝の内は天気が持ちそうだが、昼からの降水確率は50%で、何時降るかと心配しながらの山行となった。今回の「鈴鹿を歩く296」で歩く山は、鈴北岳、鈴ヶ岳、茶野。そのルートは、新ハイ誌74号('04年1月号)の「続・近江側から登る鈴鹿の山々15」に紹介しているが、今回と取付き地点は違うが、平成15年1月「鈴鹿を歩く159」で歩いたルートとほぼ同じだった。以前は雪の中を歩いたが、今回は無雪期の秋。御池岳へは久しく訪れていないので、秋の情緒ある風景を見ることが出来ると期待して参加することにした。集合時間を8時30分と思い込み、何時もの時間に家を出た。日野を過ぎて間違いに気付き、気を急きながら走っていると、前を走るサブの車。これなら大丈夫と安心して車を走らせた。7時50分に大君ケ畑バス停前へ到着すると、多くの車が停まっている。急いで受付を済ませて、顔馴染への挨拶もソコソコに足廻りの準備に専念する。 道脇の広場へ置き車をし、参加者35名は、車に乗り合わせて鞍掛峠トンネル西広場へ移動する。2週間前には、道封鎖でヘアピンゲートまでしか入れず、ルート変更をしようと話していたが、この日には封鎖が解け、道は開通して予定通りのルートを歩けそう。 鞍掛トンネル西広場で点呼をとり、8時20分に出発する。ここから鈴北岳へ登るのは、平成16年5月「鈴鹿を歩く194」で、御池岳の池巡りをした時以来のことで、4年振りに歩くことになる。取付きは手入れされた杉の林で、斜面に切られた登山道をジグザグに登って行く。斜面には下草は無く、所々にある朽ちた杉倒木には、大きい美味しそうなスギヒラタケがビッシリ生えている。このキノコが毒キノコと言われるようになって何年か経つが、今では気遅れがして手が出せない。広場から鞍掛峠まではすぐだと思っていたが、記憶が欠落していたのか、登っても登ってもまだ斜面は上がある。やっと道が左手へ向いて、峠かと思ったら送電線の鉄塔。峠はそこから100mも歩かなければならなかった。鞍掛峠は、近江から伊勢へと近江商人が通った道の峠である。街道としては、近江の多賀と美濃の時山を結ぶ五僧越えの方が本道であったが、峻険なこの道も、鎌倉時代以前から頻繁に利用されていたらしい。今では鞍掛トンネルが出来て車が走り、この峠を歩くのは御池岳や三国岳へ登る登山者だけになってしまった。峠には、誰が祀ったのか、「鞍掛地蔵尊」と書かれた真新しい祠が建っていた。 峠から尾根の登りが始まる。鈴北岳まで標高差約400mの登りである。送電線鉄塔を過ぎると雑木林の中の登り。両側の林は濃く、展望は全く無く、どの辺まで登ったのか分からない。しばらく急尾根をアエギ登っていると、予報に反して、早くもポツリポツリと水滴が落ちてくる。急尾根の途中ではどうにもならず、勾配が緩くなって、道の右手斜面にアブラチャンやシロモジの林が広がっている、熊池の側で雨具着用の休憩となった。雨具を付けて出発すると、早や、鈴北岳から下ってきたカップルとスレ違う。道が左手の尾根へ乗ると、以前は笹原であった林の切れた広い尾根。今では笹は枯れ、歩き易い尾根へと変わっていた。少し登って後ろを振り返ると、素晴らしい展望が広がっている。すぐ目の前には二つコブの三国岳があり、その右奥には烏帽子岳。左手には横根の連山が続き、その後ろにコザト、近江展望台、南霊山、最高点と連なる霊仙山。伊吹山は見えなかったが、谷山までは頂きを白い雲の上に出し、まるで墨絵を見るような光景だった。 下ってくるカップル、単独の男性とスレ違い、緩く登って1056mを越えると、眼前に鈴北岳の北斜面が立ちはだかっている。あんな壁を登るのかと思いながらも、泥でぬかるんだ道を登り、鈴北岳山頂へ登り着いたのは、10時20分。北方を見ると、先程よりガスが広がってきていて、遠くの山は霞んでいる。近くの丸山はこれからガスに覆われそう。池の平一帯にはまだ秋は到来しておらず、点々と葉が赤く色着いているだけ。その中に、一面に白く咲いている花は、ミヤマヨメナだった。 細い雨が降り、寒さも感じる程で、ここから尾根を通って鈴ヶ岳へ向かうのだと思ったら、リーダーは南へ下って行く。予定通り元池までは下ったが、流石に天気を考えてか、お花の池はカット。山腹を歩いてヒルコバへと向かうつもりで歩き出したは良かったが、先頭は山斜面をピークを右へ右へと巻いて行く。本来なら尾根を下って、口の平から南へ延びる谷を渡り、西の尾根の南斜面を横切ってヒルコバへ向かわなくてはならないのに、方向を誤ったようだった。結局、谷上部で谷を渡り、鈴北岳の西尾根へ登った。登り着いた地点は、鈴北岳から西200m程の口の平の尾根だった。リーダーは、せっかく御池岳へ登ったのだから、元池と美しい雑木の疎林を参加者に見せたかったのだと思っておこう。尾根に残っている踏跡を辿って尾根なりに歩き、平坦な尾根先端から急勾配の尾根を西へ下ると、下った鞍部がヒルコバ。ヒルコバとは、大君ケ畑を流れる犬上川の上流の御池谷にあった仙道を、山仕事の人達が伊勢尾や池の平方面へ足繁く通った道の峠で、この峠昼頃になって休んだことから名付けられたのかも知れない。それくらい林の状況も情緒溢れる疎林で、昼食には持ってこいの場所だと言えた。その前例に従い、まだ11時15分ではあったが、この先、桜峠までは広場は無いと言うことで、この峠で早い昼食となった。12時丁度に出発となる。昼食後の登りは何よりも辛く、フウフウ言いながら急坂を15分も登ると鈴ヶ岳山頂。山頂は林に囲まれ狭く、葉の枯れたヤマトリカブトが幾つも咲いており、広場の北端には朽ちた山名標識が立っていた。写真を撮り終えて北西へ向かうと、ニヶ所に反射板の土台跡があった。昭和の終わりまではあったのだから、それ以降に取り払われたのであろう。そこから尾根を下って行く。冬には見通しが利いて分かり易い尾根だったが、この時期には、下には草木が繁り、上には木の葉が濃く、方向が分かりにくい尾根へと変わっていた。ただ、ひたすら地形図を見て、尾根芯を外さぬように下るしかない。下る途中で見通しが利かず、尾根が切れて戸惑ったが、地形図を見ると右手に尾根がある。その尾根へ乗り換え、緩く尾根を下ると一つ目の送電線鉄塔。更に下ると二つ目の送電線鉄塔が立っている桜峠へ下りた。桜峠は、大君ヶ畑から茶野を巻いて伊勢尾や鈴ケ岳方面へ、炭焼きや山仕事が通った道の峠である。今では道も消え、大君ケ畑でも桜峠の名を知る人は少ないと聞く。むしろ案内図などには、一本木と表記されているようだ。峠で休んだ後、低いピークを越えて・938mへ。西尾氏は「鈴鹿の山と谷」の中で、このピークを茶野と書いているが、岩野さんが大君ケ畑の人に聞いたところによると、茶野はその西の東西の尾根から南へ突き出たコブ一帯を指すのだと言っている。・938mを越えると、平坦な広い尾根には至る所にヤマトリカブトが花を付けていて、枯れた笹原の中には真っ赤にはじけたヤマシャクの種が映えている。茶野手前の禿げ斜面には、一面に鹿の糞がばら蒔かれて、臭いもプンプン。その先の南へ延びる尾根には、レモンエゴマが一面に繁茂し辺りにあるゴマキの木には、真っ赤に熟れた赤い実が鈴なりなっていて、林を裏赤に染めている。茶野に立つと、天気が良ければ、西には万野、南にはミノガ峠や滝谷山、天狗堂をも見える筈だが、その山の姿は、ガスで全く見ることは出来ない。かろうじて、今下ってきた鈴ヶ岳や御池岳のテープルランドの西端が、顔を出しているだけ。 茶野で集合写真を撮ってから、元の尾根へ戻って、北へ延びる尾根を下る。相変わらずガスで遠くは見通せず、霧のような雨が降っている。後ろの方を歩きながら、「リーダーは、ガスが出てくると、よく方向感覚を狂わすことが多いよ」と話していると言って間もなく先頭は右手の方へ下って行って、遂に列は止まる。比較的広い尾根の下りで、左に急斜面を見ながら下らなくてはならないのに、右手へ振ってしまったのである。地形図とサブのGPSを確認して、高い疎林の林を抜けて左の尾根へ誘導した。そこからは、左手に急斜面を見ながら尾根を下って行くが、感覚よりも歩が進まず、なかなか送電線鉄塔のある・729mの小ピークに着かない。尾根には珍しくもこの時期に、カリガネソウの花がアチコチに残っていた。ナギナタコウジュの花も見た。 花園の尾根を下ると傾斜がキツクなり、藪とガスとで見通しが利かなくなってくる。尾根が狭くなると、先頭は右手の斜面を下ってしまい、姿が見えなくなってしまう。後に残された10人程はウロウロ。後ろに居た私は、まだ尾根先端の738mまで来ていないと、左手の尾根を進むと738mのピークにぶつかる。ここまで来れば以前に二度も通った地点。手前の鞍部から杉の林の斜面を右手へ下れば、道に出ることが分かっていた。そこで残された人達を集めて、甚目寺の彼を先頭に右手の杉林の斜面を下ってもらう。 最後はサブと私との4人だったが、どう見ても先頭を歩いて738mの鉄塔へ行った一人の姿が見えない。何時もこの辺りを歩いている大津の彼だったが、放って下る訳にもいかず、コールして呼び戻し、最後に5人で杉斜面を下った。斜面の途中で前のグループは、道跡を辿って谷を越え、右の尾根へ向かったが、一人がそのまま斜面を下へと下っているのを見ると、これまた1人で下らす訳にも行かず、サブに伝言を頼み斜面を下って後を追う。下った地点は、821mの西の谷源頭で、ハッキリした地形図の破線の道が来ていた。尾根にいた先行の人達を呼び、この源頭へ集まる、全員揃って、ここから尾根に乗り、破線の道を下って、大君ケ畑東の車を置いた地点へ下ったのは、15時20分。真っ先にヒルの点検をしてから点呼。そこで解散となった。 今回はスパッツを付け、スパッツの下にヒルノックまでかけて出発し、下った時の点検でもヒルは見付からず、ヒル対策は万全を期したと喜んでいたが、家に帰って見ると、替えのズボンの左足裾が真っ赤。調べると膝裏の二か所に献血の跡がある。すぐに靴下、ズボンを点検するもヒルの姿は無い。どうも気になって、朝に車を調べると、丸丸と肥えたヒルが一頭だけ床に転がっていた。 |
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