-鈴鹿を歩く274(新ハイ・岩野氏例会)-- 西尾根から雨乞岳へ 平成19年11月18日(曇り) 礒部記(地形図:日野東部、御在所山) |
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コース 小倉6:00⇒7:50藤切谷旧林道入口8:25→9:40大シデ9:50→11:15炭焼コバ11:25→11:50西雨乞岳12:35→12:50雨乞岳→13:10南雨乞岳→14:15サワグルミ巨木14:25→14:55千種道→16:25旧林道入口16:40⇒18:10小倉 |
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これまでの岩野さんの例会で、西尾根と称する尾根から雨乞岳へ登るルートは、三ルートあった。奥ノ畑谷へ入り、最初の左から来る谷分岐の中央尾根を登るルート、千種越北谷分岐の北100m程にあるボタ山跡上から南にある尾根を登るルート、向山鉱山跡の源流事務所跡から炭焼コバへ登るルートがこれである。今回の新ハイ誌の案内によると、てっきり向山鉱山跡から登るとばかり思い込み、あの急斜面を登ることを思うと、いささかウンザリしていたが、歩く前になって、ボタ山上から登ると聞いて、ホッとしたのだった。下ったことは別にして、この西尾根のルートを登って雨乞岳へ向かうのは、記録を見る限り、平成10年11月の「鈴鹿を歩く56」が最初で、今回が2回目の登りとなる。 久し振りに信楽廻りで地道を走る。つい先日まで青々としていた木々も色付き、山肌は朱や黄色に彩られ、秋たけなわの気配を見せている。瓜生津で307号線を離れ、農道を走って甲津畑を抜け、藤切谷旧林道入口へ着いたのは7時50分。既に参加者の大半の車が停まっていた。この日の参加者は37名と多く、久し振りに会った高槻や茨木、大阪、鈴鹿の彼女、鈴鹿のお兄、明石のご夫妻と挨拶を交わす。 8時25分に出発する。ここから近江の甲津畑から杉峠、根ノ平峠と越えて朝明から四日市、伊勢方面へ抜ける千種越(ちぐさこえ)を偲んで歩くことになる。藤切谷に添った旧道を、40分も歩くと桜地蔵尊。この地蔵堂は、誰が建立したのか定かでないが、大正初期、堂の横に大きな桜の木があったことから「桜木地蔵尊」と呼ばれていた地蔵尊堂があったが、杉峠の東にあった御池鉱山が隆盛だった頃、「あかがね地蔵」「赤金不動尊」に呼び名が変わり、鉱山が廃れてから名前も「桜地蔵尊」へ戻ったもので、今のお堂は昭和61年に建て替えられたものだと言う。何時もはここで休憩するが、今回は休まずに先へ進んだ。桜地蔵尊から200mも歩くと橋を渡る。その先で道は細くなり、谷右岸の山裾を縫うように歩いて行く。道が東へ向かうと、右下には谷川が流れ、朱や黄色に色付いた葉がそれを覆っている。まさに秋真っ盛りの情景だった。その光景に酔いながら歩き、橋を渡ると奥ノ畑谷道への分岐。その先50m程の所には、真新しい休憩小屋とトイレが建っていた。昨年には無かった設備で、どうやら永源寺町が、千種越道を整備して建てたものらしい。そう言えば、ここまでの道に道標や、案内板が立てられていたのも、町起こしの一環なのだろう。その休憩所の先には、比叡山延暦寺の僧徒からの迫害を逃れて、真宗の祖である蓮如が、甲津畑から千種越で桑名の長島へ落ちのびる時、野宿をしたといわれる場所に記念碑が立てられている。それを見て70mも歩くと、大シデのある場所。そこで休憩となった。この辺りは、伊勢から千種越で運ばれてきた塩を集積し、ここから甲津畑、蒲生、綿向山を越えて日野へと送った場所で、「塩津」と呼ばれている場所である。 10分程の休憩で出発。谷脇の道を東へ登ると、北谷との出合。方向を南へ振って、鉱山のボタ山跡の東から、右手の尾根へ取付く。急斜面を登り尾根に乗るが、傾斜はまだまだ急そのもの。「フウ、フウ」「ハア、ハア」言いながら、枝を掴んで体を持ち上げ、徐々に高度を上げて行く。時には枯れた枝を掴んでしまい、折れて転んでしまう人もいた。左から小さな尾根が合うと、そこの木にテープが巻かれている。こんな所からこの尾根に登ってきた人がいたことに驚く。30分も登ると一段落。やっと細い釣り尾根に乗る。8年前にこの尾根を登っているが、尾根の状況を憶えていない。この釣り尾根に来て、やっと以前にも休んだ尾根だと記憶が蘇る。北方は、林に隠され辺りの景色は見えなかったが、南方の上を見ると、林の切れ目から、連なる尾根の1048mのコブの姿が見えていた。 再び急勾配の尾根を登って行く。登るにつれて風がキツクなり、辺りにゴウゴウと唸る風の音が響いている。思っていたより寒さが厳しく、手袋をしていないと寒さで手が凍えそうにも思え、鼻水が出てきて停まらない程。前日は秋日和で暖かく、まさかこんなに冷えるとは思わず、下着は半袖で、冬支度は上のシャツだけ。何時もなら、こんな急登では汗でビショビショになるのに、この日は寒さのせいか、汗が思った程出てきていない。 一旦細尾根の鞍部で遅れた人を待ち、全員の姿を見て上を目指す。この辺りの尾根に、古い地形図には、ガレ場があることになっているが、草木が生えてしまったのか、ガレ場は見当たらない。一寸したピークを越えると、広い斜面が眼前に広がっている。ここが向山鉱山跡へ下る分岐である。何の印しも無く分かりにくい地点だが、左手の浅い谷を挟んだ北の尾根を下って行けば、向山鉱山の事務所跡へと下ることが出来る。この右手の斜面を登った所にある十畳程の平坦地が、岩野さんが炭焼きコバと名付けた場所。こんな所に炭焼き釜の石組みが残っていた。広場の西には、枯れかかった杉の木が3本立っている。この辺りの木々の葉は、大部分が黄色に色付き、秋の終わりを告げていたが、唯一本の朱に染まったカエデの葉の色が、目を楽しませてくれた。 この上はガレ石の多い急斜面。皆は散開して夫々に登って行くが、「落石!」の声と共に落ちてきたこぶし大の岩が一人を直撃。足に当たったようだが、その後も登っている所を見ると、大事には至らなかったようで一安心。斜面を登るに従い木々の葉は無くなり、枯れ木状の林に変わってしまう。標高が1100mにもなると、斜面には小笹が姿を現し、斜面を覆い始める。吹く風は相変わらず強く、先程休憩した時に気温を測った人がいたが、5度だったとか。風が吹いているので、体感温度は下がり、氷点に近くなっているに違いない。小笹の急斜面を登って緩い尾根に乗り、100mも東南へ向かい、西から来る尾根を合わすと西雨乞岳と呼んでいる平坦な尾根。12時前ではあったが、この場所で昼食となった。風を遮る林は無く、吹きさらしの尾根。膝程の笹の中に座っての食事だった。 寒さのせいか、飲酒運転者への罰則がキツクなったせいか、アルコールを口にした人は数人だけ。殆どは防寒具に身を固め黙々と食べている。それでも何時もの通り自慢の惣菜が廻ってきて、断り切れない程。腹一杯になったが、お兄から頂いた温かいうどんが何と美味かったことか!最後に甚目寺町の彼のコーヒーで締めくくりとする。 北方からガスが沸いてきて、杉峠の頭やイブネを覆い始め、そのガスはこの尾根までもやって来て、益々寒さが厳しくなってくる。それにたまらず、リーダーから出発の合図が出される。下るルートは奥ノ畑谷。何時もと同じペースで食べていた守山の彼は、殆ど食べ物に手をつけておらずに、その号令に大慌て。先頭が出発した後、皿の食べ物を急いで掻っ込み、手助けしてもらってのパッキング。先頭と5分遅れで出発出来たのだった。 残っているのは8人程。東へ向かうにつれて笹は背丈が高くなり、踏跡は笹の中に消えてしまう。笹を掻き分け、出来るだけ北側を東へ進むと、やがて杉峠からの道に出て、雨乞い信仰に関係する「大峠の沢」の池を見ると、雨乞岳山頂。我々が到着するのを確認するとすぐ、先着組は南雨乞岳に向け出発してしまう。そのまま後に従う訳にもゆかず、1年振りに会う三角点点名「雨乞岳」に挨拶をし、辺りの展望を眺める。上には重く雲が垂れ込め、釈迦岳は見えなかったが、先程まで覆われていたガスは晴れ、鎌ヶ岳やその付近が日に照らされ映えていた。まるで天上から下界を垣間見る様にも思える光景だった。8人程が、先頭から遅れて南雨乞岳へ向けて下る。肩程まである笹原の中、道を探っての下り。雨乞岳山頂の西斜面は、笹が少なくなってきているように思えるが、この斜面だけは、以前と変わらず笹が深い。南雨乞岳から灌木の尾根を西へ下り、清水ノ頭へ続く尾根へ降りる。西にのびる笹原の尾根に清水ノ頭へと道跡が延び、その右肩には綿向山が見えている。尾根の右手遠くの平野や、左手のサクラグチの北斜面は、日に照らされて赤く彩られていたが、この尾根は、未だ陽が陰り、風も冷たい。 南斜面のガレ場の東鞍部が、奥ノ畑峠と呼ばれていた峠。大河原方面の田畑を受け継ぐことの出来なかった農家の次男、三男が、この峠を越えて奥ノ畑谷へ下り、サワグルミの巨木がある辺りの平地に畑を作り、農作物を収穫したのだと言う。今では、昔あった峠の標識は無くなり、峠の位置も曖昧になり、小木に巻かれたテープが、峠の位置を示しているだけだった。何時もはこのテープの横から北へ下るが、この日は50mも西へ向かって、広い尾根を下り出す。何処を下っても下の谷へ下ることが出来るが、急な笹の斜面を長い距離を下るのが嫌で、私を先頭に4人が東へ斜めに下り、浅い谷から奥ノ畑谷へ降りる。流石に長い急斜面の下りは下るのが遅い人も居り、下の平坦地で皆が揃うのを待つ。 雨乞岳の頂上付近では、枯れ木状の林を歩いたが、谷へ下ると、秋紅葉の林が広がっている。奥ノ畑谷は、傾斜の緩い谷床の広い谷で、雑木の林の中を谷が畝り流れている。下って行くと、両側の斜面が迫り、狭い所では谷を渡らなくてはならない。二回目の渡渉地点で後ろを振り返ると、絵になるような紅葉の風景が広がっている。その秋そのものの風景を、後ろを歩いてきた女性群を入れてパチリ。カメラを仕舞おうとすると、谷を渡ろうとした鈴鹿の彼女が、どうした訳か水の中に這いツクバる。腰から下は水の中。慌ててかメラを構えたが、彼女にとっては幸か不幸か、シャッターチャンスは逃してしまった。流石に、この時期水浴びをしては冷えるので着替えにかかったので、見ている訳にも行かず、後ろ髪魅かれながらも、皆の待つサワグルミの巨木の広場へ向かう。 時間は14時15分。何枚かサワグルミの写真を撮り、千種越道へと下る。この辺りは比較的平坦な地が広がっているが、木も生い茂り、その昔に畑があったとは思えないように変貌している。再び、細くなった谷脇の道を歩き、谷を渡って右岸の道を辿ると千種越道へと出た。ここで一息入れた後、長い長い林道を歩いて、藤切谷急林道入口へと戻った。16時40分、解散となる。夏から秋を飛ばし、急に冬になったような一日だった。 |
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