-鈴鹿を歩く269(新ハイ・岩野氏例会)

ザラノ、スリバチ池                  平成190909(曇り)

磁部記(地形図:高宮篠立)

コース 小倉6:008:00栗栖道広場8:108:35アサハギ谷出合8:40→9:50 Ca760m10:00→10:30ザラノ10:35→11:00 Ca760m→11:50 Ca700m北斜面12:40→12:55送電線鉄塔13:00→13:40スリバチ池→14:20アサギ谷出合14:2515:00栗栖道広場15:1017:20 (黒丸SA)16:40小倉

これまで岩野さんの例会で、高室山、ザラノを取り上げたのは、平成1010月の例会が最初で、その後、久し振りに昨年秋に計画されたが雨で中止。そのため今年の春にリベンジしたが、これまた降水確率が高く、再び例会は中止となり、雨を厭わない有志の山行となってしまった。今回、三度目の正直で、ザラノへ登る例会を実施出来たが、残念ながら高室山は、そのルートから外されてしまっていた。私にとってこのルートを歩くのも、ザラノを踏むのも、鈴鹿へ足を踏み入れて以来、初めてのことだった。

6時に家を出る。鈴鹿へ足を踏み入れるのは今年4回目。裏を走って霧に霞む信楽高原を見るのも、クッキリと際立った綿向山やカクレグラ、白鹿背山を見るのも久し振り。栗栖道広場へは8時に着いて、早過ぎたかと思ったら、既に広場は満車状態で、受付を済ますと、守山の彼の車に乗せてもらい、アサハギ谷出合へと移動しなければならなかった。アサハギ谷の橋を渡って、東へ50m程行った道広場へ駐車する。点呼を取った後、リーダーから、「この日のルートから高室山を外し、二重山稜の尾根を歩いてスリバチ池を訪ねる。距離は短いがユックリ楽しもう」との説明があり、840分に出発となる。この日の参加者は21名。アサハギ谷の橋を渡り、谷左岸の林道を上流へ向かうと、道にはゲンノショウコが点々と花を開き、道脇にはミズヒキやキンミズヒキが続いている。ヒヨドリソウやツリフネソウも咲いていたが、ハグロソウを見たのは初めて。

谷に沿って上流へ歩き、正面に小屋が見えて、谷が左へ曲がる手前から、瀬田の彼を先頭に谷を渡り尾根に取付く。尾根斜面には藪と言えるものは無かったが、相当な急勾配だった。滑り易い急斜面を小枝に把まりながら、一歩一歩体を持ち上げて行く。辺りの雑木の林は葉が濃く見通しは全く利かない。風が通らず蒸し暑く、登り出して間もないのに、シャツは汗でビショビショ。東に谷を見ながら登り、やっと尾根へ乗ったかと思ったら、尾根の切れ目。前方には急斜面が立ちはだかっていた。鞍部へ下ると両側は緩やかな雑木の疎林。その光景を見て疲れを癒し、気を取り直して広くなった急尾根を登り出す。地面に散らばっている赤いアオダモの実を見ながら登り、両側の谷が消えて斜面に変わると、やがてCa760mのピークへ着く。約1時間の急斜面の登りだった。

山頂は東西に細長く、灌木の林に囲まれて、展望は殆ど無い。僅かに、西の林の切れ目から、間近に木々に覆われたザラノ山頂の姿を垣間見る。高室山をルートからカットしたので、ここからザラノへピストン往復することになったが、リーダーは、「ここで休んでいる。行く人は行って来て」と言ったきり動こうとしない。「折角来たのだから」とサブを先頭に、残りの人全員がザラノを目指すことになり、斜面を西へ下った。

釣り尾根のような細い尾根を下ると、目の前に壁のように藪の急尾根が立ちはだかっている。尾根の両側は急過ぎる程急で、とうてい登れそうもなく、この藪の中を登らざるを得ない。サルトリイバラの刺に悩まされながら、藪を掻き分け小枝を掴み、体を上へと持ち上げて行く。ちょっと油断すると滑り落ちそうな急斜面だった。「こんな急斜面を帰りに下らなくてはならない」と、思っただけでゲンナリして来る。ブッブッ思いながら藪を掻き分け登って行くと、やっと斜面が緩くなり、最後の藪を潜ると、ザラノから北へ延びている尾根へ出た。そこには踏跡らしいものがあったが、今登って来た急尾根の分岐は分かりにくい。帰りに間違わないようにと、シッカリ記憶に止めた。その地点から50mも西南へ緩く歩くと、ザラノ808mの山頂だった。ビッシリと灌木に囲まれた山頂で、展望は全く無い。山名標識などは、勿論下がっていなかったが、山頂に立っている比較的太い末に、「ザラブ八〇八」と彫られているだけだった。

ザラノとは変わった名前だが、保月ではガレや山崩れを「ザラ」「ザラノ」と呼んでいたそうで、アサハギ谷の上流からこのピークを見ると、山頂からガレが走っているのを見えたことから、このピークを「ザラノ」と呼ぶようになったと言われている。特に山の名前などは、その形や事象伝承から名付けられることが多いが、ガレがあることから山の名前が付けられたのは、カクレグラの例にも似ていると言えるだろう。

山頂でザラノを踏んだと言う実感を得て、すぐ下ることにした。水分補給や写真を撮ったりして、下るが後の方になってしまったが、先頭は急尾根分岐に気が付かず、踏跡に魅かれるように北へと下って行ってしまう。この尾根を下ったのでは、アサハギ谷源頭へ出てしまうので、前の人達を呼び止め、登り返してもらう。尾根分岐と分からぬ所から、藪の急尾根を下って行く。登りでは隙間もない程の藪斜面だったが、20名も通れば踏跡も出来ている。と言っても、急勾配の下りは前を向いて下ったのでは滑りそうで、転げ落ちないように下るのに一苦労。枝に把まりながら下り、尾根に降りた時には、ホッとして気が抜けたよう。ザラノへは30分で登り、Ca760mへは25分程で戻ったが、ザラノを越えて行くのなら兎も角、リーダーがザラノへ行かずにこのピークで休んでいたのは、ザラノ往復で、あの藪の急斜面を登り降りするのを知っていたからに違いなかった。

人数を数えると5人程不足している。遅れて帰って来た人に聞くと、「一人が転んで怪我をしたので手当てをしている」との返事。帰って来たその人のシャツには血がついていて、右頬にガーゼが付けられている。口の中も切ったと言っていたが、どうやら、行動には差し支えない様子。不幸中の幸いと、その後、予定通り行動を共にした。

食事には早過ぎ、Ca760mピークから東へ下る。ここからの尾根の南斜面は桧の林になっていたが、北側は緑に彩られた雑木の疎林。次のピークを越えると、リーダーは尾根を歩いて北へ向かうと言っていたのに、720mを踏まずに山腹を横切って行く。最後を歩く私だけは「もったいない」と思い、・720mのピークを踏んでから、皆の後を追った。

谷の源頭に降りると、赤く色着いたガマズミの実が日に映えている。Ca730mの腹を巻いて行くと、ブンブン唸る蜂の羽音。キイロスズメバチなら逃げなければと思って良く見ると、どうやら蜜蜂のような小さな蜂。それでも蜂に刺されるのが嫌で、走るようにその場を去った。林は雑木の疎林で、名の分からぬ高い木が何本も立ち並んでいる。そこを過ぎると、二重山稜の最奥らしく、平坦な杉の林。下にはマツカゼソウが一面に群生し、ツボミを付けていた。リーダーは食事の場所を探しているようで、Ca700m北の斜面迄来ると、やっと、昼食の号令がかかった。緩やかな斜面で、趣ある雑木の疎林。下には一面と言って良い程にミズヒキが赤い花を付け始めていた。

アチコチに座り込み食べ始める。この日は車を運転するので、アルコールは持って来ていなかったが、好きなものはどうしようもなく口が淋しい。それを見兼ねたのか、缶を差し出してくれた守山の彼。「飲んでは駄目」と思いながらも手が出て、彼の飲み分を減らす。何時もの吹田の彼女の「ソーセージの葉っぱ巻き」や、いなべ市の彼女の朝漬けを味わい、最後に食べる物も食べずに沸かしてくれた甚目寺町の彼のコーヒーで締めくくる。1240分に出発となる。スリバチ池に行くのに、二重山陵の谷へ下って北へ進むが、この辺りだと思われる場所には池は無く、どうやら通り過ぎていたことに気付いた。そのまま北へと歩くと、我々の声に驚き逃げて行く、何頭もの鹿の姿を見た。20分も谷間を歩くと、少し下り、送電線の鉄塔へと出た。そこからの展望が素晴らしく、東方へ延びる送電線の彼方には、すぐ近くにソノドの南尾根が落ちていて、その後ろに点名「猿登」を走る林道が見えている。北方にはコザトとその左に霊仙山が繋がって、西には鍋尻山と地蔵山が高く間近に聳え立って。この鉄塔の南側には、トリカブトの花が一杯。

時間はまだ13時で、ここから巡視路を使って林道へ下るのは早過ぎ、尾根を伝って歩いて、もう一度スリバチ池を探して、車を置いてある所へ下ることになった。南へ引き返して、二重山陵の東の尾根を登って行く。もう登りは無いと思っていただけに、緩い登りでも足が重い。この日の山行では、私はヒルノックが利いたのか、「主様」に取付かれることは無かったが、鈴鹿の彼女だけは好かれている様で、事ある毎に足に取付いた「主様」を取り外すのに忙しい。一時は首筋にも付かれたようだった。イヌツゲの岩柄の平坦なビークを越えて、右手の谷間へ下ると、昼食を取った場所の西下。その南にある杉林を抜けるとスリバチ池があった。昼前にここの東上を通った時には、見逃していたのだった。池は直径10m程のスリバチ形をした池で、その形から名付けられたのだろう。池の底の方には緑色をした水が溜まっていた。この池へ来たのは、平成1210月に岩野さんの例会で、先程の鉄塔からこの池へ来て林道へ下り、保月東から旧道を通って岳の畑、鍋尻山へ登った時以来のことだった。

池を見た後、西にある二重山稜の尾根を越し、西へ向かって浅い谷を横切り、もう一つの小さな尾根を越えて谷へ下る。瀬田の彼と何人かは、もう一つ西の尾根に登って、その尾根を下るつもりのようだったが、残りの人達はるリーダーを先頭に、その谷を下って行く。谷には踏跡が残っていて、そのまま下れば林道に降りれると思ったが、先頭は途中から左の斜面に入って行く。斜面を西へトラバースして尾根に乗り、その尾根を下って西の谷へ下るとすぐ、車を置いてある所の林道へ出た。帰ってから、前回のルートを見ると、最初の谷をそのまま谷に沿って下っており、斜面に入らなくても、林道に下ることが出来たことが分かった。7年も歩かないと、記憶は薄れてしまう物である。

1420分、ここで解散となり、権現谷経由で栗栖道広場へ戻る。車中、体に「主様」を持ち込んだ人がいて、大騒動の一コマがあった。

歩く距離は短かく、ほんの散歩だと喜んでいたが、思った以上に疲れた山行だった。