--鈴鹿を歩く261(新ハイ・岩野氏例会) 花の霊仙山西南尾根 平成19年04月01日(曇り) 礒部記(地形図:彦根東部、霊仙山) |
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コース 小倉5:50⇒7:35甲津倉登り口7:55⇒8:00あけん原8:10→9:15行者の森9:25→10:00笹峠→10:15西南尾根下10:25→11:00近江展望台11:10→11:50花の園12:30→13:20霊前山三角点13:25→13:40経塚山→14:10お虎ヶ池→14:45見晴台→15:20汗拭峠→15:50落合⇒16:15甲津倉登り口16::25⇒18:20小倉 |
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毎年4月初旬に登る霊仙山西南尾根の花見山行は、今では岩野さんの例会の年中行事の一つになっている。私はこの例会に、毎年参加している訳でなく、6年前から2年連続で花を見る機会を逃し、その後の3年間は家内のお供をして、個人的に今畑から霊仙山西南尾根の一般ルートを登り、汗拭峠へ下っているので、岩野さんの例会に参加して、あけん原から西南尾根を登るのは、6年振りのことである。当然ながら、南霊岳から三角点峰までは、バリエーションルートを歩いたのだった。 この日の降水確率は10%と低く、午後から晴れとの予報まで出ていたが、信楽を通る時にはモヤが出ており、水口へ下る時に見える筈の綿向山の姿も霞んで見えない。「本当に予報通りに晴れるのだろうか」と思いながら車を走らせる。 岩野さんの例会の参加者は、集まるのが早い。7時35分に甲津倉登り口の道広場に着くと、既に参加者の大部分が集合していた。今回の参加者は意外に少なく、27名だったが、最近メンバーが入れ替わったのか、10名程は名前の知らない方だった。 何台かの車に分乗し、あけん原の道広場へ移動し、そこから尾根に取付く。何年か前にこの尾根を降りてきた時に、麓の住人に「屋敷内に入るな!」と、どなられたことがあったので、別のルートからこの尾根に取付くのだとばかり思っていたが、どうやら敷地内を通らずに、家の東側から尾根へ取付けば問題ないようだ。尾根に登ろうとすると、足元には、まだその時期ではないのに、大きな主様が揺らいでおり、長靴に2匹も這い上がってくるのを見ると、どうなることかと思ったが、幸いにも、雑木の急勾配の尾根を登って行くと、何時しか主の姿は何処にも見ることはなくなってしまった。道のない急尾根をハアハア言いながら登り、岩場の下で一息つく。足元には、今年初めて見るカタクリが蕾を付けており、見上げると、アブラチャンがアチコチで黄色の花を開き、春を告げていた。今年の花は、例年より半月は早く咲いているようだ。 岩尾根を乗り越えて急勾配の尾根を登り、20本程の杉の林を通り過ぎると、緩い傾斜の雑木の林に出る。ミズナラやカエデの多い疎林で、以前にこの斜面でヤブレガサの若芽を摘んだことを思い出し、辺りを探すもそれらしい物は何処にも出ていない。各人、歩き易い所を登っていくが、隠れ場所の近くを誰かが通ったのか、突然、「ドッ、ドッ、ドッ」という音と共に、鹿が斜面の下の方に逃げて行く。大きな壁を1頭だけは見たが、後ろにいた人は、3頭が逃げていったと言っていた。その鹿を見た余韻に浸りながら、緩い斜面を登ると、平坦な場所に着く。岩野さんが「行者の森」と名付けたコバである。 9時25分、急斜面を登り、北に延びてきている尾根に乗る。この尾根の先端は、オオジャレノ頭と呼んでいる所で、比較的尾根の幅が狭い上、岩尾根で歩きにくい。尾根を進むと、右手後方には大きく鍋尻山が迫っているが、前方にはまだ登らなくてはならないピークがあり、西南尾根の姿は見ることが出来ない。岩尾根の所々に、アブラチャンが花が咲いている。ピークを一つ越えて、杉の林を抜け、笹原を下ると笹峠へ降りた。一般道を登れば1時間と少しで笹峠まで登ることが出来るが、2時間も登りを楽しんだことになる。それまで人の気配を全く感じなかったのに、一般道の笹峠へ降りると続々やってくる人の列。その後に付くのが嫌で、すぐ道を離れて尾根を歩くが、5人程のパーティが我々の後ろを付いてくる。以前はこの尾根を歩く人は居なかったが、今では踏跡まで出来て、やがてはこの尾根道が登山道の主流になるのかも知れないと思われる程。昔の笹峠を過ぎ、日本庭園を思わす苔むした岩ガラを越えて登ると、その先が霊仙山西南尾根急斜面下の休憩所。先行したサブを始めとした一団と、多くの他のグループの人達が休憩していた。 10時25分、急斜面に取付く。登り始め、笹藪を過ぎるとすぐに高い木は無くなり、岩の多い斜面の登りになる。岩の間に踏跡があるが、雨が残っているのかヌルヌルで滑り易い。登るにつれて後ろの展望が開け、急斜面を人の群れが列になって続いているのが見えている。後ろに連なる鈴鹿の山々。近くに鍋尻山、遠くには藤原岳と御池岳、左手には烏帽子岳から三国岳と見える筈だが、この日の天気はもう一つで、山の姿が霞んでいる。おそらく、大陸の黄砂が飛んできている影響かも知れない。吹き曝しの斜面で、風は思っていたより強く、汗で濡れた肌には寒い程だった。 登り始めて15分もすると、岩の目立つ斜面になり、道脇や岩の間に白い花が目につき出す。更に登ると傾斜が緩みアチコチに白い花が咲いている。この花がスハマソウで、スハマソウの花園と呼んでいる場所である。この日は寒く、陽も出ていなかったので、花は何れも開いておらず、つぼんだままだった。 我々の一団は、その上の岩場で休んでいたが、吹き曝しの場所で寒かったこともあり、先に近江展望台へ登り、そこで待つことにした。風を避けて、近江展望台の東斜面に腰を下ろし、東から南にかけての大展望を楽しみながら、皆の到着を待つ。東には昔の鹿の楽園からソノドへ至る尾根が横たわり、その右奥には烏帽子岳が霞んでいるが、その右手にある筈の三国岳、藤原岳、御池岳は、空の中に溶け込み全く見えない。すぐ右下には、コザトのピークがあり、リョウシの展望台である岩場がハッキリと見えていた。 一団が到着して、尾根を北上する。少し歩くと、足元にフクジュソウの花を至る所に見るが、花は終わりがけのものもあり、既に種までも付いているものも混じっている。その上、その数が例年より少ないようにも思われた。今年は異常気象のせいか、3月初めに暖かい日が続いたので、一旦花を咲かせたことも影響しているのだろう。 これまでは、花を見ながら南霊岳の東斜面を横切り、南霊岳の北鞍部へ抜けていたが、今回は、どうしたわけか稜線に乗り、南霊岳を通って鞍部へ向かった。冬の山行では南霊岳を踏んで歩いたことがあるが、この西南尾根を登る山行で、この稜線を歩くのは初めてのことだった。最近になってこの尾根を歩く人が増えて、我々のグループに他のグループの人が混じりこみ、人の列が連なっている。一旦、まとまり人員を確認し、鞍部の先まで行って、その西斜面に座り込み、昼食となった。この斜面にもフクジュソウが至る所に咲いていて、花を踏まないように座るのを苦労する程。座った目の下には、何時もは雪に覆われ見ることの出来なかった池が、顔を出していた。 12時30分、出発となる。このまま尾根の西斜面を歩いて、最高峰へ登るのかと思っていたら、斜面を斜めに下り、大洞谷右俣源頭へと降りた。この辺りは深い笹原だったが、最近笹が枯れて葉が落ちたので、見通しが利くようになった上、歩き易くなっている。下った平坦地には、これまで目立たなかった池が、三つも姿を現し、その丘の北側にも、もう一つの池が水を溜めていた。この大洞谷右俣源頭で公に認められている池は、岩野さんが見付けた三角点峰の西下にある「山頂の池」だけだと聞いているが、今回見た池群が、夏にも水を枯らさずに池だと認められれば、この流域にかなり多くの池が存在することになる。そこから、フクジュソウやトリカブトの若芽を見ながら、岩ガラの斜面を三角点峰へと登った。霊仙山三角点峰到着、13時20分。まずは三角点の写真を撮る。何時もは北方に伊吹山を始め、金糞岳、横山岳が見える筈だが、伊吹山すら霞んでいて、他の二山を見ることは出来なかった。霊仙山三角点、点名「霊仙山」、標高1083.5mである。 各人が写真を撮る間の時間だけ山頂で過ごし、すぐ経塚山へ向け下る。経塚山は、霊仙山中にあった霊仙寺が没落した時に、教典を埋めた場所と言われているピークであるが、個人的には何回もあるが、岩野さんの例会に参加して、このピークを踏むのは初めて。このピークから、一般道を下らずに、多賀町と米原市の境界にそって尾根を下って行く。尾根に乗るとそこにも池があった。この池は経塚池かも知れない。その先、境界は一旦下って西の尾根に登り返しているが、この登り返しがキツそうで、ここから一般道へと出た。その間の谷には、経塚北池と名付けられた池があったが、この池を見るのは初めて。 お虎ヶ池、14時10分。ここからは一般道を下る。汗拭峠を15時20分に通過し、落合へは15時50分に到着。そこからあけん原までの運転手が、守山の彼の車に乗り、車を取って帰り、甲津倉の登り口広場に戻って、16時25分、解散となった。時間があれば大君ケ畑線霜ケ原北の林道へミツマタの花を見に行きたいとリーダーが言っていたが、時間がなく中止し、その代わり、桃原登り口付近の道端に咲いていたカタクリの花を見てお茶を濁し、家路にとついた。 |
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