-鈴鹿を歩く248(新ハイ・岩野氏例会)

アカイシA704.3m                                                                              平成180924(晴れ)

磯部記(地形図:百済寺)

コース 小倉6:208:00菅原バス停8:208:30深谷林道巡視路登り口8:349:15送電線鉄塔9:209:55アカイシ10:1010:50663m→11:00 663m西ピーク11:45→12:40山比古地蔵峠12:5513:30深谷林道巡視路登り口13:3513:45菅原バス停13:5514:25(黒丸SA)14:5015:30小倉

アカイシは湖東の犬上川と宇曾川に挟まれた山域にある三角点峰である。アカイシや押立山、黒谷山、白鹿背山などの山々は、鈴鹿山脈の主稜線から離れた琵琶湖に近い所に連なり、むしろ里山の印象が強く、登山としての楽しみも乏しいので訪れる人も多くない。そんなアカイシへ岩野さんの例会で登ることになった。

アカイシへ初めて登ったのは、平成116月だった。登るに当たって、何処から登ろうかと資料を探したが、中々見当たらず、やっと見付けたのは新ハイ30号に慶佐次氏が載せた深谷ルート。このルートは取付き地点が判かりにくかったので登るのを迷っていたら、新ハイ34号に岩野さんの「近江側から登る鈴鹿の山々57」に、宇曾川上流の三又から登るルートが紹介されたので、このルートを参考にして宇曾川上流からアカイシへ登った。2回目に登ったのは平成14年の6月。岩野さんの例会に参加して、八ツ尾山から高取山、向山と尾根を歩いてアカイシへ登った。アカイシへ私個人では今回で3回訪れることになるが、岩野さんの248回の例会では、アカイシを取り上げたのは2回目だった。

この例会の集合場所は犬上川上流の萱原バス停前。初めての集合場所で、前日に道路地図と首引き。朝620分に家を出て、例の通り愛東道の駅へ寄ると、早く着き過ぎた鈴鹿のお嬢と出会う。例会が北の集合の場合、良くここで彼女とで会うが、珍しくお兄の姿は無かった。彼女と一緒に出発すると、いつの間にか後ろを山科の大兄の車が走っている。西明寺を過ぎ、福寿橋手前の交差点で右折すれば良かったのに、ワザワザ敏満寺交差点まで行って、犬上川沿いの旧道を走ってしまう。ドンドン走り樋田を過ぎて、次の部落へ来るが、集まっている人の姿が見えずに通り過ぎてしまう。どうもおかしいと停車すると、戻ってくる大兄の車。彼も同じように通り過ぎたようだ。そこで、通りがかりの女の方に、「菅原のパス停は何処ですか?」と訪ねると、失笑をかう。良く聞くと、「菅原」では無く「萱原」だったのである。最近、視力が弱り、葉書の集合場所萱原を菅原と読み違えていたのだった。部落の北外れにあるバス停まで戻ると、先程目に入らなかった多くの人が乗っていた。この日は何時ものメンバー6人が抜け、例会の参加者は合計20名。連休の例会は、どうしても遠出の山行きや家族サービスがあり、参加者が少なくなる傾向がある。820分、全員が揃い、6台の車で深谷林道を奥に入る。ガタガタ道を10分も走ると、送電線の下。そこの道広場へ駐車した。ここで点呼、この日のルート説明があり、835分に出発となる。まず谷にかかっている丸太を渡り、桧林の谷沿いの道を登って行く。送電線は左手の尾根を走っているが、この谷道が巡視路であることには間違いない。谷沿いには花は無く、代わりにアケビの姿を見たが、まだ固くて食べられそうもない。しばらく谷に添って登るが、小さな谷分岐から道は中央の尾根に乗る。平坦な植林された若い桧の疎林の尾根で、一面にススキの生え繁っている尾根だった。まだ15分程しか歩いていないのに、はや、ここで休憩を取った。

この尾根から左の谷へ下り、右岸の斜面に取付く。巡視路には階段が切られ、急斜面をジグザグに登って行く。両側は細い灌木の林で、シロモジの木が目立つ斜面である。フウフウ言いながら登って行くと、やがて、送電線鉄塔広場へ出た。丁度、送電線が曲がっている所で、展望は抜群。目の前に八ツ尾山が座り、左手には向山が高く聳えている。遠くには高室山から西へ延びる尾根が、間近に見えていた。

鉄塔広場で一息入れ、急な尾根に刻まれた階段を直登する。この尾根を真っ直ぐ登ればアカイシ三角点へ登り着くが、この日は時間もあり、巡視路を辿り右手の斜面をトラバースして行く。浅い谷を渡って、右手の尾根に乗ると送電線鉄塔。まだ歩いてそう時間が経っていないのに、ここでも休憩。先程の登りでリーダーが遅れていたので、体調が思わしくないのかも知れない。そこから東へ急斜面の尾根を登り、下藪の伐採された松の林の斜面を右に見て、緩い尾根を南へ向かうと、その先の高みがアカイシ三角点だった。以前、林に囲まれた暗い山頂は、西方の林が間引かれ、明るい山頂へと変わっていた。

三角点は広場の中央に立っていた。標高704.3m、三等三角点である。点名は北の犬上川沿いにある村の名前から取って「仏ヶ後(ほとけら)」と付けられている。標石は東向きで、南へ20度振っている。欠けた所もない美しい標石だった。

この山頂からの展望は無いので、林の中を東へ30m程歩くと北、東の展望が開ける。遠くに鈴ヶ岳、平坦な御池岳が横たわり、手前にミノガ峠の鉄塔が見え、滝谷山からサンヤリ、雲を被った天狗堂までの尾根が連なっている。その右手に黒く陰を落しているのは銚子岳、静ヶ岳、竜ヶ岳の三山。ただ、4年前に来た時には、木や草も背丈が低く、草原状であった斜面は、草木が肩程の高さに繁り、視界が大分狭められていた。

まだ10時を過ぎたばかりで食事には早く、先へ進むことになる。三角点から南へ下り、尾根に乗ると、左下20m程の所まで林道が来ているのにビックリ。おそらく宇曽谷上流の三叉から北谷へ入っている林道が延びたのであろう。この山域には、ただでさえ訪れる人が少ないのに、林道がアカイシ山頂間近まで付いたのでは、三角点マニアで無い限り、益々、アカイシへ登る人が少なくなってしまうかも知れない。

Ca700mのピークから方向を西に変え、宇曾川へ下る巡視路を左に見て下ると送電線鉄塔。ここでも時間調整の休憩をとるが、休憩の度毎に何か口にいれるものが廻ってくるのには、有り難い限り。私などは昼飯の食料しか持ってきていないのに~。ここから西の尾根を下るが、これまでの巡視路と違って、道跡には草が覆いかぶさり、軽い藪漕ぎの歩きに変わった。ここまで全く花を見ることが無かったが、この尾根に乗ると、アチコチにミヤマママコナやホツツジの花を見る。藪の尾根を歩き、地形図に表れていない急な斜面を登ると663mのピーク。桧が植林されている広く静かなピークだった。

ここからの下りは踏跡がはっきりしないが、藪の中、西の方向へ下ると尾根に乗る。この尾根を緩く登ると平坦なピーク。時間はまだ11時と早かったが、この先へ進んでも広場は無いとみて、ここで昼食をとることになった。桧林の境界のピークで、下にはアクシバの赤い実やツルリンドウの花が咲いていた。

座った場所は林の切れ目で、空に陽が照っていたが、時節は9月末。吹く風は冷たく、汗に濡れた体には寒い程で、雨具を着ての食事だった。何時もなら、座るとすぐに喉を潤すが、この週は交通安全の強化週間。アルコールは持って来なかったのだが、瀬田の彼の隣に座ったのが幸運と言って良いのか、勧められるままに酎ハイを頂いて飲んでしまう。飲んだ後で自分の意志の弱さを嘆くが、それにしても頂いた酎ハイの美味かったこと!1145分に出発となる。ピークから尾根を西へ下り、次の尾根分岐を先頭は左へと下って行く。それに付いて下るが、方向を磁石で見ると、どう見ても南へ下っている。地形図で確認すると、南へ延びる尾根を下っている様子。慌てて先頭に「方向が違っている!「引き返せ!」と声をかけ、引き返してもらった。先程の尾根分岐に戻って、八ツ尾山の位置を見て確認しても、矢張り南の尾根を下っていたのに間違いなかった。この尾根分岐は、地形図にあるように、支尾根が直角に曲がっておらず、緩く曲がっていたことと、道跡が左の方へシッカリと付いていたために、左の尾根に引き込まれた誤りだった。分岐から右手へ下り、西の尾根に乗って進むと、尾根にはしっかりした道が現れ、下にはツルアリドウシの赤い実も見る。展望の利かない尾根を緩く登って行くと尾根分岐。ここでも休憩を取った。藪が無ければ右手の尾根を進みそうになるようなピークだった。

送電線鉄塔鞍部までは残り200m強の距離。出発の号令がかかり、下り出した途端に、3人程前を歩いていたリーダーが、何かに足を引っ掻け転倒し、倒れた途端に「ゴツン」という大きな音がした。頭を打った様子で、すぐ後ろを歩いていた吹田の彼女が「大丈夫?」「誰か来て!」と叫んだので側に行って見ると、顔色も、動きも異状なく、ホッと一息。先程の鈴鹿のお嬢の転倒といい、今回の転倒といい、簡単な山歩きでも何が起こるか分からない。それからは心を引き締めての歩きだった。

その先、急斜面を下ると送電線鉄塔のある鞍部。この鞍部を岩野さんは、以前からそう呼ばれていたのか、「山比古地蔵峠」と名付けていた。この峠からは、南に琵琶湖が見えて、東岸には奥島山も見ることが出来た。

峠で最後の休憩を取り、峠から北へ谷を下る。この下る道も巡視路になっていて道が谷へ下り、右岸に登ると、そこまで林道が延びていた。殆ど利用されていない様子の林道で、草の生い茂ったなか、点々とアケボノソウが咲いていた。その林道を下り、深谷林道と合うと、登山口だった送電線巡視路入口に置いた車まではすぐ。

時間は1330分で、岩野さんの例会にしては早過ぎる山行終了だったが、この日はこれで解散となった。萱原バス停まで戻り、夫々に帰途につく。

京都、大津、大阪組は黒丸SAで恒例のコーヒーブレーク反省会をして、散会とした。