鈴鹿を歩く、240(新ハイ・岩野氏例会)

東尾根から日本コバ、衣掛山を踏んで政所へ                                 平成180521()

礒部記(地形図:百済寺

コース 小倉6:208:10如来堂8:15→10:25 838m10:35→11:10日本コバ12:25→13:30衣掛山13:40→15:20政所→15:45如来堂15:50⇒(黒丸SA)⇒17:25小倉

この1週間、曇りや雨の日が続き、また岩野山行は中止になるのかと懸念していたが、朝起きるとそれまでの雨が嘘のような上天気だった。この日歩くルートは、如来堂から日本コバ東尾根を登り、衣掛山を踏んで政所へ一般道を下る周回ルートである。日本コバの東尾根を登るのは、岩野さんの「鈴鹿を歩く」の例会始まって以来3回目で、前回は平成141月に登っているので44ヶ月振りのことだった。

如来堂への集合時間は830分。20分前に到着したのに、到着していない参加者はあと一人だけで、道には既に駐車スペースが無い。やっと場所を空けてもらい駐車し、最後に守山の彼が到着するとすぐ出発となる。何時もの点呼は歩く準備をしていたので、集合出来ずに返事だけ。この日の例会は、何時もより少なく26名の参加だった。

山田サブを先頭に藤川谷道を西へ入り、杉林の水取り口の先の切れ込みから左の斜面へ取付く。以前あった仙道は消えて無くなり、尾根までは急斜面の登りとなる。こんなことなら藤川谷道に入ってすぐに左の尾根へ取付けば、もっと楽に登れたのに、どうしても以前登ったルートをとってしまう。尾根に乗ると先頭は、そのまま尾根の古い踏跡を西へと登って行くが、なかなかリーダーの顔が見えない。聞くと、登り始めてすぐ座り込んでしまったとか。やっと姿が見えたと思ったら、「今日は駄目だ」と一言。息を整え歩き出したが、杉の急勾配の尾根の下まで来ると、「ゆっくり後から登るから行ってくれ」と言って、再び座り込んでしまう。「先頭はゆっくり登って」と言ったのに、かなりハイペースで登って行ってしまい、すぐ姿が見えなくなる。私は守山の彼と二人を残して登り出す。急斜面の杉林の尾根を登ると、やがて杉林が切れて灌木の尾根に変わる。藪の中に人影が見えると思ったら、写真を撮っている稲沢の彼女。そこには珍しくも真っ白な花を付けた二株のヱビネが咲いていた。カメラを家に忘れ、カメラのついた携帯は車に置いてきてしまったのではどうにもならず、目に焼き付けるしか無かった。

その先、右手に桧の林が現れると細尾根になり、左は下が見えない程の崖状の急斜面。そこに雑木の緑が映え、吸い込まれそうにも思える。前には彼女の姿が見えるだけで、後には人影も見えず、まるで単独で登っているような気分だった。右手の林の切れ目から後を振り返ると、東山やキトラの姿が覗いている。小ピークを越えて、ユズリハが目立ち出すと標高550m付近。ここで2回目の休憩を取りリーダーを待つ。「最近の例会では元に戻り元気だったし、今日の車の中でも食欲があったのにおかしい」とサブは岩野さんの遅れに不審顔。一方、守山の彼については、「膝が痛いと言っていたので遅れたのでは?」と誰かが言ったが、「あれは歩き過ぎだ」と言って、誰一人同情する人はいなかった。やっと守山の彼が登ってきたが、「先を登っていた筈の岩野さんの姿が見えないんだけど、岩野さん来た?」と言っている。この尾根に横道は無く、まさか転げ落ちたわけでも無いのでしばらく待つが、姿が見えずあまりに遅過ぎたので、芝さんが見に下ってくれたが、皆でこのまま待つのではダレルので、4人を残して、その他の人は出発してもらった。やがて一芝さんが登ってきて、「リーダーがすぐ来る」と言って、ここまで担いできた岩野さんのザックを、今度は瀬田の彼が背負うと二人で先に出発。その後、すぐにリーダーが姿を現す。先に歩いていたのに最後になったのは、チョット用事で草陰にいたそうで、それなら見付かる筈も無い。そこから、スッキリ元気を回復したリーダーと、守山の彼と私の3人はユックリ辺りの林の新緑を楽しみながら、皆の後を追う。

登るにつれ、尾根が消えて斜面に変わってゆく。左手には桧の林が上方へと続いていたが、右手は素晴らしい新緑の雑木の林が広がっている。ハアハア言いながら急斜面を登って行くと、雑木林と桧林の境界に花を開いたヱビネの群落が~。少し上の桧林の中には、花を開いた一輪と一つのヤマシャクの蕾が残っていた。辺りの斜面には足の踏み場が無い程に、フタリシズカが広がっている。花にはまだ早く、蕾を付けているだけ。やがて、右手からの尾根を合わすと、二度目のエビネの群落に出会えたが、まだ花を開いていない。尾根を登り、傾斜が緩くなると桧や杉の大木が立ち、メタ場を目にすると838mの東の平坦地。1025分、そこで待っていてくれた皆と合流した。

838mを踏み、左手桧林、右雑木林の先の左手は、岩屋谷へ落ち込んでいるガレ場。右手の林の新緑を楽しみながら、左の木々の間から、横たわるサクラグチの稜線の向こうに雨乞岳、綿向山やイハイガ岳、その左に銚子ケ口の頂を垣間見ながら西へ向かう。一旦緩く下って、方向を北へ変えて斜面を登ると笠松尾根の分岐。見晴しのない灌木の林を北西へ歩くと道跡に出て、西へ向かうとすぐ日本コバ山頂だった。

古くは別称「藤川山」とも呼ばれ、名前の由来から「日本古バ」「二本コバ」とも書かれた標高934.2mの山である。数年前から山頂の周りの木が伐採され、北と南の展望が望めるようにと明るい山頂広場に変った。三角点はその広場の東外れに立っている。標石は東向きで、点名は「日本コバ」。広場に立つと、南には琵琶湖、湖東平野が見下ろすことが出来、北には鈴ヶ岳、御池岳のテーブルランド、霊仙山の後に伊吹山が頭を出しているのが見えた。時間は11時を過ぎたばかりだが、ここで昼食となる。

長靴を脱いでユックリと寛ぐ。まずは喉を潤していると、塩辛いくらいの竹の子の煮つけ、フキの煮物にウインナー焼き、鯖寿司が回って来る。目の前では烏賊焼きの真っ最中だ。持ってきた昼食のソーメンをつつきながら飲んで食べる。デザートはと言えば、小トマトにお嬢が持ってきたみかんの皮の砂糖付け。それを貰ったらお嬢に、「あげるばかりで、返し無し」と言われてしまう。最後は瀬田の彼が持ってきたブランデイに、鈴鹿山行ではお馴染みの沸かしたばかりの彼のコーヒーを割って飲み、締めくくる。我々が飲んで食べている間に、二人の登山者が、その後、10数名のグループも到着。山頂広場は人で座る場所も無い程に溢れ返っている。山頂は風も無く、暖かい日差しが降り注いでいた。何時もならこれから食事と言う時間、1215分に下山となる。コースを西に取り、雑木の林の尾根を歩く。その途中二か所で、この時期には終わっている筈のイワカガミの花の群落に会い歓声が上がる。右手に湿地帯に流れる谷を見ながら進み、一旦下り緩く登ると松尾谷へ下る分岐。そこには「日本コバまで1km」と書かれた標識が立っており、北へ方向を変えて250mも歩くと白鹿背山、永源寺へ向かう尾根の分岐で、そこには「日本コバまで2.5km」の標識が立っていた。

この地点から北へ延びる尾根を進む。尾根には踏跡が残っていて、その尾根を下って登り返すと、右手へ延びる二つ目の尾根でストップ。このまま真っ直ぐ進むと897m、明神岩を通って大萩へ下るのだが、衣掛山へ向かうには、この尾根を東進するように見えたのだ。岩野さんは「もう一つ先の897mから境界尾根へ乗るのだ」と言うが、地形図を読んで納得しない者が、その尾根を東へ進んでみる。200mも歩くと尾根は切れてしまってすぐ目の前にある北の尾根に乗り換えなくてはならなかった。それが正しい尾根で、その尾根には踏跡が残っていた。この尾根を歩いたのは7人で、暫くすると897mを踏んだ岩野さんの一団がやって来た。地形図読みより経験が物を言った一コマだった。

ここから湿地帯を右手に見ながら、東へ延びる尾根を進む。尾根を緩く下って登り返したピークが衣掛山。この山の位置は、西尾氏にしても、草川氏にしてもハッキリト位置を示しておらず諸説あるようだが、岩野さんはこのピークを衣掛山としている。ここから東へ二つコブのピークを越えて下ると、右に藤川谷道へ向かう道分岐。ここからは政所へ向かう一般道になるが、道跡はあまり確かで無い。そのまま尾根を小さなアップダウンを繰り返し東へ進み、筒井峠へ下る分岐のピークから本格的な下りとなる。

岩野さんを先頭に、刻まれた道を下り鞍部に下ると、道の脇にワサビの一株が~。水も無いこんな所にワサビが生えているなんて信じられず、葉を食してみると間違いなくワサビだ。ユリワサビだと思ったが、四日市の彼はハタケワサビだと言っている。一人で来たのなら摘んで帰るのだが、皆が居るのではそれも出来なかった。

鞍部から826mのピークの南を巻いて東へ延びる尾根へ乗る。下るにつれ雑木の林にホウの木が目立つようになって来る。細尾根へ乗り、一旦左の桧の林へ逃げて、再び尾根へ乗って下ると485mの鞍部。そこから急斜面のジグザグ道を下ると政所へ下った。政所は古くは小椋谷の中心地であり、そう呼ばれた由来は諸説あるが、百済寺の影響下にあって小椋谷一帯の寺坊を統括する任にあった政所とするのが妥当だと言われている。今では、この辺りの集落全てで茶の栽培が行われていて、少ない生産量ながら「政所茶」の名声は高い。我々が政所へ下った所でも、茶畑へ覆いをかける作業をしていたが、作業をしていた人に聞いて見ると、玉露を作るために覆いをしているとのことだった。

政所から御池川右岸の舗装路をブラブラ歩き如意堂まで戻り、1545分解散となる。帰路、名神黒丸SA3台の車が停まり、ティタイムをとり家路につく。