--鈴鹿を歩く214(新ハイ岩野氏例会)-- イプネ、銚子、深谷山、銚子ケ口 平成17年04月17日(曜) 礒部記(地形図日野東部、御在所山) |
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コース 山科駅6:50⇒7:45杠葉尾神崎川橋広場8:00⇒8:20藤切谷旧林道8:30→9:10桜地蔵→9:40大シデ(塩津)9:50→10:55杉峠11:05→11:35佐目峠→11:50イブネ→12:15銚子12:55→13:30・1022m→14:10深谷山→14:25大峠→14:40銚子ケ口西峰手前15:00→15:25銚子口→15:30銚子ケ口東峰15:40→登山口17:10→17:30杠葉尾神崎川広場⇒17:45永源寺役場18:00⇒19.00山科駅 |
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岩野さんの例会は今年になって8回目。今回は杉峠からイブネ、銚子、深谷山を通る長い尾根を歩き、銚子ケロを踏んで杠葉尾へ下る。杉峠から銚子ケ口までの長い尾根の縦走ルートは、草川啓三氏の「鈴鹿の山を歩く」や新ハイ関西板51号に紹介されているが、岩野さんの例会で歩くのは3回目。しかも、杉峠から出発するのは今回が2回目だった。 山科駅で二人を乗せ名神に乗り、杠葉尾神崎川橋広場へ着いたのは7時45分。この時既に広場は車で一杯になっていた。誰が参加しているのかを見ようとすると、最初に顔を合わせた鈴鹿のお兄に「よお!生きてたんか」と言われてしまう。岩野さんの例会へは今年になって初めての参加だった。見渡すと殆どの人が見知った顔で、三重県から来た古い岩野さんの例会メンバーや、町内の役に当たって、今年の岩野さんの例会には参加出来ないと言っていた守山の彼の顔もあった。今回の参加者は多く、総勢44名の参加だった。10台の車に乗り合わせ、甲津畑奥の旧藤切谷林道入口に移動する。人員を確認して出発したのは8時30分。藤切谷に添った林道をサブと久し振りで体調を戻したあの人が先頭にたって、「最初からこんなに飛ばしていいのだろうか」と思う程のピッチで飛ばすに飛ばす。後に付いて歩く人達は離されないように歩くだけで必死。道にはタチツボスミレ、キブシ、クロモジがあったが、それを鑑賞している余裕など全く無かった。 この甲津畑から杉峠に至る道は「千種越」と言われ、日野の甲津畑から杉峠、根の平峠を越えて、朝明から伊勢の四日市に越える古道である。鎌倉時代以前から近江と伊勢の間商人達が往来し、延暦寺の僧たちの迫害にあった浄土真宗中興の祖、蓮如上人もこの道を歩き、織田信長も歩いたことのある由緒ある道だと言える。 昨年の台風で荒らされている道を40分も歩くと桜地蔵。何時もはここで一休みするのだが、この日は見向きもせずに通過してしまう。橋を渡るとアケビダンの道を左に分け、山道に変わる。杉の林を通り過ぎ、山腹を縫うように歩いて行くと、道脇には点々とタチツボスミレが続いている。ヤマルリソウやイワウチワの群落を見て、大峠へ向かうツルベ谷分岐を過ぎて、道が左へ廻り込むと、やがて奥ノ畑谷の分岐。その先の蓮如上人の旧跡を通り過ぎ、昔の塩の集積場所であった塩津の手前の大シデのある所までやって来て初めて休憩となった。ここで最後尾が着くまで8分もの間隔があり、先頭を歩いた者達はヒイヒイ言わされたが、十二分に休憩が出来た。 ここから指名を受けて私がトップで登る。空沢を登り、高巻きから谷を渡ると、その上は向山鉱山跡。道の行く手に数百年も時代の流れを見てきたナラの巨木が何本も立ち並んでいた。鈴鹿の中でも特筆すべき情緒ある地域と言える。再び谷を渡って左岸の斜面を登る。やがては谷が広がり、左手へトラバースするように登って行くと、杉峠へ着く。峠には名前の通りに杉の古木が一本立っている。春はまだ遠く、雨乞岳の北斜面には雪まで残っていた。この峠へ立つと東には御在所岳が、西には木の間から綿向山を垣間見る。峠には雨乞岳から下ってきた人が二人休んでいて、下ってきた武平峠から来た二人連れは、すぐに御池谷を下って行った。この日は多くの人が雨乞岳に登っているようだ。 全員が揃った所で、峠の北の尾根を登る。斜面が緩やかになると以前笹原であった尾根は一変し、草原状の広場へと変わっていた。ここからの展望は良く、雨乞岳はあまりに近過ぎ全容を掴めないが、西には綿向山とイハイガ岳が、東には国見岳と御在所岳が、その右手に鋭峰鎌ヶ岳が頭を覗かせていた。佐目峠へ向かうのに、昔はここから巻き道があったが、今は消えて無く、杉峠の頭まで登り、そこからシロモジの林を下って佐目峠へ向かう。ここも以前には笹竹が腰以上あって、峠の位置が分からない程だったが、今では全く笹は消えてしまい、峠を示す岩もしっかりと見ることが出来た。この峠は佐目子谷から神崎川源流に乗り越す峠だが、その目的ははっきりせず、鉱山関係の人達が使った峠だと考えられている。峠から北東へ急斜面を登れば、1160mもあるとは思えない高原的ムードを漂わせている平坦地イプネ。ここでも以前あった笹竹は何処かに消えてしまっていた。イブネ山頂を示す標柱の下には、幾つものハルリンドウが花を開いていた。 昼食は銚子山頂。何時もなら、ここから北の尾根を下り、佐目子谷源頭の熊ノ戸平を歩いて銚子へ登るのだが、この日は笹が消えていることを理由に、イブネ東端から尾根通しに銚子へ向かうことになった。イブネ東端から尾根を北へ下り、クラシをかすめて西方へ方向を変えて銚子へ至る。この山頂で、今歩いてきたイブネの草原を眺めながらの昼食となる。雪が残っていたのに陽は暖かく、貰って飲んだビールは実に美味い。先は長いが、何時もよりゆっくりと昼食に時間を費やし、最後に恒例の彼の喫茶店、本格的コーヒーが出来るのを待つ。コーヒーを造る彼の前には、10個以上のコップが並んでいた。 12時55分に出発する。東のピークに何処へ向かうのか、二人の登山者が来ていたが、こんな所で人に会うのも珍しい。ここから北へ向かうとすぐ、転げ落ちそうな急勾配の細尾根の下り。足元にはイワウチワ、ショウジョウバカマの花が、横にはシャクナゲの蕾が点々としていたが、それらを見ている余裕など全く無い。慎重に足元を確かめながらやっと下ると、両側がキレット状に切れ込んでいる鞍部。東には大陰のガレを見せている釈迦ヶ岳が、西には台形のタイジョウが間近に見えている。そこからしばらくは細い尾根やコブの乗り越し。足元にはイワウチワの花が点々と咲き乱れ、その花の中にバイカオウレンの花も顔を覗かせていた。 その先の細尾根の高みに来ると、行く手に二つのピークが聳え、その間に深谷のガレ場が口を開いている。側の木には「深谷山1022」と刻まれていたが、このピークは「深谷山」ではないと岩野さんは言う。西尾氏が「鈴鹿の山と谷」の中で「深谷山は独標1022mの辺りの山」と特定していることから、最近ではエリアマップにもここを深谷山としているが、「佐目で呼んでいる深谷山は佐目子谷支流の深谷源頭にあるガレ場北のピークを指すのだ」と。歩いてみて分かるが、このピークは山というより尾根と言った方が良い。1022mから一旦下り、広い尾根に取付く。辺りは雑木の二次林の林でブナの美しい疎林が広がっている。急斜面を登るとピークの下に、舟形をした窪地があり、太いブナの木が倒れている。ここが「舟窪」と呼ばれている所で、休憩には最適の場所である。 ここからガレ場の上を通って、深谷山へ登る。細い尾根の歩きは思った以上に気が抜けない。やっとガレ場を過ぎると、ピンクのミスミソウがその緊張を解いてくれた。深谷山のピークを踏んで、大峠へ下る尾根はブナ、ミズナラ、リョウプの立ち並ぶ雑木林。足元には点々とハルリンドウが花を開いていた。緩く尾根を下り鞍部から一段登れば大峠。この明るい峠にはアセビの花が満開。14時25分の到着だった。 ここで古来御金明神や雨乞いに関係あった水舟ノ池を見に行く人と、1067mを越えて銚子ケ口西峰で待つ人の二手に分かれる。意外に水舟ノ池を見たことがないという人が多く、西峰へ向かったのはリーダー、サブを初めとする10人だけ。水舟ノ池組が登ってくるまでの20分間、瀬田の彼が開いたスナックで時を過ごす。以前はこのピークから、水舟の池の周りを歩く人の姿が見えたが、今では杉に遮られ、池すら見ることが出来なかった。西峰から一旦東へ下り、登り返して尾根を北へ向かうと鞍部があるが、ここが佐目の塔尾神社の古文書にあった「大嶺」で、佐目から佐目子谷を通って、拝坂尻、風穴谷、ハチノス谷を経て、御金明神へ通った参拝道の途中の峠である。この旧峠からすぐ北に見える天狗岩まで、今でも昔の道が残っていると聞くが、天狗岩の下にある道しか見ていない。旧大峠から北東へ登り、黒尾山への分岐、南峰への分岐を過ぎ、斜面を一旦北へ下り、登り返すと銚子ケ口三角点。展望は全く無い山頂だった。標高は1076.8mで、点名は「佐目、三等三角点である。標石は西南向きで、南から西へ20度振っている。前回この山頂を訪れた時、「銚子ヶ岳」と書かれた山名標識があり、「岳」はいらないと新ハイ誌に書いたことがあったが、その標識は破棄されていて、気分が晴れ晴れとなる。この山頂では標石を撮る儀式だけで、東峰で休むことになる。 東峰で最後の担いできた飲み物の整理を行う。それを飲みながら、辺りの景観にも酔いしれる。ここに立つと鈴鹿の南は別にして、ほぼ鈴鹿の北にある全山を一望出来ると言って良く、輪郭だけの伊吹山に始まり、霊仙山、御池岳、藤原岳、天狗堂、静ヶ岳、竜ケ岳、三池岳、釈迦ヶ岳、国見岳、御在所岳が、すぐ目の前には不老堂、水木野がクッキリと見えている。鎌ヶ岳は見えなかったが雪の残った雨乞岳の手前に、朝踏んできた杉峠の頭、イブネ、銚子も霞んで見えていた。あんな遠くから歩いてきたと思うと、感慨深いものがあった。 15時40分、下山開始。下の尾根からウリハダカエデの斜面を下り、一般道を杠葉尾へ。展望のない単調な道を、「あの女(ひと)は人でない」と言われている方を先頭にドンドン下って行く。付いて下るのに必死で、足はガタガタだったが、お陰様で1時間30分で登山口まで下ることが出来た。無事走破出来たことを祝して、ここで一応解散。 車を取りに行く人を永源寺役場で待ち、18時、散会となった。 |
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