鈴鹿を歩く200(新ハイ・岩野氏特別例会)

谷山、幾里山、ソノド                  平成160923(晴れ)

磯部記(地形図:霊仙山)

コース JR山科駅6:307:30寺院広場8:008:35白谷林道ヘアピン→9:40尾根花園→9:55谷山(992.8m)9:5510:35幾里山(908m)10:4511:30ソドノ(926.0m)12:3513:55尾根展望14:0514:20尾根花園14:3015:15白谷林道ヘアピン15:3015:55寺院広場16:0517:30JR山科駅⇒18:30小倉

今回の山行は平成83月に岩野さんの「鈴鹿を歩く」シリーズが始まって以来200回目の記念すべき例会であった。しかもこの日の例会で登る山は、岩野さんが新ハイ誌に掲載したコース案内「近江側から登る鈴鹿の山々」に載っている山で、これまで例会で取り上げていなかった最後の山々谷山、幾里山、ソノドを訪れるのであるから、まさに岩野ファンにとっては、二重に記念すべき山行だったと言えよう。ただ、残念だったことは岩野氏例会のサブ、常連の守山、宇治の彼や山科の大兄が、前から決まっていた所用?でどうしても参加出来なかったことである。

集合場所は河内線「河内の風穴」手前の寺院広場で、何時もより30分早い、8時の集合だった。寺院広場へ730分に着くと、既に殆どの人が集まっていて、珍しくギリギリに姿を現した瀬田の彼の車が到着すると、すぐ出発。8台の車に分乗して、権現谷林道を奥へと走る。安原分岐で谷沿いの道をとり、両側から迫る岩壁の間をすり抜け、奥の権現から更に五僧峠の方へ車を走らせると白谷分岐。ここから左へ入り、林道を遡る。道の側にはツリフネソウやゴマナが咲いていたが、道幅が狭く、ゆっくり見ている余裕はない。ひたすら林道を奥へ走り、道のヘアピンへ駐車した。ここがスタート地点となるが、この日に歩いたルートは「新ハイ2147頁」に紹介されているルートそのままだった。

点呼をとり出席人員確認をしてすぐに出発となる。この例会の参加者は記念山行にしては少なく32名だった。道の縁にイヌタデの咲いている谷脇の道を200mも遡り、谷分岐から中央尾根へ取付く。この尾根は杉の植林尾根で、急斜面を登るとすぐ、微かな古い杣道に出会う。その踏跡に従い急斜面を登って行くと、尾根を横切るように付けられたしっかりした道に出た。その道を左へ向かうと、杉林の斜面にはミカエリソウが一面に花を開いている。その中にアキチョウジも咲いていた。花を見ながら歩を進めると、道は谷へと降りる。谷には谷水がチョロチョロと流れており、口に含むと思っていた以上に冷たい。側には初めて見るヒナノウスツボが小さな花を付けていた。

谷中を50mも遡り、右手に浅い谷を見て、再び中央尾根へ取付く。この尾根も杉の植林尾根で斜面は急過ぎる程の急勾配30mも登ると後からリーダーの「左へ行くと切り開きがあるから、そこを登れ!」と言う声が飛び、先頭は斜面を左へトラバースするが、杉林の切れ目を通り越して、リョウブの多い雑木の林へと入ってしまう。先頭の人は「切り開き」と言うから、広い空地を想像していたようだが、何のことはない「切り開き」とは、杉植林と雑木の林の間の2m程の伐採エリアを指していたのだった。

藪が中途半端に切られ、歩きにくい急勾配の「切り開き」をフウフウ言いながら登って行くと、斜面途中に大岩があり、そこで一息入れる。岩の上に立つと、南の谷間に藤原岳や御池岳の姿を見る。西には霊仙山の東斜面が立ちはだかっていた

ここから更に5分も登れば、谷山から西へ張り出す尾根に乗る。辺りに高い木は無く、絶好の展望台と言って良い。その上辺り一面と言って良い程のトリカブトのお花畑。そのトリカブトも良く見る種類ではなく、花が茎の上の方に固まって咲いているハコネトリカプトに似た種類のものだった。良く見ると、トリカブトの花の間にピンクのゲンノショウコ、コナスビ、ミズヒキ、ノコンギクの花も咲いていた。この場所からの展望は良く、南方には藤原岳、御池岳が横たわり、その手前に烏帽子岳、三国岳、コザトのピークが見えていて、御池岳の右肩に雨乞岳と綿向山が霞んでいた。一方、西には霊仙山の避難小屋、経塚山、三角点峰、最高峰が手の届きそうな所に聳え立っていた。何れの場所にもまだ時間が早いのか、人影は全く無い。しばしこの風景を楽しむ。

尾根を東へ登り谷山へ。以前は藪山として知られ、山頂へは笹藪を漕いで登り、訪れる人も少なかったが、今では笹は刈り取られ、切り開きが出来ていた。その切り開きを登ると、すぐに谷山山頂だった。谷山はエリアマップには養老山と書かれているが、山仲間には谷山、藪谷山として知られている山である。三角点は切り開かれた広場に立っており、標石は北東向きで、北から東へ50度振っている。辺りは林に囲まれ、展望は全く無い。

谷山から県境尾根を東南へ下る。その尾根は桧林の植林尾根で、藪は無い。200mも下ると一寸したピーク。その東側は伐採されていて、東から南にかけて横たわる山々を一望出来た。辺りには一面にベニバナボロギクの胞子花が残っている。4年前、時山から藪ケ谷を詰めて谷山へ登った時には、ガスで展望は利かなかったが、少なくとも伐採斜面は谷山南ピークの東斜面だけだったと記憶している。それがどうだろう。この東斜面だけではなく、ここから東へ延びる尾根から幾里山までの西斜面、同尾根の北斜面から幾里谷を挟んで東へ延びる北側の尾根までが、伐採斜面へと変わっていた。その哀れな尾根の向こうには々と養老山系が横たわっていた。

一息入れ、東へ延びる伐採斜面の境界尾根を下る。勾配が緩くなった所へ左から古い道が来ていた。ここが藪谷峠で、柏原から時山へ越える峠だが、藪谷側の道は消えて無い。更に東へ下ると造林林道へと出た。4年前には林道はここまでしかなかったが、今では更に境界尾根の東斜面、幾里山の西斜面、鹿遊びの北斜面へと林道が延びている。

林道を100m程下り、林道分岐の中間尾根へ取付く。以前美しい雑木林の尾根も伐採されてしまい、小石の目立つガレ尾根へと変わっていた。尾根に登ってすぐの所から藪谷へと下っていた古い峠道は、勿論消えて無くなっていた。尾根に木は残っていなかったが、西尾さんの「鈴鹿の山と谷」に写真があった「珍木」だけが、唯一切られずに残されていた。その尾根から伐採斜面を登ると「鹿遊び」と紹介されている場所。名前通りに鹿が遊んでもおかしくない情緒ある林は切られ、伐採斜面へと変わり、僅かに東斜面に残された林にその面影が残っているだけ。尾根を登ると908mのピーク。ここが幾里山と言われているピークだが、以前の印象とは程遠く、全く違った山へ登ったようにも思える。丸裸の山頂から、これから向かおうとするソノドは、すぐ目の前に聳えていた。

急斜面を下ると伐採斜面は終わり、雑木の尾根へと戻る。尾根には古い道跡が残っていて、道跡を辿り標高差140mをゆっくりと登るとソノド山頂。標高は926.0mだが、山頂が広く林に遮られ展望が無いので、そんなに高いとは思えない。

三角点は南の奥の広場に立っていた。その側には立派な山名標識も設置されていた。標石は北東向きで、北から東へ40度振っている。この三角点の点名は「ソノドヲ」である。この山を別に霧ヶ峰とも言うが、ソノドの方が知られている山名である。何故「ソノド」と呼ぶようになったか地元で聞いても分からないと言うが、「ソノ」へ転じた「ソネ」が山上の広い地をさす意味から、美濃側から見ると、この山の山頂が平坦に見えることから名付けられたのではないかと、西尾氏は推測している。「ド」は渡の意だそうだ。

この山頂で昼食となる。三々五々林の中に散らばり食べ始めると、「ジイジイ」という音と共に美味そうな香りが漂ってくる。鈴鹿のお兄がタラコ入りの秋刀魚を焼く音で、いっぺんに周りの人達の箸が延びる。その後の焼きイカも圧巻。アッという間に無くなってしまった。久し振りに顔を見せた鈴鹿のお嬢は、あまり飲んでもいないのに、一人喋りまくり、辺りを賑わす。あの人一人居るだけで、こんなに盛り上がるとは~

一息ついた所で、「鈴鹿を歩く」の200回例会を記念して、岩野さんからの挨拶をお願いする。「一時は例会を止めようかと思ったこともあったが、ここまで続けられた」というお礼の言葉と、「体力が衰えた今、300回に向けて例会を続けるので、皆さんの協力をお願いする」と頼もしい言葉があった。その後、全員で記念写真を撮り、昼食を閉じた。帰路は、来た道を戻る。幾里山手前の鞍部から、ロートル16人が谷間を林道へ下るが、残りの人達が、幾里山を登り返して尾根を戻った。「林道を歩いた方が時間が掛かるだろう」と言うのがその言い訳だが、実は歩き足りなかったに違いない。

林道からベニバナボロギクの展望尾根まで登って、ここで休憩。瀬田の彼のザックからは、ドラえもんのポケットのように、何本もの飲み物が出てくる。天気予報では昼から雨が降るかも知れないと言っていたのに、空は晴れ渡り、雨の気配は全く無い。遠くの山々を眺めながら、貰った飲み物で喉を潤す気分の何と爽快なことか!

谷山を越えて尾根の花園で最後の休憩をとる。ここで見た白いトリカブトの花は、これまで聞いたことも見たこともなく、休憩時間と言うより撮影会と言って良い一時だった。急斜面の切り開き、杉林の尾根と下り、1515分、林道ヘアピンへ戻り、解散となった。岩野さんの第200回の「鈴鹿を歩く」例会は、天気に恵まれ、恙なく終了した。