鈴鹿を歩く199(新ハイ・岩野氏例会) 黒谷山、花平 平成16年09月12日(晴れ) 礒部記(地形図:百済寺) |
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コース 8:05愛東町道の駅8:15⇒8:40皇学園前→9.50尾根分岐→10:15黒谷山10:25→10:35小尾根→12:20皇学園前⇒12:45惟喬親王稜→12:55花平13:05→13:20惟喬親王稜13:35⇒15:20小倉 |
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岩野さんの例会鈴鹿シリーズが始まって200回になろうとしている現在、新ハイ誌に載せられた「近江側から登る鈴鹿の山々」に出ている山で、これまで例会で登っていない山は黒谷山と谷山、幾里山だけになっていた。それが今回の199回例会で、初めて黒谷山が取り上げられた。新ハイ33号48頁に紹介されているルートは、筒井峠西の皇学園から尾根に取付き黒谷山へ向かう往復ルートだが、2年前にこの山へ登った時には、黒谷を東へ入った二つ目の尾根を登り黒谷山へ向かい、下りは岩野さんのルートを下り皇学園へ。そこから花平を踏んで黒谷へ戻っている。今回の例会では、何時もの例で、ピストン往復ではなく、別のルートを取ってくれるに違いないと期待してこの例会に参加したのだが~。 愛東町道の駅、マーガレットステーションに着いたのは8時過ぎだったが、既に殆どの人が集まっていて、8時15分には全員が揃い、すぐ出発となった。百済寺前から角井峠、百済寺甲、犬上ダム分岐と車を走らせ、筒井峠手前の皇学園前の広場へ車を停める。広い広場はすぐ車で一杯になり、数えてみると22台もあったのでビックリ。この日の参加者は初めて見た人も多く、37名の参加だった。ただ、沢の例会が終わって、久し振りに歩きの例会だったが、何処を浮気しているのか、鈴鹿のお嬢の顔が見えないのが淋しい。 点呼をとった後、8時40分には出発となる。学園内に入り、左へ延びている道を進み、尾根を廻り込むと、雨戸を閉じた家屋が立ち並んでいる。学園の宿泊施設なのか、合宿所なのか、人の気配は全く感じられない。そもそも皇学園なるものが、習字に関係する施設というだけで、何者なのかも調べても分からない。 人気のない家屋の側を通り、崖崩れの斜面を横切り奥へ向かうと、古い2m程ある道が奥へと延びている。道脇には草に隠れてヤマジノホトトギスが点々と花を開いていた。その道を歩き、一つ北にある尾根を巻いて、東へ登ると平坦地へ出る。そこには東屋が建っていた。その側には大きな松の木が立っていたが、この松は岩野さんが言う「見返の松」ではないらしい。この東屋で一息入れた後、平坦地を東へ向かうと、そこには朽ち壊れた小屋の残骸が散らばっており、林道はそこで終り。ここから尾根へ取付く。 尾根の踏跡を登るとすぐ道は二分する。先頭を歩く瀬田の彼は左の道をとるが、10人程が後に続いただけで、残りの人たちは付いて来ない。左の道はすぐ尾根に乗り、左杉の林に沿って尾根を東へ向かうと、山腹の道を歩いてきた後続の人達と出会った。要するに先頭の人たちが遠回りをしたのだった。 ここからは左杉の林、右手が雑木の林の尾根を東へ歩く。小さなピークを一つ越えて斜面が登りになると、辺りは右手の杉林は雑木の林に変わる。登り切ったピークが2年前、黒谷山から来た時に尾根なりに西へ下ってしまい、慌てて斜面を横切り、正規の尾根へ乗ったピークだった。そのピークの北側にも杉の林があったが、北東へ下ると杉林は消え、美しい雑木の疎林が広がっていた。この日のルートの殆どが杉と桧の植林尾根の中、唯一心和ませてくれる雑木林と言って良い斜面である。その先、僅か登ると黒谷山への分岐尾根で、その分岐には年代物の二股の松が立っていた。尾根を右手へ向かえば、宮坂峠、天狗堂サンヤリ滝谷山を経て、御池岳の茶野へ至る壮大な尾根である。 時間はまだ9時50分。ここからゆっくり歩いても黒谷山まで30分も掛かりはしない。当然、黒谷方面へ別のルートを下ってくれるものと、期待が膨らむ。 その分岐から尾根を北西へ向かう。尾根の左は杉の林で、右手が桧の植林斜面の尾根である。尾根には踏跡が残っており、地面にはヒカゲノカズラやツルアリドウシの赤い実が点々と続いている。そのうち、右手が若い桧の植林斜面に変わると、木々の間から天狗堂からサンヤリへと続く尾根が見え隠れする。それを見ながら歩いていると、突然、左足首にヒヤッとした感じが~。汗もそれ程かいている訳でもなく、下草も漏れていない。変だなと思ったが、気になりながらもそのまま歩を進めた 20分も尾根を歩くと黒谷山山頂。着いてすぐ、念の為に左足首を見ると、靴下は血で真っ赤。慌てて靴を脱いで探すが、血を吸って十二分に満足したのか、ヒル様は何処にもいない。只々、献血に協力したと思うしかなかった。後で皆に聞いても、この日、ヒルに好かれたのは私一人だけだったようだ。 山頂には奇麗な三角点が立っていた。標高は685.2mあり、点名は「黒谷」。標石の向きは東だが、10度南へ振っている。前回来た時には、山頂からの展望が開けていたと思ったが、2年も経つと木が大きくなったのか、僅かに天狗堂とその東の尾根が見えるだけ。 時間はまだ10時15分。食事には早過ぎ、てっきり北の尾根を下るのかと思ったら、「今来た道を戻る」とのリーダーの一言。今登ってきた道は距離も短く、2年前に辿った道なので、ピストン往復するだけなら例会へ参加するまでもなかったと思ったが、もう遅い。尾根を戻り、分岐の一つ北の小尾根で、本当に早い昼食となる。あまりに時間が早く、食べる物も喉を通らない程だ。それでも食べて飲んで腹を満たす。 11時20分、腰を上げ、来た道を戻り、皇学園前の広場へ着いたのは12時10分。これから花平へ行くのも早過ぎ、思案の末、「盤石の丘」へ行くことになり車に乗り合わせたが、付いていない時には仕方なく、林道は閉鎖されていて行くことが出来ない。結局、惟喬親王の御陵広場まで移動した。この場所は筒井一党と呼ばれた蛭谷の木地師が住んでいた場所で、筒井千軒跡とも呼ばれている場所である。ここには木地師の祖と言われる惟喬親王の座像などが奉納されており、惟喬親王に関係する多くの遺跡も残されていると言う。この場所を見た後で、花平へ向かうことになった。 大萩向かう車道を200m程下り、石垣の切れた所から左の尾根へ乗る。尾根を10分も西へ登ると花平山頂だった。以前、三角点は杉の林の縁に立っていたが、来てみると、杉の木は切られ、小さな広場になっていた。この三角点は点名「大萩」で、標高は561.6mもあるのだが、そんなに高いとは思えない。この山はあまりに車道に近く、中途半端な所にあるので、余程の三角点病に掛かっている人でないと訪れない山なのだろう。それだけに、標石は奇麗に保たれていた。 ここから広場へ戻ったが、この辺りで簡単に登れる山はなく、13時30分、岩野さんの例会では初めてと言って良い程、早い時間に解散となる。7,8月の沢の例会が終わって、最初の山歩きなので、簡単なルートを計画したようだが、それにしても時間が早過ぎた。日はまだ高く、まっすぐ帰るのには早過ぎ、道の駅へ寄って土産の果物を買ってから帰路につく。ここでは多くの例会参加者と出会った。誰の思いも同じだったようだ。 |
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