鈴鹿を歩く195(新ハイ岩野氏例会) 向山、イハイガ岳、綿向山 平成16年06月13日(晴れ) 礒部 ̇記(地形図:日野東部) |
|
コース 小倉6:15⇒8:05登谷入口林道8:20→8:30尾根取付→9:10送電線鉄塔9:30→10:40・888m→11:10向山→11:40登谷顱コル11:50→12:05イハイ岳→12:208(尾根昼食)13:10→13:40綿向山→分岐13:50→14:50北尾根分岐→15:10送電線鉄塔(R155)15:15→15:55登谷→16:10登谷入口林道16:20⇒17:15鏡山17:55⇒17.40小倉 |
|
新ハイ関西板16号(94年5・6月号)に初めて紹介された、甲津畑からイハイガ岳へ続く切谷と登谷に挟まれた尾根を、岩野さんの例会で歩くのは今回で2回目。平成11年5月以来のことだった。ただ、前回とは取付き点が違っていた。 集合場所である登谷林道広場が封鎖されていたので、林道を少し北へ向かった道に駐車する。全員の集合が早く、8時20分には出発出来た。この日の参加者は31名。名前を覚えていない人も4人いたが、殆ど見知った顔ばかりであった。 林道を北へ向かう。道脇の林には誰も名の知らない白い花がアチコチに咲いている。10分も歩くと、道は東へ廻り込む。廻り込んで20m行った右手が尾根への取付き地点。この林道が出来る前は、甲津畑の神社から来た道が、ここで谷道と尾根道に分かれた地点だという。尾根に乗ると、尾根に沿って溝状に刻まれた古い道が上へ上へと延びていた。最初は杉と桧の林だったが、何時しか松の混じった雑木の林へと変わる。前回の例会と同じように、先頭にはリーダーは居らず、私がペースメーカーになっての登りであった。 急斜面にジグザグに切られた道跡を30分も登ると、傾斜は緩くなる。しっかりと林の中に付いているユリ道を東へ進むと送電線鉄塔。その手前の左から来る巡視路が前回登って来たルートである。その鉄塔広場で休憩とするが、「先に行ってくれ」と言ったリーダーはなかなか姿を現さない。待っている間、これから歩く尾根や綿向山、帰りに下る尾根を眺めてリーダーを待つが、あまりに到着が遅過ぎたので様子を見に戻ると、和歌山の彼がリーダーと一緒に登ってきた。稲沢の彼女も出迎えにお出まし。鉄塔広場にリーダーが到着したのは、先頭がここに来てから20分後のことだった。 鉄塔広場からしっかりした道を東へ進む。尾根が東から南へ方向を変えると、雑木の林から桧の植林尾根へと変わる。道は変わらずに尾根に残っていたが、枝打ちされた枝が道を覆い、藪も歩くのを妨げるようになったので、道を離れて歩かざるを得ない。尾根は徐々に登って行き、ピークを越えると右手へ流れる尾根に乗る。辺りは桧の林だったが、下にはアチラコチラに紫色のタツナミソウの花が咲いていた。 一休みした後、尾根を南へ登ると、植林が切れる。その先、雑木の林に変わると尾根は細くなり、勾配も急になってきたが、尾根には微かに踏跡が残っていた。尾根の林は密になったり、疎になったりで、時折、東の方に、木々の間からカクレグラやダイジョウの頂きを見ることが出来た。・888mのピークで休んだ後、急斜面を登ると雑木の林。ここが向山のピークだが、平坦な上、林が濃く、何処が一番高い地点か分からない。ともかくも、リーダーの指示で、一番高いと思われる地点にテープを巻いて、「向山山頂」と記す。この先、向山のピークから一旦東へ向かい、南に延びる尾根に乗らなくてはならない。歩き易い所を選んで右へ行ったり、左へ曲がったりして進んで行くと、自分の進んでいる方向が分からなくなるので、一人山頂テーブルの西端に出て、地形図と磁石で方向を定めて磁石の矢印の方向へ進むと、左に尾根が見えてくる。その尾根へ乗ると、そこには既にリーダーに先導された一団が来ていた。地図も磁石も持っていないのに、長年の勘と経験としか言いようがない。そこには大きな池とも見えるヌタ場があり、このヌタ場がこの尾根に乗った目印だと言う。向山からこの尾根へ乗るのが、この日一番地図読みの難しい個所で、このヌタ場に来れば一安心。 ヌタ場から尾根を南へ向かう。辺りは鹿が現れてもおかしくない、静かな雑木の疎林だった。尾根を下り登り返し、次のピークから先頭は尾根なりに西へ下って行く。方向が違っていると声をかけると、「間違った!」という声がして引き返してくる。南に向かう細い尾根に乗ると踏跡が現れ、それを辿って尾根を下ると、登谷源頭のガレ場へ飛び出す。そのガレ場には獣道が何本も走っており、それを辿ってガレ場を横切り、登谷源頭の鞍部で休憩。天気は上々で、日は燦さんと照っていたが、風が吹き荒れていて、油断すると身体を持っていかれそうな強さだった。 この鞍部はイハイガ岳の北にあり、ツルベ谷と登谷の源頭にあたる鞍部である。登谷側は大きなガレ場が下まで広がっている。この鞍部から東の展望は雄大で、目の前に大峠から清水ノ頭を経て、雨乞岳へ至る尾根が、雨乞岳からダイジョウへの尾根が、目の前に畝っていた。 この休憩の間、5年前にツルベ谷源頭で見たショウキランが、まだ健在かどうかを四日市の彼と一緒に探しに下る。辺りを探しても見付からずに諦めかけた時、「あった!」の彼の声。一寸した谷奥に、一株だけ淋しく咲いていた。可憐なランの花と違って、名前そのものの形をしたピンクの花だった。 鞍部からガレ場を横切り、イハイガ岳北の急斜面に取付く。何も無いと思っていたガレ場には、こんな所にもジシバリやコナスビが黄色い花を開いており、岩の陰にはイワキンバイも咲いていた。ガレ場を歩き、まだ花を開いていないフタリシズカの生えている斜面を登って、急斜面をはい上がると、イハイガ岳山頂。山頂からの展望は全く無い。 広場には三角点が立っていた。イハイガ岳、標高964.1mで、点名は「祝ヶ岳」である。「近畿の山と谷」では甲津畑へ流れる谷を水木谷としており、ここから別に水木山と呼んでもいるようだが、甲津畑ではこの谷を「登谷」と呼んでいると聞く。なお、点名の「祝ケ岳」は、一説によれば「居拝ケ岳」の当て字ではないかとも言われている。 イハイガ岳から西へ下り、今は消えてしまった小峠を越えて、緩く2度上り返して、林が切れた笹の草原で、遅い昼食となる。座り込むと目の前に、鈴鹿南部の山並みが目の前に広がっていた。ダイジョウから尾根を右へ杉峠へと下り、雨乞岳山頂へ。前回登った雨乞岳西直登尾根やガレ場が手の届きそうな所に見えている。雨乞岳の右手には鎌ヶ岳は見えなかったが、鎌尾根から水沢岳、宮指路岳の連なり、点滅光の発している無線中継所の右手には仙ヶ岳、御所平と続き、目の前のサクラグチ、横谷山の尾根の右手に小さく鹿の楽園が見えている。先程まで吹き荒れていた風は、この斜面には届かず、天下泰平の陽気だった。この光景を眼前に、至福の一時を過ごす。 13時10分の出発。林の中にヌタ場を見て、尾根を西へ登って行く。高い木は無く、膝まである笹の中の踏跡の登りである。登る途中で後を振り返ると、登るにつれて鎌ヶ岳の全容が姿を現してくる。一方、向山を見ると平坦な山頂で、山頂から南に滑らかに尾根が続いている。何であんなに進む方向が分からなくなったのか不思議な程だった。 竜王山分岐でスナックを開く人を残して、20人程の人が綿向山山頂を目指す。山頂には二組のカップルが食事を楽しんでいたが、我々が行くと、じゃま者が来たと言うような視線を流す。綿向山の山名は「綿つむぎ」の意から付けられたと言うのが定説で、山頂には天穂日命、天夷烏命、武三熊大人命を祭神とした日野田中の綿向神社の山宮山嵩神社が祀られている。その横には、地元青年団が2020年に開けるタイムカプセルを埋め込んだケルン「青年の塔」が建っている。まずは神社に参拝だけして、すぐに引き返す。 竜王山への道に入ると、急降下が始まる。少し足を滑らすと転げ落ちそうな斜面に、真っ直ぐに道が下っている。足を滑らせないように木につかまりながら下るのが一苦労。重い体重を支えながら下るのは、思った以上に足への負担が大きい。鞍部まで下って一息つく間も無く、今度は登りが待っている。もう少しで頂上と言う所で左太ももに違和感を感じ、慌ててサロンパスを吹きつけ、漢方薬を飲んで痙攣防止に努める。お陰で何とか、大事に至る前に変調は治まった。 登り切った岩場は下りルートでの展望台の一つ。今登ってきた綿向山が後に高く聳え立ち、良くあんな急勾配の斜面を下ったものだと信じられない程だった。北方には御池岳が霞んで見え、目の前に朝歩いてきた尾根が横たわっている。 尾根を西へ歩き、右手に平坦な尾根を見たら、その尾根へ乗る。尾根へ入った所には小さなヌタ場があった。静かな雑木の林もすぐに切れ、その先は植林尾根の下り。やがて、巡視路に合い、それを辿ると送電線鉄塔へと下りる。伊勢幹線R155の鉄塔だった。ここがこの日最後の展望台。北方に日本コバ、天狗堂御池岳の姿を見て、疲れを癒す。 鉄塔からは巡視路の下りとなるが、道であって道でないような傾斜の下り。巡視路は荒れに荒れていて、急勾配の斜面には道らしき跡が微かに残っているだけ。それを辿って下ると登谷脇の道へ降り立つ。時間は15時55分だった。ヤブレガサ、ホタルブクロ、キシリフネソウを見ながら谷脇の道を西へ歩いて車へ戻り、16時20分に解散となった。 帰路、京都方面へ帰る者12名が、リーダーと一緒に鏡山のトキソウを見に行った。 |
|