鈴鹿を歩く 178 (新ハイ 岩野氏例会)

水舟の池から銚子ケ口西峰                  平成151013()

磯部記(地形図 日野東部・御在所山)

 

コース:小倉5:50  7:00佐目小谷入口広場8:00 → 9:15拝坂尻→10:00ハチノス谷→11:10尾根→ 11:55水舟の池13:00 13:20銚子ヶ口西峰→13:30 旧大峠? →14:05天狗岩→14:45ハチの巣谷→15:00谷分岐→ 15:25小峠登り口 →15:50拝坂尻→17:05佐目小谷入口広場 17.15 19:00小倉

 

前夜、天気予報を聞くと、 例会日当日の降水確率は、午前70%、午後20%だった。当然 例会は中止だろうと思い、サブ、 守山の彼に電話してみると、二人とも「とにかく、行 てみる」との返事。それを聞いて、こちらも「雨でも行ってみる」 と覚悟を決めた。

この日の例会で登る山は、水舟の池から銚子ケ口西峰。これまで水舟の池へは 岩野さんの例会で6年前9月に訪れたことはあったが、銚子ケ口からの往復ルートであった。もっとも、今年の5月に、今回と同じルートを歩く例会が計画されたが、雨のため中止となったので、岩野さんの例会で佐目小谷から水舟の池へ登るのは、今回の例会が初めて。今度は雨でも実施するかもしれないと思い、小雨がパラック中、家を出た。鈴鹿が近付くにつれ雨足は強くなり、佐目小谷入口広場へ着いた時には、本格的な雨へと変わっていた。集まってくる人は数人だろうと予想していたが、7時半だというのに、広場は車で一杯。「雨でも何処かへ行くだろう」と言うサブや守山の彼。「ワザワザ休みを取ったから家にいても仕方ないので来た」と言う鈴鹿のお兄。中には、前夜リーダーに問い合わせたら、「やりますとの返事だったから来た」と言う人など理由は様々。それなら最初から雨天決行にしてくれた方が、こんなに悩まなくて済んだのに~

8時定刻に、物好きと言おうか、山気違いと言おうか、集まった20人は雨対策を万全にして雨の中を出発する。中には、その上傘をさして歩いている人もいる。佐目小谷遡行するので、谷渡渉はあるものと、リーダーをはじめ長靴姿の人が6~7人はいた。

林道終点から谷沿いの道を上流へと歩く。以前は、ここから谷の狭くなった所を避けて、鬼坂を越えて大平谷出合いへ出たと聞くが、今では途中崩れた個所があるとはいえ、谷側に付けられた道を歩くことが出来る。左下の谷には5mを越えるような大岩がゴロゴロし、その間から滝になって水が流れていた。両側から迫り来る斜面の間を縫って、谷上の道を歩く。道斜面にはアキチョウジ、ミズヒキ、ミカエリソウが見送ってくれていた。細い谷を抜け、広い河原に出ると、その先の左手の切れ込んだ谷のある場所が中河原。この谷の右手の急尾根を登って黒尾山へ登ったことがあったが、雨とで上の方は何も見ることが出来ない。広い河原の林を突き抜け、谷が南へ曲がってから200mも歩くと、第1回目の渡渉。ここは登山道になっていないので、渡れるように石は置かれていない。とにかく、浅そうな所を選んで渡るしかない。「長靴を履いて来て良かった」と喜んだのも束の間、左足の長靴に水が滲み込んでくる。長靴に穴が開いていたのだった。

谷が東へ方向を変えると、両側から急斜面が迫ってきて、谷は狭くなる。視界が利けばともかく、霧で上が見えなければ、それ程の圧迫感は感じられない。岩のゴロゴロした河原を歩き、大岩の間を通りながら、何回となく渡渉をくり返す。中には足を滑らせ、水を浴びていた人が何人もいた。谷が東から南へ向きを変え、前方で谷が右手へ廻り込む所辺りが拝坂尻。佐目の人達が御金明神へ参拝へ行く時に、この上流にあるハチノス谷入口に姫ヶ滝があって登ることが出来ないので、ここから尾根を越えてハチノス谷へ向かった、と言われている参拝道の取付き地点だという。その入口である浅い谷の下へ、最後の11回目の渡渉をして渡り、ここで休憩をとる。山靴履きの人の靴はビショビショ。この雨で出たのか、靴の中にヒルを呼び込んだ人もいた。岩の割れめ状の谷下にはダイモンジソウの花が残っており、すぐ向かいの岩には、鉱山の鉱脈を探す試し堀をした穴が開いていた。「御金明神への古い参拝道は、ハチノス谷へ下って谷を上流へ遡り、右俣から右手の尾根へ登って、尾根を辿って水舟の池、大峠から北谷尻谷、御金明神へと登る道と、ハチノス谷上部の左俣、天狗岩、旧大峠から御金明神へ向かう道があったそうだが、今では天狗岩の下部に、昔を偲ばす石畳?の道が一部残っているだけで、他は消えてなくなっていると言う。そんな古道をこれから歩こうと言うものだった。

狭い急な谷を登ると、辺りは杉の植林斜面で。谷と言うより斜面の切れ目を登ったと言った方が良いかもしれない。杉林の急斜面をあへぎ登り、やっと登りついた所は、小峠と呼ばれている乗り越しで、尾根が削られたように切れている。そこから、左手へ杉林を斜めに下ると、姫ヶ滝上流のハチノス谷河原へ降り立つ。道標も何もない所で、帰りにここを通るので、ハッキリと場所を覚えていなくてはならない。比較的緩い傾斜の杉林が谷まで張り出していて、谷から5m程奥に岩盤の見えている場所と頭に刻み込む。

谷は岩がゴロゴロあって、広葉樹が谷を覆うように生い茂っている。もう少し秋が深まれば、紅葉で素晴らしい谷へと変わるに違いない。そんな情緒ある谷を登っていく。左に谷を分け、更に上流へ登ると、やがてはっきりした谷分岐へ着く。右の谷は浅く、中央の尾根は比較的緩い杉の植林尾根だ。その中央尾根を登り、傾斜が急になる辺りから右手へ巻いて、谷が谷でなくなる所から、更に、右上方に見える尾根へ登る。南雑木林、北斜面が杉と桧が混在した林の中間尾根だが、相変わらず霧が立ち込め、南方は何も見えない。その尾根を東へ登る。登る途中に、古い道跡と思われる溝が、左手の杉林から来ているのを見た。この道跡は古道の名残か、あるいは単なる仕事道なのだろうか。尾根は登るにつれ勾配が急になってくる。疲れて顔を上げ右手を見ると、霧の切れ目から右手の尾根があんなに高く見えている。滑らないように斜面を登ると、傾斜が緩くなって杉林は切れ、自然林の林へ変わる。細い尾根の右手はガレ場で、下を見ると、何処までも落ち込んでいる。左手に美しい自然林が広がる斜面を見ながら、急な斜面を登り切り、再び杉の植林帯に入って緩い斜面を左手へ向かうと、水舟の池だった。この池は水舟溜、ハチス池、お金池明神池とも呼ばれているそうで、鈴鹿一大きな池だという。古くは御金明神と共に、雨乞い信仰の対象となっていたようだが、今では細々と続けられていると聞く。ただ、この池の廻りにはそれを示すような祠などは、全く見られない。

この場所で昼食となる。予報通り雨は殆ど止んでいるが、霧は相変わらず晴れることなく、風もキツイ。時折吹く風に霧が流され、水舟の池の水面を見渡すことが出来た。ボッ~と霞む池の光景は幻想的な風情を漂わせていた。寒さと疲れで食事が進まず、稲荷鮨2ケを食べただけ。これでは体力が持たないと、廻ってきた惣菜を何とか食べて、エネルギーの補給をする。食べ終ると、まずは水を含んだ靴下を絞り、下りの準備。それから寒さを和らげるために内からと、燃やされた焚き火で冷えた身体の暖をとる。

13時、下山開始。といっても、これから大峠の方向へ登らなくてはならない。登る途中から左へトラバースして、1067mを巻いて大峠北にある鞍部へ登る。鞍部にはイブネへ向かう縦走路が走っていて、斜面を北へ登れば銚子ケ口西峰だ。天気が良ければ銚子ケ口は勿論のこと、御在所岳や釈迦岳等の鈴鹿の連山が見える筈だが、この日は愛想なく、見えるのは白一色だけ。風がビュンビュン吹いている中、西峰から縦走路を東へ少し下り、小ピークを二つ越えた鞍部が旧大峠だという。昔はここから天狗岩へ下る道があったと言っていたが、道の跡すら残っておらず、何の印しもない鞍部の旧大峠だった。

ここからシロモジの林の斜面を下り、右手の杉林の尾根に出る。天気なら谷の向こうに天狗岩が見えると言っていたが、霧で何も見えない。目の前には谷があり、先頭は急斜面を下ると、少し登って谷を渡り、次の尾根に乗る。その尾根も天狗岩のある尾根と違ったようで、またまた、次の尾根へとトラバース。「ガスが出て景色が見えない時は、岩野さんの感が鈍る」と言った人がいたが、本当にこの言が当たっているように思えた。次の尾根に乗ると、尾根に二つの大岩があり、その左前方に霧の中に淡ボンヤリと、コンモリと盛り上がった林が見えた。そこが天狗岩だった。岩の下まで来て見上げると、30m程の高さに聳え立っている。ここまで来れば一安心。一時は「霧で下る場所を間違えたかな」とも思ったが、最後に経験に物を言わせ、つじつまを合わせるとは、流石に岩野さん。只々感心するばかりだった。天狗岩の下には、岩を敷きつめたような道跡が残っていた。峠からの道は谷崩壊で消えてしまい、道跡はこの辺りの斜面にだけ残っていると言う。

一息入れ、道跡に従い尾根右手の斜面を下る。やがて斜面が谷の様相を示し、右岸の杉林の台地を下るとハチノス谷へと降りた。左と右手から谷を合わせ、更に谷を下ると、朽ちかけた木の橋があった。その橋の左手が、朝に登ったハチノス谷分岐の緩い杉林の尾根だった。この後は登ってきた谷を下るだけ。ひたすら下るが、人間の記憶とはいい加減なもの小峠から下ってきた杉林の斜面が特定出来ない。それをリーダーは、何の目印も見当たらないのに、迷わず「ここだ」と指摘する。これもこの辺りを昔に歩き回り、記憶にキッチリ焼きつけているからだろう。

杉林の急斜面を登り、小峠を乗り越し、拝坂尻へ下ったのは1550分。再び、11回の渡渉をくり返し、佐目小谷入口広場へ戻ったのは175分だった。流石に、帰りは濡れても良いと覚悟を決め谷を渡ったのか、水浴びをした人は誰もいなかった。

雨が降って大変な一日だったが、これまで、誰も詳しいルートを書いたことのない古道を歩くことが出来た。ただ、雨のため、満足行く写真を撮ることが出来ず、記憶のフィルムに焼き付けただけだったのは残念でならない。