あとがき


還暦を迎えるまでの私は、三十年ほど勤めた造船会社で、現業部門の管理や計画で文章作りに精出し、七年ほど勤めた自動車保険会社では事故現場を走り回って、状況図や報告書を作る実務調査で過ごしました。もう一つの趣味の囲碁は、盤面を読む力くらべのようなゲームでした。また青年時代には写真に凝って、カメラを下げて歩き廻っていた一時期もありました。

そうして定年後の還暦を過ぎてから、鈴鹿の山の案内書作りに取り組んでかれこれ十年。山行回数も鈴鹿だけで四百回を超えましたが、地形図読みもルート読みも、取材調査も写真撮影も、地図書きも文章書きも、案内書の制作に人生経験を総動員させているのですから、人生何が役立つのか解りません。

それはさておき、十年もフィールドノートを片手にひたすら山歩きを続けているのに、世間でいう岳人に近づいた気がしないのはなぜでしょうか。普通ならたまには鈴鹿を離れて、上高地や尾瀬へ行ってみたい。槍ヶ岳や穂高に登ってみたい。沢登りや小屋泊まり縦走に挑戦してみたいと思うはずなのに、早くもこの次は、鈴鹿山地に残る信仰や鉱山や廃村を訪ね、古道や峠道を探索してそれらを写真で伝えてみたい、と思っているのですから、岳人が遠のくのは当然かも知れません。

ではなぜそんな人間が十年も二十年も歩き続けているのかと言えば、山へ入り自然に触れることは、山登りではなく、山遊び・山旅、山暮らし、山生きであって、山から与えられる美しさや優しさや楽しさや、それらの豊かな感動を疲れた身体に背負い込んで、陽が西空に傾くころ家路に着くのが好きだから、としか答えられません。

しかし理由はどうあれ、山の厳しさや難しさは誰にとっても同じです。困難を克服するために立ち向かう岳人には当然のことでも、安全で楽しく山遊びしたいハイカーには、困難や危険は少ない方が良いのは当然です。そのような観点から、案内書では安全で解りやすい内容に重点を置きつつ、広範囲に対象を拡げて、山を歩くすべての人に役立つ作品を心掛けたつもりであり、それはまた都会の中の自然公園みたいな、鈴鹿の山だからこそできたのだとも言えると思います。

眼を転じると、過労・うつ病・格差・勝ち組負け組など、現代の病弊ともいえる言語が新聞などで飛び交っていますが、そんな社会から逃避できないなら、定年退職後からでも遅くはありません。あえて岳人をめざす必要もありません。無心無欲になって、山を歩いて自然の中で過ごしてみてはいかがでしょうか。きっと身心が洗われる思いがするはずです。

十年続いた案内書作りの最後の作品として、カラー口絵に井上正勝氏、高橋安行氏、今村悦子氏、杉嶋清子氏から優れた写真を提供していただきました。取材山行には大勢の山仲間の方々に同行していただきました。中日新聞社の鈴木道子氏には多大な編集努力を頂戴しました。そして私家版も含めた三冊の案内書をお求めくださった方々も含めて、すべての方々からいただいたご支援に対して厚く感謝申し上げ、あとがきの締めくくりといたします。平成十八年八月  西内正弘