第五部 鈴鹿山麓てくてく旅 |
|
日本の歴史が始まって幾ばくもたたない飛鳥時代(七世紀)から、鈴鹿山地は東国と西国を隔てる要害の地として、日本三関のうちの鈴鹿関(東海道)と不和関(東山道)の二つが、その両端に設けられた史実はよく知られています。
それは鈴鹿山地が、単に山仕事とか山歩きの対象だけでなく、古くから政治・経済・文化・信仰などと深い関わりのあった証しであり、鈴鹿を歩くことは山中を汗して、四季折々の自然や景勝に触れるだけではなく、山麓周辺をも含めて鈴鹿に残る名所旧跡を訪ねたり、行楽や散策に親しむのも意義あることだと思います。
特に鈴鹿の山を訪ねる人は、私も含めて中高年になってから歩き始めたハイカーも多く、そのような人々が山頂をめざす気力や体力が薄れる年になっても、いつまでも鈴鹿歩きを楽しむために、鈴鹿山地周辺の見どころや古道についての概説を分割形式で記しました。
|